04

 次に目覚めた時はベッドの上であった。ただしそこは自分の部屋ではなく、無機質に必要最低限の家具が置かれた銀色の空間であった。白い寝巻きを着て、白いシーツと布団の敷かれた金属製のベッドで眠っていたようであった。上体を起こしたエルネストはすぐさま立ち上がり、部屋の奥にある洗面台の鏡の前に移動した。予想通り、顔の右半分に5つの目が付いている。端正な顔の上でぎょろぎょろと動くそれは、とてつもなく不気味であった。眉毛はなくなっていて、よく見ると瞼も人間のそれとは異なっていた。さすがのエルネストもひっ、と軽い悲鳴を上げる。改めて自分の姿を確認すると、途方もなく悍ましいことになっていたと気付いた。しかし話が違う、と訴えることは出来なかった。これは、彼が望んで選んだ道なのだ。
「頭が痛い」
 あまりにも見えすぎていることに脳の処理が追いついていないのか、自分の醜い姿に混乱しているのか、こめかみを抑えるエルネスト。見えすぎている目に問題が有るのでは、と気付き手で抑える。左側だけでは視界が一気に狭くなったが、幾分慣れるまではこうした方が良いとエルネストは思った。棚にあったタオルを取り出し、眼帯のように軽く縛る。ついでに、クローゼットを確認する。そこにはわずかに青の混じった黒色のワイシャツと白いブレザーにスラックス、ヒールの付いたワイシャツと同じ色のブーツが入っていた。これは、
「連合軍の軍服……」
 ヘルムートの着ていた物と同一であった。違うのは色。ネクタイを見つけると、それが海軍の青を意味することを知った。
「これで俺も、連合軍か」
 エルネストは制服に着替えると、鏡の前の自分をもう一度見つめる。ネクタイを締めながら、タオルを取る。
「ううん……」
 そして、拭えない違和感を感じ、クローゼットにあったスカーフでもう一度顔の右側を隠した。そのまま自動扉を開け、部屋を後にする。すると隣の部屋から緑を基調とした同じ軍服の男が出てきたのを、エルネストは見逃さなかった。
「おはようございます」
 咄嗟に出た挨拶はフランス語だった。あっ、ここでは通じないんじゃないか。途端に思ったエルネストであったが、それは無用な心配であったようだ。頬に埋め込まれた極小のマイクロフォンが情報を拾い、相手の受信機に、相手の母国語で言葉が送信されていたのだ。
「何だ」
 睨みつける様に相手は緑色の目を細めた。この制服を着崩した銀髪の男に、エルネストは覚えがあった。
「新入りのエルネストです、よろしく……ってあれ?」
「お前は、」
 ガラス管で出会った、その男であった。思えば名前も知らなかったが、エルネストは臆せず話しかける。
「君も"セカンド"の人なんだね!」
「急に馴れ馴れしくしやがって」
 男は鬱陶しいのか、ジェスチャーをしながら話しかけるエルネストを適当に相手した。
「それはお互い様じゃないか、君の名前は?」
「……ラファエルだ。」
 さらに舌打ちをしながらも、ラファエルは名乗る。
「ラファエルかぁ、いい名前だね」
 お世辞か?と突っかかる彼。エルネストは、そんなことはないよと励ます。
「それで、お前。何のようだ」
「要件はないけど、挨拶はしなきゃと思って」
 はぁ、とため息をつく彼の顔を覗き込むエルネスト。
「その顔でか」
 ぎくりとしてエルネストは一歩引いた。今は多眼を隠したとはいえ、彼がガラス越しにその不気味な眼を見ていた事実は隠せない。
「"これ"は、一生モノだからね。直に皆慣れてくれると信じて前向きに考えるよ」
「……お前は、随分楽観的なんだな」
 それでも片目を隠して笑うエルネストに、呆れた様に返すラファエル。
「自分でもどうしてこんなに明るく振る舞えるか分からないんだ。顔面が大きく傷ついて、身体も変わってしまったのに。」
 不思議そうに、エルネストは自分の目の前に手を掲げ筋肉で盛り上がった指の節々を眺めた。
「興奮状態が消えないのか。それは俺も同じだが」
 ラファエルの真ん中で分けた銀髪が、ゆら、と揺れる。同意を得られたのが嬉しかったのか、エルネストは顔に再び笑みを浮かべた。
「うん、そうだね。麻酔かなにか効いていたから今まではぐっすり眠れたのかもしれないけど、こうして軍人として転生出来たのはやっぱり興奮するし、あまりにも環境が変わったからまだ周りに慣れなくて目が冴えちゃうよ。子供みたいだ。」
 そうか、とぶっきらぼうにラファエルも返していると、自分らの胸元に縫い付けられた略綬に内蔵された通信機から音が鳴った。自分らの軍服のしくみですら分かってなかった2人は困惑したが、
「実験が成功しました、おめでとうございます。話がありますので、3番会議室に向かってください。」
「……どこか分からないけど、行ってみようよ、ラファエル」
 今は、アナウンスされた言葉に従うしかなかった。

 少将に宛がわれた部屋は、普通の人が入れないようにトップクラスのセキュリティが施されていた。そこへ指紋や声紋を確認し、中に入る者の姿があった。
「ヘルムート殿、実験は成功です。"陸の子"も"海の子"も人間の形と理性を保って生還致しました。」
 正体は青みがかったボサボサの髪を生やし、眼鏡をかけた一人の女性研究員であった。笑顔で革張りの椅子に座っていた彼に話しかける。
「そうか」
「ええ、ラファエルの肉体構造の变化も、エルネストの視力向上も成功しました。仕上がりは上々でしょう。次は実戦で試す番ですな」
 ヘルムートのシンプルな返答にも、嬉々として反応する研究員。どうやら"セカンド"の責任者らしい。
「貴殿の時代の改造よりも、さらに手を加えましたので、さらなるパフォーマンスを期待できます。」
「ふん、遅れを取るわけにはいかんな」
 研究員の言い方に不満を漏らすヘルムートに、慌てて訂正をする女。
「いえいえ!貴殿は安定していますので運用に助かっています」
「物扱いを、するな」
 低い唸り。これ以上踏み込んだら逆鱗に触れるなと感じた研究員はそそくさと報告を済ませ、一礼をすると去ってしまった。
「……吾輩で終わらせる、それは叶わなかったか」
 誰も居なくなった空間で発せられた、厳しく、どこか切ない声。
「むしろ、彼らの活躍により一連の流れは加速するだろう。」
 窓からは、雲のない青い空と深緑に覆われた山々、無機質な施設が見えている。遠くを見つめる彼に何が見えていたのだろうか、それは誰にも分からなかった。

「あった、ここだ!」
 2階に降りろ、という追加の指示でエレベーターを使って降りた2人は、直ぐ様会議室の場所を探り当てた。自動扉が開き、幾つもの席と長い机が並んでいる部屋に入室した。
「失礼します」
 エルネストは挨拶をすると(ラファエルはしなかった)、部屋には複数の男がいた。皆軍服を着ていて、多くの略綬を身に着けていた。
「ようこそ、我々の軍へ」
 男達は形式的に歓迎し、2人を席に座らせた。しっかりと背筋を伸ばし姿勢を保つエルネストとは対照的に、ラファエルは雑に腰掛けていた。それを一人の男が窘める。
「話さなければならないことと、試さなければいけないことがある。」
 代表格の男が、2人の前に立ち、話を始めようとした。
「形式張ってないで早く聞かせろよ」
「ラファエル、言葉を慎みなよ!」
 エルネストが非難する。男は笑いながら、プレゼンテーション用のライトを演台に置いた。
「それとも折角改造してもらったし、先に腕っぷしを試してみるか?」
「え、ええっ!」
「上等だ。奴じゃなくても喧嘩がしたかったところだ。」
 腕を鳴らすラファエル、混乱するエルネスト。……そして男は笑っていた。この生意気な下官を捻り潰すのに丁度いいと言うかの様に。

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