08

 急いで隣の部屋のドアを開けようとするが、他人の部屋なのでロックがかかっていた。画面付きインターホンで相手を呼び出し、上官であると告げたエルネスト。やはり画面の向こうの男は、陰鬱そうな表情をしていた。
「初めまして、エルネスト・ロダンだ。君が胡大尉だね」
「はい……」
 扉を開けてもらい、挨拶をするエルネスト。相手の声は小さい。
「どうした、具合でも悪いのか?」
 憂いの表情ばかり気になっていたが、相手はとても若そうなことにエルネストは気付いた。10代後半といったところか。
「いや、違うんです。悪いことが起きただけなんです」
 あまりにも鬱々としていて、こちらまで滅入ってしまいそうであった。そこでエルネストは、単刀直入に質問をした。
「何が起きた。解決できない問題が有るなら相談に乗るぞ」
 顔を少し上げる胡 紅月。今にも泣き出しそうな顔をして、重い口を開いた。
「僕のせいで、僕のせいで、弟が、アメンテスのテロリストになったって……」
 エルネストは、6つの目を見開いた。

 冥府アメンテス。そのルーツはエジプトだが、今現在はアジアに蔓延るテロ組織だ。もとは加速した人種差別に反対する小さなデモ集団であったが、新資源である魔導鉱の存在がアジア各地で明らかになってからは様態が変わった。"持たざる国"である欧米諸国が資源の搾取のために不平等条約を押し付けたり、平和活動と称して治安の悪化した地域を制圧したりすることによって憎悪を抱いた現地の人々が集い、"復讐"を元にしたテロ組織へと変化したのだ。尤も、まだエルネストは"先進国で暴れまわるアジア系テロリスト集団"としか認識していなかったが。
「弟は黒孩子ヘイハイズでした。少子高齢化の加速した今でこそ中国の一人っ子政策はないですが、当時は一人以上の子供の存在を隠すために戸籍に登録できない子供がいて、彼もその一人だったのです。人権の存在しない弟を、僕ら家族は置いてフランスに行きました。本当は連れて行きたかった、でも親と国がそれを認めなかったのです。」
「そんな……」
「弟は僕よりも明らかに不幸な生活をしていたと思います。だってアテがなかったんですから。死んでしまっているかもしれない。でもその心配は、無用でしたよ。こちらで見せていただいた、犯行現場の映像にいたんです。僕の、弟が。」
 唾を飲み込むエルネスト。
「僕の弟、開陽っていうんです。北斗七星ノース・ディッパーを構成する星の名前です。僕と同じ栗色の髪の毛をしていて、でも、僕と目の色が違うんですよ。僕は改造されてから青くなったけど、あいつは星みたいに金色の瞳が、夜になると光ってるみたいで不気味だけど綺麗なんですよ。幼い頃に別れちゃったから今の性格はわからないけど、当時は自分の運命を真面目に受け入れていた。」
 紅月は笑っていたが、目に光はない。
「僕が生まれていなければ、開陽は黒孩子にならなかった。だから、テロリストになる必要もなかった。僕さえいなければ……!」
 ヒステリックに笑う紅月。それを、エルネストが必死に止めようとする。
「やめろ、それ以上自分を責めるな!」
 こんな精神状態の少年を戦地に放り込むつもりなのか。軍は正気かと疑いながら、彼は紅月の肩を掴んで揺さぶった。その時にようやく気付いたのだが、彼の腕には白い羽毛がびっしりと生えていた。まるでかもめの翼のように。
「ごめんなさい。……弟は家族や、平和に過ごす人々に矛先を向けるでしょう。だから僕はここに志願したんです。」
 動揺を抑えるように紅月は話す。エルネストは強く頷いた。
「そうか。紅月、君は素晴らしい選択をしたと思う。だから、今は弟のことを忘れて自信を持ってくれ」
 そして身勝手な願いだと分かった上で、彼は期待と懇願をした。

 エルネストが2人に出会ってから、2週間が経過した。いよいよ3人は実戦投入されたのだ。海上の潮風は心地よいがいかんせん暑い。それもそのはず、ここは緯度が低い。彼らが今いるのは東南アジアの島国がエルネストの高い視力によって確認できるトンキン湾だ。大型のドローンに似た高さ1メートルほどの無人機を大量に積んだ超小型の軽空母の運用を行っていた。空母なので飛行甲板はあるが、戦闘機が5機離着艦できれば良いぐらいの大きさしかない。操縦のほとんどは人工知能によって制御されていて、乗組員も十数人しかいなかった。その中に、エルネスト、ガブリエル、紅月が搭乗していたのだ。小型である理由は「燃費がいいから」という身も蓋もない理由だが、そのことが"魔導鉱"が見つかるまで世界的に資源不足だったことの証明に他ならなかった。
「お初にお目にかかるね。私はクリスチャン・ヨハンセン。バイオニクス将校はいきなり実戦投入されるから過酷で大変だねえ。」
 操縦席に立つエルネストの前に、スクリーンが表示される。クリスチャンはこのあたりの無人艦隊の指揮を取っている大佐であると述べた。彼らの指導を行うことになっていたのだ。
「ご教授願います」
「あぁ。君たちを安全に導こう。」
 最初にあった暴力将校とは明らかに物腰が違うことを察したエルネストは安堵し、艦の操縦エリアを確認した。眺めただけで何をするのか、なぜか分からないが"理解"していた。
「バイオニクスはマニュアルが脳にインプットされていると聞いたねえ。私もそう改造してもらいたかったものだ。最近物忘れが激しいからね。試しにそこのタッチパネルのボタンの意味は何だと思うかね」
「旋回、ですかね」
 少し考えて、エルネストが答える。
「そう、角度も細かく指定できるよ。」
「確かに、大型の船は一度の違いでも大きく動きが変わりますからね」
 物分りのいい子は好きだねえ、とクリスチャンはスクリーン越しに笑った。エルネストは本能的に、この人を信用した。
「詳しい説明は随時教える。今はレーダーや地図で確認をとりながら、A地点に付いたら無人機R50から59までの10機を出撃させてくれ」
 了解です、エルネストはAIによって海上の"A地点"に向かう艦を確認しながら返事をした。一方、ガブリエルはというと。
「ロダン少佐、こちらレーダー室。A地点周辺の水中に機雷が数機発見された。指示をくれ。」
 別の部屋でソナーからの情報で海底に結び付けられた機械水雷の情報をいち早く確認し、エルネストの指示を仰ごうとしていた。スクリーンに映る鱗の男を見るエルネスト。あの出会いからも少し顔合わせをしていたが、ぶっきらぼうだった部屋での態度とはまったく異なる真剣な声に彼は驚きつつも状況を考えた。流石にテロリストの拠点が近いだけあって、海に何が有るかわからない。
「こちらロダン。AIに位置の情報を送ってくれ。」
「わかった。それまで速度を落とした方がいいんじゃないか」
「ありがとう。でも判断はヨハンセン大佐に任せたほうがいいと思うよ、俺は」
 ふん、そうかと無関心なガブリエル。しかしながら人工知能よりも早く察するのを不思議に思っていたエルネストに、クリスチャンが助言する。
「ジョベラス大尉は改造されているから、艦に内蔵されたソナーと自分の感覚を同一にすることが出来ると聞いたよ。勘の優れた彼だ。彼のいち早い情報入手で、海戦を有利に進めてくれ。とにかく今は機雷を避けるように、遠回りするんだ」
 はい、と頷いたエルネストは情報を更新させると、舵を切った。沖からベトナムのハイフォン港へ向けて北上していく。彼は経験がほとんどないのに、どうやって艦を動かせばいいか「分かっていた」。まるで過去の提督のデータを、脳裏に刷り込まれていたかのように。
「胡大尉、聞こえるか。ロダンだ。A地点までもうすぐだ、無人機の確認を頼む」
「こちら胡、甲板にて全機確認できました。いつでも出撃できます」
 それは紅月も、ガブリエルも同じだったようだ。
「ようし、地点についた!無人機体を動かしてくれ!」
 初陣を感じさせぬスマートな戦況が、ハイフォンに向けて動き始めた。

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