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 訓練の後から、エルネストは悩んでいた。紅月の弟がテロリストであることは事前に聞いていた。しかしこのような形で遭遇するとは思っていなかったのだ。否、"したくなかった"のかもしれない。最悪の事態を避けたかったのだ。セカンドの成功作という運の良さに甘えて楽観的になっていたことを反省した彼は、紅月の部屋に訪れた。せめてショックを受けていた彼の慰めにならないかと模索していたのだ。
「胡大尉……いや、紅月。入ってもいいか?」
 画面付きのインターホンから聞こえた声は、小さい。
「はい……あの時は申し訳ありませんでした。僕の不手際で、自軍に損傷を与えてしまった。」
「君は悪くない。」
 悪いとしたら、彼に重い司令を送った自分の方だ。エルネストは必死に弁明を試みたが、その程度で回復するならとうに彼は気にしないでいただろう。そもそも、カウンセリングなら専門家の方が実力は上だし、この施設なら呼べば来る。しかし、
「謝るのは俺の方だ。それに俺たちは同じ改造という遭遇を受けた者同士から、君の力になりたいんだ」
 熱意なら彼の方が上であろう。
「むしろ僕が貴方の力にならなければならないのに。」
 だが、伝わる想いは重荷にもなった。苦し紛れに一言つぶやくと、口を強く結ぶように閉口する紅月。
「そのためにわだかまりを取り除くのも、上官の努めだろう?」
 にっこりと笑うエルネスト。しかし5つの右目がそれぞれぎょろぎょろと挙動不審に動いていた。ロックが外れる音がすると、彼は紅月の部屋へと入っていった。
「これ、俺の故郷ではそれなりに有名な銘柄の紅茶。……っていっても、君も知ってると思うけど。売店にあったんだよ」
 エルネストは小さな黒い箱を紅月に渡す。驚く彼のリアクションに微笑みながら、箱から1つのティーバッグを取り出した。
「茶葉で入れる余裕はないからこれで我慢してくれ」
「いえ、貰ってもよろしいのですか、少佐」
 遠慮するな、本当は酒がよかったんだけど君の年齢じゃダメだからね。彼はどことなく"先輩"のように、困惑している紅月をあしらった。
「あ、僕が入れます」
「そうか。ならよろしく頼む。」
 二人分用意したプラスチック製の透明な耐熱コップにそれぞれティーバッグを入れると、温度を細く設定できる給湯器のスイッチを操作した。
「これは95度のお湯で、蒸らして2分の銘柄」
「了解しました」
「そんなところまでかしこまらなくていいさ」
 でも、こだわるんでしょうという紅月の問いに、笑いながらああと答えるエルネスト。無糖の紅茶二杯をガラステーブルの上に置き、背もたれ付きの自室の椅子に紅月が、予備の折りたたみ椅子にエルネストが座ろうとした。
「あ、上官に対して失礼しました……!」
「別に俺はこれでいいよ、言っただろう。かしこまらなくていいって」
 折りたたみ椅子に難なく腰掛けた彼を、紅月は申し訳なさそうに見ていた。

「君には負担をかけてしまうが、どうしても話さなきゃいけないことがある。」
 察した紅月は、一瞬だけ表情を暗くしたが、すぐに平常を取り繕った。
「君の弟の情報だ。」
 彼は、その言葉に覚悟をしたかのように真剣な眼差しでエルネストを見た。
フー・ 開陽カイヤン。15歳。中国鄭州ていしゅう出身、現在はアメンテス構成員だが黒社会やくざものの世界にもいた。アメンテス入隊時期は不明だが、剣術を始めとした凶器の扱いに長けていたためスカウトされたようだ。」
 手にした小型端末の文章を読み上げていくエルネスト。連合軍特有の情報網によって、生き別れた兄弟の記憶が復元されていく。
「そうだったのですか。……僕と別れたのは僕が6歳、彼が5歳のとき。家族はその瞬間までは、共に暮らしていました。弟の生まれた翌年には一人っ子政策が廃止されたから、戸籍はなくとも彼が存在することは家族が認めていたのです。でも、仕事のために海外に出るとなれば話は別でした。父親は金に囚われていた。いつか自分自身が栄えたら、その財産を継ぐ僕も弟も救われると思っていた。僕は反抗できなかった。客観的に見れば、父親を重んずる文化の側面でしょう。でも僕は単純に、父親が怖かった。」
 自分の父とは全く異なる父親像の話を、真剣に聞くエルネスト。紅月は続ける。
「弟は救われなかった。華僑となった僕らは経済的には潤いました。だけどどんなに金があっても、無戸籍のせいで学校にいけない弟が勉強をしたり、友達をつくったり、それから仕事をすることも、できなかった。否、金の力で解決したかもしれないのに、僕らは目を瞑って彼を無視したのです。」
 いくら自分が努力したとはいえ、大学に入らせてもらった自分と大きく異なる開陽の姿にエルネストは憂いた。だが、敵である認識を捨てたわけではない。
「彼を救ったのが、僕の敵なのは宿命なのでしょう。でも、間違った道を彼はがむしゃらに走っている」
 悲痛な思いを抱きつつも、紅月の青い目には覚悟の光が宿っていた。
「だから、僕が償いをしてあげなきゃいけないんです。たとえ今何も出来なくても、ここで強くなって、絶対に……!」
「紅月、」
 エルネストは言葉を選びつつも、言い放つ。
「その覚悟は良い。だが一人で出来ると思うな」
「少佐」
 顔を少し上げる紅月。
「俺たちの力で彼を救おう」
 救う、その言葉に彼の目が揺らいだのを、エルネストは見逃さなかった。
「殺せといった僕に、そんな言葉を」
「……確かに俺たちはテロリストを、人を、殺している。だがそれは手段であり目的ではない。彼と対話する方法はあるはずだ。」
「しょう、さ」
「軍人であるからには愛する身内は守らなきゃいけないからな。だから俺は君のために、君は俺のために力になってくれないか」
 エルネストは、失った父親を思いつつ約束を迫った。紅月の目は潤んでいた。
「はい。」
 彼は、言い切った。
「弟を、開陽を連れて帰ります」
 誓いを立てながら。

 その話から3日後。エルネストは、もう一人の部下も気にかけていた。ガブリエルだ。訓練や演習ではぶっきらぼうな態度を貫いていた。敬語もままならないため再教育の真っ最中らしいが、彼はそこを気にかけた訳ではなかった。
「あの姿じゃ、町中も歩けないぞ」
 紅月もそうだが、ガブリエルはとりわけ顔の損傷が著しい。耳から鰭が生えているし、目の下はほぼ魚鱗に覆われているし、どちらも普段隠せるものではない。エルネストは右目を眼帯や髪の毛で隠してしまえばある程度ごまかせるが、彼は……。
「フォローはしておかないとなぁ。多分、俺が一番説得力あるだろう。」
 彼は行動に出た。部下と腹を割って話をしてみよう。そうして訓練後を見計らって成人になったばかりのガブリエルをバーに招いたのだ。
「少佐、サシで飲むとはどういう思惑がある?」
 怪訝な顔をしたガブリエル。それもそのはず、この様に話し合うのは初対面の時以来だからだ。様々な戦士を見てきたバーテンダーも奇っ怪な顔面のガブリエルに少々萎縮していた。
「改造されてから調子はどうだい?ってね」
 だが平時を取り繕うエルネスト。真意を見抜こうと、ガブリエルは彼をじっと見て言った。
「同情はいらねえからな」
「あはは、バレた?」
「初めからわかりきったことだ。この顔じゃあ仕方ねえけどよ」
 戯けるエルネストに、ガブリエルは酒を一杯呷り、はぁとため息をついた。
「いいんだ。昔より待遇はいいからな。この顔じゃあどこにも行けないが、どうせ海の上で死ぬんだろ、構わねえよ。」
「……もうちょっと自分を大事にしなよ」
 エルネストも酒をちびちび飲みながら、彼に助言をした瞬間の出来事だ。
「何事だ!」
 明らかに敵襲と分かる爆発音。アメンテスの襲来か。
「こんなところまで敵に狙われるとは……!」
「基地なんて狙われるもんだろ」
 予想外の事態に構えるエルネストに対し、分かっていたようにガブリエルは酒を飲み干し、グラスをテーブルに置いた。

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