05

 地下に来た2人は男たちの案内で、中央に大きな試合場のある訓練場へと足を進めた。
「まだ新設したばかりでな、綺麗だろう」
 代表格の男は自慢げに訓練場を見渡すと、中に入る。自動でついた小型電球がその部屋を照らした。
「何に使う部屋なのですか?」
 エルネストは興味津々に、それでいて少し恐怖を感じたかのように尋ねた。嫌な予感がしたのだ。
「……見て分かるだろう。力を試すには絶好の場所だ」
 拳を合わせ、ここが"戦う場所"であることを説明する男。
「一泡吹かせようじゃないか、エルネスト」
「ラファエル、上官相手にそのようなこと」
 エルネストは軽く怒って非難した。相手はまだ名乗ってすらいないが、自分たちより上なのは分かりきっている。
「はは、そう強ばるな。ロダン少佐、アリギエーリ少佐。あんた達だって相当偉いよ」
 別の男が水を差して笑った。いいよなあ、"セカンド"は軍属した瞬間から佐官なんだからと嫌味を交えた野次が飛ぶ。お互いが初めて名字を知った瞬間が、こんなにも嫌な空間だったとは。
「……エルネスト、奴らはこういう連中だ。見下して構わないだろう」
 だがラファエルは気にもせず臆せず突っかかろうとした。それをエルネストは必死に止めようとする。男が試合場のキャンバスの上に立つと、試合場の上から2人を見下ろす。
「アリギエーリ少佐、少々口が悪いな。私が先輩として矯正せねば」
「へっ、直すべきはお前の周りじゃないのか」
 鼻を鳴らし、嘲笑い返すラファエル。はぁ、とため息をついたエルネスト。
「ったくよう、先にこいつの鼻をへし折りたいところだが」
 それに対し、ラファエルの方を向いてニタニタと不気味に笑う上官。
「閣下が先にこちらから"試せ"、と言われてな。ロダン少佐。リングに入ってもらおうか」
 試合場に誘導されるエルネスト。困惑しながらも、ラファエルに「行け」とアイコンタクトをされ、仕方なくコーナーに登った。周りの視線が、多くの瞳越しに感じられる。
「……お手柔らかにお願いします」
 彼は、臆病さを消せずにキャンバスの上に立つ。筋力が改造されて向上したとはいえ、それを使いこなすことは不可能に近い、と思っていたのだ。
「ふん、弱腰だな。……行くぞ」
 初っ端から男の右ストレートが来る。容赦しない攻撃。エルネストは、その視覚と付加された筋肉を活かし反射的にかわしていた。二撃目、左手が下から。次。右を振りかぶって。相手が何をするか分かる。高すぎる視力と人為的に磨き上げられた本能が、彼を救っていた。
「くそう、いちいちちょこまかと避けやがって!」
 苛立つ相手をよそに、エルネストはかわすことしか出来なかった。一撃を見舞うことができないのだ。弱い自分は嫌だ。でも、人に暴力を振るうのは怖い。これはスポーツの様なものだろう。だとしても、彼は乱暴なことは苦手であった。相手を痛みつけるのが怖いのだ。
「どうした、エルネスト!」
 ラファエルも苛々を隠せず外野から声を投げた。そう言われても。エルネストは、困った。なぜなら人を殴ったことがないのだ。考えている間に隙が生じてしまった。顎を狙ったアッパー。見事命中し、エルネストは宙に浮く。声を出す暇すらなく吹き飛ばされた。痛い。口の中に鉄臭さを感じる。
「おやおや、改造されてもこの程度なのか?」
 気づけば仰向けになって倒れていた。このままではいけないと彼が立ち上がろうとした瞬間に腹を思いっきり踏み潰される。ぐう、と唸る彼にも容赦せず踏みにじっていく男。
「とんだ雑魚だな。未改造の俺の方がよっぽども強いじゃねえか!」
「くそ……!」
 その姿は、かつて救助のために眩しく映っていたヘルムート達とまるで異なっていた。エルネストは失望した。否、これが現実だと思い知ったのかもしれない。意識が朦朧としてくる。そして完全に視界が消えて無くなりそうになる、その瞬間に違和感を感じ取った。男の後ろに人影。それは腰目掛けて蹴りを放つ。速い。
「本当に試しているのか?俺には部下を詰っている様にしか見えなかったが」
 救いの手を差し伸べたのはラファエルだった。男はよろめき、倒れる。
「ラファエル!どうして」
 エルネストは口の端から血を流しつつも、尋ねる。
「どうしてもこうしてもねえよ。立て、エルネスト。こいつらは殴っていい存在だって分かっただろう。」
「でも」
「でもじゃねえ!」
 声を荒げるラファエル。話している間に男は立ち上がり、今度は彼目掛けて拳を放った。
「邪魔すんじゃねえガキ!」
 右手で往なす彼の隙を突き、男は腰に一撃をぶつける。命中。ぐおおっ、と声を上げてラファエルはロープに叩きつけられた。
「そうだそうだ、卑怯者!」
 さらにリングに乱入したラファエルを、外野も非難し乱入する。寄ってたかってラファエルを攻撃する上官達。銀髪を掴まれてリングのキャンバスではなく硬い床に叩きつけられたのを、エルネストは見てしまう。
「そんな……!」
 怖気づくエルネスト。恐怖と共に沸き立った感情があった。
「許せない……!」
 だが、彼の短い人生の中で理性を最も大事にしてきたエルネストは、怒りに身を任せるのが怖かった。それでも蹴られ殴られ傷ついていく同僚……否、今の彼にとっては死地を救ってくれた戦友の前で、何も出来ないままでいいのか。葛藤の中、彼は軍服のベルトに仕掛けがあったことを思い出した。
「これが何を意味するか、わからないけれど」
 そこに入っていたガラス製の小さなアンプルを、一か八かで割る。すると、中に入っていた水が"自分の意志"で動き始めたではないか。宙を浮く水に、驚くエルネスト。
「畜生!」
 周りからの暴力に苦しむラファエルを、これなら救えるだろうか。エルネストはその僅かな水を"操って"発射した。
「行けっ!」
 それは上官の一人の顔にかすれるように命中した。しかし軽い傷を残すに終わってしまう。毒ならば威力は高いだろうが、生憎"普通の水"であったそれは、大きな威力を見込めなかった。
「ん、水鉄砲か?面白いなあ。この程度じゃ赤ん坊一人殺せねえな」
 傷を追った男がエルネストの方を見てケタケタと笑う。そんな、と絶望する彼。ラファエルは悪態をつく体力も無くなっていた。こんなところで、くたばるだなんて。信じたくない、危機に瀕したエルネストは何も考えられなくなっていた。こんなただの水で、戦えるはずがない。いや待てよ、"普通の水"を操れる……?
「……そうだ、確かに俺の能力は水鉄砲だ」
 エルネストは訓練場の水道目掛けて走り出した。蛇口を捻り、水を勢いよく出す。しかし、
「動かない!」
 何も起きない。
「はは、どうしたロダン少佐!恐怖のあまり気でも狂ったか?」
 ラファエルを殴るのに飽きたとみえた一人が、エルネストのがら空きだった下半身を思い切り蹴った。痛みを覚えた彼。腰に残っていたもう一つのアンプルが衝動で割れ、流れていた水道水と混じったその瞬間である。
「ぐわっ!」
 突然、血飛沫が上がる。襲いかかった男のものだ。鋭利に噴射した水が男の胸元に命中したのだ。エルネストは驚き……そして理解した。アンプルの液体は、ただの水ではないと。そしてそれは、"ただの水"に溶ける!
「ラファエル!助けに来たよ!」
 それからの行動は早い。多量の水を自在に操れるようになったエルネストは蛇口を弱めると、残った水を棒状に変形させ手に取る。そのままラファエルを避けるように槍投げの要領で投げ飛ばすと、リンチをしていた軍人たちに水が"突き刺さった"。悲鳴を上げる男たち。慌てる相手の隙を狙い、ラファエルは再び立ち上がった。うおお、吶喊を上げて粗暴に周りの男達を殴り倒す。反撃は、あまりにも凄まじい勢いで始まった。その時である。
「何事だ!」
 自動扉が開くと同時に現れたのは、ヘルムート。時が止まるかのように周りの動きが止んだ。彼は訓練場に残った血痕を見つめ、言い放った。
「うつけ者どもめ!誰が此処までやって良いと言った!」

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