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斎藤茂男 ルポルタージュ 日本の情景 #1

先ほど、渡辺治著作集の第12巻を読了した。定期的に出くわす誤植には毎度辟易させられるが(第1巻から誤植のなかった巻はなかったように思う。最初は、70年代や80年代の論文は今のようにデジタルデータでないから、このような誤植が生じたのだとばかり思っていたが、そうではない。つい最近の論文まで、例えば、本巻で言えば、「入って」が「人って」になっている箇所が二か所もあるのである。何巻か忘れたが、「オイルショック」が「ナイルショック」になっているのを見たときは失笑した。こんな誤植、製本する前に事前に読めば誰でも気づくのであり、旬報社はそのようなチェックもせずに出版しているのだろうか?)、一貫した渡辺治節、同時代的な分析が通時的な文脈の中でなされていることによる説得力に今回もまた唸らされたし、勉強になった。

で、彼の「日本の企業社会」を分析した論文で必ず参照されるのが斎藤茂男の『わが亡きあとに洪水はきたれ!』だ。この本の存在は、大学生の時から知ってはいた。確か、「社会科学概論」の講義で使われたテキストの中で言及されていたのだと思う(鎌田慧の『自動車絶望工場』とか『教育工場の子どもたち』が入手しやすかったせいか、テキストだった)。渡辺治著作集の第10巻に『わが亡きあとに洪水はきたれ!』の書評が収録されており、斎藤茂男の著作集が岩波書店から全12巻出版されているのを知ったのだった。この著作集の出版は1994年。大学に入学した2000年当時、斎藤茂男の名は、すでに忘れられつつあったのではないだろうか。そして今や、ほんとんど忘れ去られているように思える。共同通信出身ということは辺見庸の先輩にあたるが、彼のこれまでの著作や発言において斎藤茂男の名が出たことは、知る限りない。斎藤茂男著作集は現在もちろん絶版で、ヤフオクで入手した。本当に全巻揃っているのか不安になるくらい安かったのだが、状態は良かった。

第1巻から順番に読み進めて、こちらは第10巻まで読了している。『妻たちの思秋期』『燃えて尽きたし……』『生命かがやく日のために』『飽食窮民』と続くわけだが、読んでいて、単純に吃驚してしまう。それは、1970年から80年代の日本社会のあれこれについて書かれた同時代のルポルタージュが、現在の日本社会において問題化されているあれこれの、通時的な連続性を否応なく意識させるからだ。渡辺治がよく使う言い回しとして「○○というのは××が急に言い出したことではない」というのがある。世間の耳目を集める政治家だったり考え方というのは、歴史的な積み重ねの上に登場するのであり、何か急に降って湧いたよう出現するのではない、ということが渡辺治著作集を読んでいるとよくわかるのだが、斎藤茂男の一連のルポルタージュを読んでいると、全く同じ感慨を持たざるを得ないのである。(つづく)