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マヨネーズをつけられるということ

飽食の時代

私が幼い頃は、まだ戦中・戦後世代の方がご健在で、よく「今は飽食の時代だ」と言われた。その真っ只中に生きる私には、その意味がよくわからなかったが、今はよくわかる。飽食とは、マヨネーズへの感謝を忘れることである。

インド出張

ある年の春、私は仕事の都合でインドにいた。

空港から外に出て辺りを見回したとき、飛行機の中で観た『Mad Max 怒りのデスロード』とほぼ同じ世界観が広がっていたので大変驚いた覚えがある。町の建物は経年劣化では説明できないような荒廃ぶりを見せていた。思わず、迎えに来た駐在員に最近爆撃があったか確認した。パキスタンと争っているカシミール地方からは遠く離れているはずなのに、それ以外の理由で建物がそこまで荒れる理由がわからなかった。

彼は爆撃はない、と答えた。それ以上私は町が荒廃している理由を訪ねなかった。事前に、「インドでは不思議なことがあっても聞きすぎてはいけない。インドで起きることの全てを説明できる人はいないから」とレクチャーを受けていたからだ。

我々を乗せた車は、時速100kmを優に超える速度で空港を離れて町へ向かった。車は2車線の文字通り真ん中、車線を跨ぐ形で快走した。私は長旅で疲れていたので、ぼんやりと「マリオカートみたいだな」とだけ思った。道が空いているからと言って、真ん中を走る意味は分からなかったが、敢えて聞かなかった。インドで起きることの全てを説明できる人はいない。

翌日からインドの拠点に出社した。インドでは、午前午後に一回ずつ、お茶の休憩がある。食堂へ行くと2つのポッドが置かれており、インドの甘いお茶、チャイが飲めた。

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チャイはポッドによって濃さが違った。私が「薄口と濃口に分けているんですね」と言うと、「ムラがあるだけだよ」と言われた。

そうこうしているうちにお昼になった。暑さと慣れない環境で全く食欲はなかったが、食べないわけには行けない。私は食堂へ再び赴いた。

食堂ではフォークとトレイを持ったインド人の同僚たちが列をなしていた。私もそれに倣って、水に漬かっていたフォークとトレイを引き揚げて列の後ろについた。すると、私の後ろに並んだ駐在員が「水はよく拭き取ってね。口に入るとお腹を壊すから」と教えてくれた。確かによく見ると、私の前に並んだインド人の同僚たちは、ティッシュで熱心に水気を拭き取っていた。その人曰く、「インドの生水は毒」とのことだった。それではなぜ、毒の中に食器類を浸しておくのか理解できなかったが、理解するより先に手がティッシュに伸びていた。繰り返しになるが、インドで起きることの全てを説明できる人はいない。

よく水気を切ったトレイに、食堂のおばちゃんがおたまを叩きつけるようにして食事を盛ってくれた。これは何かに似ているなと思い、しばらく考えたが、映画で観た外国の刑務所の配食シーンだった。金属製のトレイに、マッシュポテトのような謎の食事を叩きつけるように盛るシーン、まさにあれだった。

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食事の内容は毎日変わるが、基本はカレーの匂いのする何かと、ご飯と、ご飯と同じところに入れられるおかずか主食か分からないもの、あとは副菜だった。

カレーの匂いのするものは、匂いこそカレーだったが、味が全くしなかった。美味しいとか不味いとかではなく、味がしなかった。添えてある副菜も、生のキュウリだったり、豆をお湯で煮込んだものとしか形容できないものだったりで、やはり味がしなかった。私は困惑した。食事に味がない。米が進まない。

未だに、なぜこのとき食事の味がしなかったのか不明である。その時出たインド料理がそういうものだったのか、たまたまその時私の味蕾が全て死に絶えていただけなのか定かではない。いずれにせよ、インドで起きることの全てを説明できる人はいない。ただ1つだけ言えることは、私は味のしない料理で米をモリモリ食べれるタイプの人間ではないということだった。

私は塩を探した。しかし、食堂に塩はなかった。胡椒もなかった。というか調味料の類は一切なかった。それでは私以外の人はどうしているのかと言うと、味のしない料理で米をモリモリと食べていた。日本から来た駐在員たちも「まずい」と言いながらモリモリと食べていた。インドでの生活が彼らをそういうタイプの人間に作り替えていたのだ。

料理の盛られたトレイを前に手を止めた私に、ある駐在員が声をかけてくれた。

「冷蔵庫にマヨネーズあるよ」

まさに天祐だった。私は事務所の片隅に置かれた冷蔵庫へ走り、中にキユーピーのマヨネーズを認めた。あの見慣れた滴涙型のケースに詰まった、乳白色の調味料が、そこにはあった。

マヨネーズを得て、私の食事は一変した。それまで私に水分しか感じさせなかったキュウリや豆は、マヨネーズをかけると途端におかずに変貌した。ご飯の横にある主食かおかずか分からないものも、マヨネーズをつけるだけで1つの料理として成立した。私はマヨネーズの持つポテンシャルに驚愕した。何を食べても、あのマヨネーズの味がしておいしくなるのだ。私はマヨネーズのかかったインド料理で米をモリモリと食べた。

あの時マヨネーズがなかったら、無事に出張を乗り切れたかわからない。私は今でもあの時のマヨネーズに感謝している。しかし日本にいては、日々の生活の中でマヨネーズに感謝の気持ちを持つ場面は少ない。マヨネーズをつけられることが、当たり前になっている。

しかし、我々は自由気ままに、あの、あのマヨネーズがかけられるという幸せと、マヨネーズへの感謝の気持ちを忘れてはならない。


グラムじゃ文

なお、本場インドで食べた世界一甘いお菓子、「グラムジャブン」は歯の神経に砂糖がダイレクトアタックしているのかと思う程、強烈に甘味を感じた。

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