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有限と有効

恐らく数年ぶりにmixiにログインし、当時読んでいた本や映画の感想を書いたレビューを読んでいた。その中に1つ、全く読んだ覚えのない本が1冊あった。

レビューを書いていたのが2012年なので、読んだのは今から9年前ということになる。幾度かの引っ越しの中で棄ててしまったのか、本は残っていない。9年も前なら覚えていないのも仕方のないことかもしれないが、全く記憶にないという事実が自分の中で衝撃的であった。この年になると、全てを覚えておくことはできない。下手をすると覚えていることよりも忘れていることの方が多いかもしれないくらいだ。そのため、忘れてしまった、ということに対してある程度耐性ができてしまっている。しかしそんな自分でも、完全に忘れてしまうということは珍しい。何かしら端子を掴めば、仔細とは言わないが大枠は思い出すことができる。しかし、これについては何をやっても思い出すことができない。そんなに面白くない話だったのだろうか。

私の高校時代の英語教師は、発行後30年経った本しか読まないというポリシーを持っていた。有限の人生を有効に使うため、時間の選択に耐えた本物の名作しか読まないというのがその趣旨だった。

一方、それとちょうど真逆の発想で作られた寄贈文庫が私の母校の大学にはあった。ある分野について、過去の数年間に発行された本を全て収集したという文庫だった。世の中には、誰かが残そうとしなければ、消えて行ってしまうものが沢山あるが、それを含めて後世に残さなければいけないと思い立った人がいたらしい。ただし残念ながらこの文庫は場所の問題かお金の問題か、2年分くらいしかカバーできていなかった。

よく何かを失うことを手から零れ落ちると言うが、忘れることは手から零れ落ちたことに気づかないか、零れ落ちたことすら忘れてしまうことなのだと改めて感じた。

とりあえず、新鮮な気持ちで改めて読み直そうと思う。零れることもあれば、拾い直すこともできるはずだ。どうせなら楽しみながら拾いたい。

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