不安の正体


 最近特にウイルスの感染拡大を名目に「リスク回避」「不安」の文字が横行している。これはウイルス、とりわけ病気に対する正統なリスク評価がなされていないのではないか。評価基準がわかりにくく、あるいは受け止められ方が曖昧で想像的なものであるから、生み出される「不安」が連鎖されるのであろう。
 すでにこのコロナウイルスは全く別種の病態へと変異している。肉体的諸症状に加えて精神的な症状を引き起こしているとも言え、社会的に構築された病態に対して、その諸症状に対する医学的な治療薬はおそらく地上には存在しないかもしれない。
 リスク回避行動は絶対的な正しさで人々の行動基準を支配し、不安はさらにリスク回避の行動を増長させる。両者はその相補性により制御不能な状態であると言えよう。そこから生まれる諸個人の行為による様々な不協和音に対して、人はどのように振る舞えば良いか。
 以前にも記述したが、今回のウイルスによる脅威とは「人と人との分断」である。であるとするならば、互いに異なる意見を持つ存在に対して行うべき最適解とは何であろうか。誤解を恐れずに述べるとすると、それは他者の存在の排除に他ならない。私たちはまずこの点を認識し、その排除の理論に対して一時的に力点を置くべきである。
 事実、私たちはこの数ヶ月間に世界各地でそれを目撃している。国境を閉じ、人の国際移動を制限し、国内においても諸個人を分断し自宅に隔離する政策を私たちは積極的に受入れ、一般化している。
 このような人と人の物理的な交流を制限する精神的土壌とは利他的行動ではなく、自己中心的な行動である。現在人々を最も悩ましているのはまさにこの点が正しく理解されていないからでは無いか。
 当たり前であるが、人と人は分かり合えるとの共通認識で交流する。それ自体は正しい認識であろう。しかし、この当たり前が実は当たり前で無い事なのだと、誰もが心の中では分かっていたとしても、はっきりと目に見える形として現れる出来事はそう多くはない。
 より正しく言えば、今までにも似たような出来事は多く起きていた。例えば震災にしても、風水害にしても、原子力事故にしてもそうである。しかし、そこでは人と人の交流による問題解決が前提となっていたし、それらの解決にあたり「人と人との分断」は前提にされていなかった。
 しかし、今回はまったく異なる構造を持っている。
 ウイルスと言う目に見えない存在を媒介として、ウイルスは文字通り人に取り憑き、人の形に変化する。そしてウイルスに侵された「人」それ自身に対して私たちは嫌悪を呼び起こし、恐怖の対象にしてしまう。
 つまり、人そのものに対する嫌悪と恐怖の帰結として「人と人の分断」を生み出すのである。
 この構造に支配された我々はもはや理性では理解していても、人でない人になった者を受入れることに抵抗を覚え、自ら「人でない行為」に近づこうとする人も社会は容認しない。
 このことが外出自粛に協力する人々と、しない人々との社会的な衝突に対する原則として、現在進行中で我々浸透しつつあるのだ。私たちはその原則に理性で抵抗を試みるが、やがて適応して行くであろう。そのようにして分断が連鎖し、加速していく。
 では分断を回避する前提をどのように作り上げるべきか。 第1の方法は人々の利己的行為と自己中心的な態度を行動に移した時に起きる社会的衝突を前提とした人と人の再融合であろう。
 他者の存在の排除を前提とした利己的行為と自己中心的態度は、社会に対して大きな危険因子として取り扱われる。当然、社会も危険因子の分断と排除に対し妥協はしない。 分断された人々は、さらに孤独な状態に置かれる。しかし分断された人々同士の価値観が偶然にも似た邂逅を果たせば、お互いの連帯意識が萌芽するのを期待できる。
 そのような人々が一定数に達したとき、さらなる社会的混乱と衝突が発生し、社会もその人々の声に耳を傾けざる得なくなる。そこにコミュニュケーションが生まれ、双方の対話による解決と人々の再融合が期待できる。
 第2の方法はさらに共通の認識を作り上げることである。ウイルスは精神的な被害はもちろんの事、やはり病気という実態を伴う形で現れている。当然、私たちは医療によって救われることとなる。現在、医療従事者に送られている応援は感謝の気持ちから発露していることは間違いないであろう。
 しかし本当にそれだけなのか。私たちはこのウイルスによって人と人の分断を強いられた。そして肉体的な病気を治す場所は医療現場に他ならない。さらに現在、私たちの潜在意識にすり込まれてしまったウイルスに侵された者に対する「視線」は、限りなく人ではないウイルスそのものに置き換えられている。
 では、そのウイルスに侵された人と最も接近して、ウイルスそのものと交戦している場所はどこか。それは医療現場に他ならない。私たちは医療現場に従事している人に対して、人を治療する存在以上にウイルスを撲滅する戦場の最前線で戦っている姿を見い出しているのである。
 最前線において成されるべき事はただ一つ、ウイルスの撲滅という勝利以外にはあり得ない。ウイルスの撲滅という果てなき戦場に身を投じる医療従事者そのものに私たちは敬意を感じている。そして日本国民として一致団結した態度で臨むという共通認識の下で再び分断された人と人の融合を目指しているのである。
 ウイルスにより分断された人と人は、最前線で戦う医療従事者と一体となる事により、再び再融合を果たそうとしているのではないだろうか。新型コロナウイルスとの戦いで救いとなるのは、20世紀初頭に繰り広げられた人と人の戦いではなく、ウイルスに感染した人を媒介とした、人とウイルスの戦いに置き換えられている事である。この置き換えにより、私たちは人と人を傷つけ合う争いに対して団結するのではなく、本質的に人を助ける最前線で戦っている医療従事者に対して一致団結できる点であろう。


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