最近の記事

お口の中の健康

 お口は外側に出た臓器の一部であると言われています。考えてみれば当たり前ですよね。食べ物はお口から入るし、深呼吸するときは口からも空気を吸い込みます。  コロナウイルス[1]の大きな特徴として、飛沫感染があげられますが、それもおしゃべりの時に口から出ている飛沫によるものだと指摘されています。  先日、大阪府の知事が興味深い発言をしていました。「歯科医でのクラスター発生はほとんど聞かない」という様な趣旨です。  私は、少し前から歯科治療を継続しています。治療中はお医者さん

    • リキッドとソリッドなもの

       グローバル化して世界が流動的(リキッド)になった。流体は常に隙間を見つけて流れ続けて、その流れによって個体(岩)をも削り取る。  宗教や人種、イデオロギーが流動化して、人々が持っていた固定化した感覚が削り取られて行く。そこに危機感を持ったのが「トランプ」派だろう。  流動化した社会を生きる事ができるには、固定化(ソリッド)したモラルを持たない人たちである。ポリシーを持たない事がポリシーである事はリキッド(流動化)な時代には有効に作用するのだ。  それがポリティカルコレクトネ

      • バチェロレッテ福田萌子の結婚行動の考察

        <序論>  バチェロレッテに登場する女性、福田萌子は最終段階で残った二人の男性との交際を拒否した。この事実から考察される彼女の結婚対象となり得る男性像とは、無限の理解者である父親である。そして限りなく父性に近い父親像の男性であっても萌子は最終的な選択段階においては交際を拒否するだろう。  萌子は究極的に自分自身の自我との結婚をイメージし、異性としての男性は誰でも良いと言う結論になる。 <論述の方向性>  では何故、福田萌子がこのような結婚行動の帰結となるのか、彼女の一連の行

        • 9月入学についてーー日常を考えるーー

           9月入学。ここに来てマスメディアの表現が変化してきている。  例えば当初SNSの運動を通じて呼びかけを行った人々に対し、「一部の」と言った限定的な表現をしたり、運動が高校生により発露されたとの事実を積極的に報道し、その後に教育界の各学会各派が批判し、9月入学に否定的な高校生の意見を採り上げるなど、その伝達様式において若干の姿勢変化が見うけられる。     この事自体は、特に問題ではない。なぜならこの状況下において議論を重ねてきた結果、さまざまな実務上の問題点が顕在化されたか

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          給付する側とされる側

          10万円の給付について以下投稿を見て頂き、その上で私の私見を述べてみます。 「なぜ10万円給付に時間がかかるのか」https://note.com/politic/n/n445ebc670a87  上記の内容から様々なプロセスを経て給付がなされる事は理解できます。異常に複雑なプロセスに至る原因が「二重給付」を抑止する事「特別な配慮を要する人」への対応を中心に多岐にわたる事も読み取れました。  ただ、それはあくまでも給付する側の論理であって、想定する様々な状況は、給付

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          在宅勤務 一投稿

           在宅勤務を機会に自分の与えられた仕事が、本当に必要な仕事なのかを自問すべきでしょう。実際、自分が必要だと思っている仕事の9割程度が、別にやってもやらなくても良い仕事です。  つまり、仕事した気になっている仕事はそれほど重要ではないと言うこと。なぜなら在宅で「出来てない」のですから。  本当に必要な残りの1割に集中して、仕事の品質を上げるべきでしょう。そうすれば、それに見合った賃金で納得もできるし、無駄な9割の仕事時間は家庭に還元する事ができます。  在宅勤務は会社の仕事をそ

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          不安の正体

           最近特にウイルスの感染拡大を名目に「リスク回避」「不安」の文字が横行している。これはウイルス、とりわけ病気に対する正統なリスク評価がなされていないのではないか。評価基準がわかりにくく、あるいは受け止められ方が曖昧で想像的なものであるから、生み出される「不安」が連鎖されるのであろう。  すでにこのコロナウイルスは全く別種の病態へと変異している。肉体的諸症状に加えて精神的な症状を引き起こしているとも言え、社会的に構築された病態に対して、その諸症状に対する医学的な治療薬はおそら

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          収束の先

           感染が収束した頃にはすっかり変わってしまった世の中が見られることかもしれない。あるいはあまり変わらないかもしれない。  でもその中にあって変わるものと変わらないものがより明確化されているかもしれない。例えば、学校や受験制度も大きく変わるだろう。でも学ぶ意欲とその意味は変わらないと思う。働き方も大きく変わるかもしれない。でも働く本質、誰かのために自分か働くという事は変わらないと思う。生きていく事は変わらない。でも生きる意味そのものの生きがいを何に置くかは変わると思う。それは

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          習慣を変える

           在宅ワークを行うために必要な事はなにか。それは昔ながらの習慣を変えるという事である。  習慣と言えば私たちが当たり前に身につけている、あるいは当たり前だと思っているいくつかの常識でもある。  常識を疑ってみると言えばもう使い古された言葉かもしれない。しかし、常識とは意外と根深いものであり、私たちの日常的な行動を大きく規定している。  代表的な例をいくつかあげてみよう。決まった時間に職場に行く、重要な文章には印鑑が必要、学校の卒業式は3月で進学や就職は4月、そして新年度

          習慣を変える

          デモに対する批判的意見

           この時期デモをするのは色々な意味でリスクの高い行為と言えるでしょう。しかし、民主主義国家、非民主主義国家問わずデモは政治に参加する大切な行為だと考えられた事はあるのでしょうか。  このウイルス騒動の恐ろしい一側面として、人と人の交流を阻害する様相が多分にあり、そしてそれを政治的に利用可能な論理にしてしまったところにあります。  これは人と人の交流を阻む新たな全体主義の萌芽と言って良いでしょう。  デモ行為を批判する皆さんはその事をもう少し真剣に考えるべきです。人と人を

          デモに対する批判的意見

          新たな道徳観と脱都市化について

           新型コロナウイルス猛威による社会の混乱が加速している。このウイルスの特徴は新型という名の通り、潜伏期間が長く、時に無症状であるがゆえ自身が意図せざる新たな感染源として存在してしまう点である。  さらに感染による症状も比較的軽度な状態から重度な状態と幅が広い事が特徴であろう。また、比較的早い段階で指定感染症となり、結果的に無症状から軽症、中症そして重症と幅広い範囲の人々が医学的な隔離対象となってしまった。このことから医療資源枯渇を生じさせる様相を呈し、全社会的な影響を現前して

          新たな道徳観と脱都市化について

          外出のリスクと向き合う

           海外旅行から帰国した若者、多くは大学生のようですが、帰国後に感染が発覚することが多発しています。世間ではこれを非難する論調が目立ってきました。  では、海外旅行や国内旅行もそうですが、人が外出して移動する事のみが責められる行為なのでしょうか。確かに外出しなければ、ウイルスに感染するリスクが減るのは確かでしょう。しかし、事はそう単純ではありません。  まず、人は自己決定において自身の行為を自由に処分したいと本能的に願うものです。出かけたいときに出かけ、家にいたければ家

          外出のリスクと向き合う

          コロナショック!?学校閉鎖の一考察

          人の移動 本当に感染拡大を止めるのであれば「人の移動」そのものを停止する必要がある。(2月28日深夜発表北海道の外出自粛のように)。しかし、それが与える社会的な影響を考慮した場合、余りのも多くの損失を招く結果となる。  そこで2次的代案として完全に感染拡大を防ぐ事は出来ないが、少なくとも一部の人に対して「人の移動」の制限をかけることは可能である。今回その対象として絞り込まれたのが「子ども」であろう(政府発表のとおり)。 流行時期 実際、この時期はインフルエンザの流行時期で

          コロナショック!?学校閉鎖の一考察