リレー小説 note20 最終話「その後のワニ」前編

19話 目次 後編

リレー小説ラスト行きます。18話に登場したワニくんと金井ノトちゃんをお借りしました。あと後編に続きます。

 ワニはご機嫌斜めだった。

「……俺、やっぱ会見パスするわ。ノトが代わりに出て」

  ハイブランドスーツに着替えている今でさえ、往生際の悪いセリフを吐く。私は軽く一蹴した。

「百人以上のマスコミ関係者が、覆面ベストセラー作家のお出ましを待ってるのよ。代理人でお茶を濁せるムードじゃないの」

「じゃあ、お前が作者だったって事にしよう。俺の顔は割れてねーんだし、な、決定」

「残念ながら、私じゃ世の中をあっと言わせるインパクトはないわ」
 
そう。
 
 私、金井ノトは、容姿も性格も十人並みの、ありきたりな26歳。
その上、編集者が実は覆面作家の正体でした、なんて、ステマが疑われる案件だ。

「俺にだって、別にインパクトなんかねーよ」

 大真面目な表情に、半分呆れながら、私はこの数年間、何度となく繰り返した言葉をワニに告げた。

「あなたは生い立ちにドラマ性があるわ。本質よりバックグラウンドがもてはやされる現代には、ぴったりな作家なのよ」

そーゆーのが、やなんだよ、という、ワニの呟きを聞き流し、私は続ける。
 
「それに、あなたはとても綺麗だもの。フォトジェニックな見た目はブランドになるわ……世間はきっとあなたに夢中になる。あなたの書いた、『未来ノート』と同じくらいに」

「俺が書いた……ねえ」

  吐き捨てるようにワニは言い、青みがかった瞳が左右に揺れる。
  私は、手の止まった彼の代わりにネクタイを巻きながら囁いた。

「青木賞受賞、おめでとう。輪道敏成先生。あなたは紛れもない成功者よ」
 
ワニこと、青木賞作家、輪道敏成は、眉間に皺を寄せた。

「びっくりするほど嬉しくない」
「まだ実感がないだけよ」
 
ネクタイの結び目をきゅっと絞り、私はワニの背中を叩いた。
「はい。イケメンの出来上がり。四の五の言わずに行きましょう」
 
ワニは一瞬口ごもると、
「あのな、やっぱり……」
  思いつめたように私を見た。

「あんまりわがままが過ぎるなら、強行手段に出るわよ?」
  私は、テーブルにある一冊のノートを手に取った。

「私にはその力がある……わかってるわよね?」
  ワニは、ノートに目をやって、
「未来ノート、か」
  やっと聞こえるくらいの小さな声で呟いた。
  そして、
「くそっ。行けばいいんだろう。お望み通り踊ってやるよ。けどこれが最後だからな」
  肩を竦め、玄関に向かって歩き出す。
 
 そして振り向いた。
「あとさ、俺を綺麗だとか言うやつなんて、世界中にお前くらいだから」
「はいはいはい」
  私はワニの背中を押して、アパートを出た。



  ワニと出会ったのは、八年前の、私がまだ高校生だった頃だ。
   
『室町公園にワニがいるんだって!』
 
 真夜中、友人からそんなメールをもらった私は、居ても立っても居られなくなって、ワニを探しに部屋を飛び出したのだ。

(見つけたら、動画をYouTubeにアップしなくちゃ)

当時、動画制作が私の生きがいだった。世の中には見つけられていないすごいものがゴロゴロある。
埋もれている才能、磨かれる前の身近なダイヤモンド、捨てられてる宝が、多分山のようにある。
それを拾って、世界に紹介するのが自分の使命なんだって、いっちょ前に考えていた。
そんな私のアンテナに、ワニの都市伝説はピピと引っかかった。運命を感じる何かがあった。

 全力で走ったので、公園に辿り着いた時は、背中にじっとりと汗をかいていた。
 夏の終わりの公園は、しん、と鎮まりかえっていてワニどころか猫の子一匹の気配もなかった。
 
とりあえず、公園の隅々を確認して回ることにした。
どこにも、誰もいなかった。

ブランコの後ろにも、茂みの奥にも。

「ガセネタだったか」

 私は最後の望みをかけて、土管型遊具の中を覗いてみた。
 
ワニはいなかったけど、代わりに面白い物が転がっていた。

それは、「未来ノート」と書かれたたA4判の大学ノートだった。

「『未来ノート』?  そんな、まさかね」
 
未来ノートの噂は、その頃何度も耳にしていた。

書いた事が全部叶う、魔法のノート。

私は、ノートに挟み込まれていたペンで、「ワニに会わせて」と書いてみた。
 
数分たった。
何も起きない。
「……だよね。帰るか」
 私は、苦笑し、公園を出ようとした。
 
その時、
「おい。待てよ」
  くぐもった声が、私の耳に飛び込んできた。
  ぎくりとして振り向くと、ジャングルジムのてっぺんに背の高い少年がたっていた。
  汚れた衣服に、伸び放題の長い髪。
  すだれのように長く垂らされた前髪からは、切れ長のシャープな目が覗いている。
 
動物のようにギラついた、どこか憂れいのある眼差しに、私は一瞬で釘付けになった。

「それ、俺のなんだけど」
 少年は、私の手元を指差した。

「あ、ごめんなさい」
  ノートを土管の上に置くと、少年は私をまじまじと見て、

「あんた、早く家に戻った方がいいよ。夜の公園には変なヤツも多いから」
 
早口でそう言った。
「わかった。あのね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに」
少年はジャングルジムから降りてきた。
間近で見ると、その顔はとっても美しかった。
磨かれる前のダイヤモンド。
心臓がざわざわと音を立てる。

 「この公園に、ワニがいるらしいんけど、君、見たことある?」
「ワニ?」
「そう」
「あー」

少年は、照れ臭そうに天を仰ぐと、
「それ、多分俺のこと」
  そう呟いた。
  
  ワニとあだ名をつけられた輪道少年は、数年前から室町公園に住み着いていたらしかった。
 アパートにワニ少年を連れ帰り、食事と着るものを与えたら、彼はお礼にと未来ノートを差し出した。

「本当にくれるの?  望みがなんでも叶う魔法のノートなんだよ?」
  驚きを隠せない私に、ワニはあっさりと頷いた。

「俺は字が書けないからな。あんたが持ってた方がいいんだよ」
  ワニは宝物を手にしていながら、一度も使ったことがなかったらしい。
 
私は、「ワニが文字を書けるようになる」とノートに書いた。

 ワニはスラスラと字を書いた。

「ワニが学校に行けますように」
  地域の民生委員が飛んで来て、ワニは中学に通い始めた。
 
「ワニに家族が出来ますように」
 目に見える変化はなかったけれど、その後もずっとワニは私のアパートに住み続けたから、ある意味、私が彼の家族なのかもしれなかった。

 私は次々と、ワニで未来ノートの効き目を試していった。
 小さな望みは全て、叶った。
 文字を覚えたワニは、中学を首席で卒業し、奨学金をもらって地元で一番偏差値の高い高校に入った。
 
私は、文芸出版社に就職し、たくさんの原稿を見る中で、はたと思いついた。

「そうだ。ワニを作家にしよう」
  もちろん未来ノートにそう書き込み、ワニは小説を書き始めた。
 
小説のタイトルは、「未来ノート」。

小説「未来ノート」は、本物の「未来ノート」のおかげで瞬く間にベストセラーになった。執筆中のワニの横顔はとても美しく、私はいつも見とれてしまった。

ワニは、いつの間にか、二十歳の大人へと変化していた。
今こそ、大きな望みを試すべき時だった。
公園で私が拾ったダイヤモンドが、そんじょそこらの石とは格が違うと、世間に知らしめるときだった。
私は、興奮に震えながら「『未来ノート』最新刊が青木賞を受賞する」と書き込んだ。
そして、今日の日を迎えたのだ。


後編に続きます

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