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アイスランド旅行記㉞別れと因縁のアイスクリーム

前回までのあらすじ

BSIバスターミナルで、見知らぬ人にオレンジを分けてあげるべきか否か…というジレンマ(というほど悩んではいないが)を味わった。始発のバスに乗り込み、ケフラビーク空港へ向かう。
自分の人生で二度と踏むことは無いかもしれないアイスランドの地面をしっかりと踏みしめ、空港に入った。

さて、今回は最終回ということで、ちょこっとボリューミーでお届けします!(エピローグはまた別で書く予定です)

出発ロビー

ケフラビーク空港の出発ロビーは、こんな感じ。

広々とした空間に、ガラス張りの天井。そして近代的な骨組みに、お洒落なベンチ。何もかもが、日本の空港とは違う。夜明け前の暗い空も相まって、宇宙的な雰囲気さえある。

初老の男性二人がくつろぐ姿はまるで映画のワンシーンみたいだな。

ロビーの中央にはカフェがあり、それを取り囲むようにお土産物屋さんや免税店が並んでいた。
カフェと通路を仕切るボードを見ると、アイスランドの街並みを表現した飾りが付いている。さりげない遊び心に溢れたケフラビーク空港!

高い建物はハットルグリムス教会。

アナとの別れ

ナムと別れた後、しばらくの間アナと二人でいたのだが、彼女との別れの時間も近づいていた。私もアナも日本に帰るのだが、飛行機は別々。時間はアナの方が早かった。確かアナはヘルシンキ経由だったと思う。私は行きと同じコペンハーゲン経由。これも今思うと、帰りは違う経路にした方が楽しかったのかもしれない。次の旅に活かしたい。

このアイスランド旅行を振り返ってみると、最初の2日間は一人旅だった。それはそれでハラハラしつつも楽しめたのだが、3日目の朝にレイキャビクの市庁舎でアナに出会った時、同い年の日本人の女の子がいたことにどれほど安堵したか。キャンプ中はずっと支え合った仲。自分で言うのもなんだがお互いシャイなので、別れ際もシンプルだった。最後にどんなことを話したのか、あまり覚えていない。オレンジの件で話した言葉ははっきり覚えているのにね。

搭乗口のギリギリ手前で、「じゃあね」くらいの短い言葉を交わして、私たちは別れた。帰る場所は同じだけど、住んでいる場所は若干遠いので、気軽に再会することはないだろうなと思った。別に会おうと思えば会える距離なのだが、定期的に会おうねとか、そういうのはちょっと違う気がした。
アナが搭乗ゲートに入っていく後ろ姿を見送った時、私は2週間ぶりに、完全に一人になったのだった。

お土産のあれこれ


アナと別れた寂しさと心細さを紛らわすように、私は家族や友達、バイト先へのお土産探しに勤しんだ。とはいえアイスランド土産は、例によってバイキングの毛皮やら、防寒具やら、学生には買えないような高級な物ばかり。そこで直前にスマホで調べたところ、「ICELANDIC CHOCOLATE」というチョコレートが美味しい、という情報を見つけたので、これを買うことに決める。アイスランドの様々な絶景がプリントされた包装紙に包まれたチョコで、見た目も上品な品物だった。

同じ物を3箱くらい買ってしまった。色々買ったところでカバンに入りきらなくなったので、自分へのお土産も兼ねてトートバックを購入した。シンプルだが北欧風のデザインがとても気に入ったのだが、このトートバッグにちょっとした悲劇が起こるのは数時間後のお話。

帰りの飛行機

ついに、自分の搭乗時間となった。
アイスランドから離れる時。

やや小さなICELAND AIR(アイスランド航空)の飛行機に乗り込む。まずはコペンハーゲンまで、3時間10分のフライト。この便は短時間で緊張するほどではないことが分かっているので、少し心に余裕がある。

アイスランドからデンマークヘ。

座席のモニターの地図には日本が入っておらず、今ヨーロッパにいることを実感させられる。こうやってみると、ワシントンD.C.ってアイスランドに近いんだなあ。

そんなこんなで、無事にコペンハーゲン空港に到着した。

行きは初めて1人で降り立った海外の空港にど緊張していたけど、帰りは少しだけ心のゆりとがあった。乗り継ぎまでも時間があったので、親友Nちゃんへのお土産に、ダーラナホースの置き物を買うことにした。この旅行記ではお馴染み(?)の、出発2日前にスーツケースを貸してくれた恩人Nちゃんは、ご家族が北欧雑貨好き。何度も遊びに行ったことのあるお家には、ダーラナホースが飾ってあった。あの空間に並べてもらえるかな〜と思いながら、気に入った物を見つけて購入した。

思えば、工芸品と言えるような物はこれしか買っていないので、唯一のちゃんとした北欧土産ということになるかもしれない。雑貨屋さんの名前は忘れてしまったが、雰囲気の良いお店だった。女性の店員さんは、私が店内をうろうろしていてふと目が合うと微笑んでくれた。幸せなショッピングタイムを過ごすことが出来た。

因縁のアイスクリーム

さて、行きのコペンハーゲン空港で起こった「アイスクリームの一件」を覚えているだろうか。(誰に向けて?)

覚えていない方は、今となっては遠い昔に書いたような気がするが、旅行記⑤を読んでほしい。
旅の1日目、私はコペンハーゲン空港内のショップでアイスクリームを買おうとして、大事件を起こしてしまったのだ。

そう、クレジットカード暗証番号3回連続間違い事件。今思い出すだけでも恐ろしい…。
店員さんに「Push your pin number.」(暗証番号を押して。)と言われ、暗証番号という概念がなかった世間知らずの私(19イヤーズオールド)が、愚かにも同じ番号を3回入れてしまったという悲しく情けない事件。このせいで、異国の地で1週間以上クレジットカードが使えない状態で過ごすことになったのである。

私は、ドキドキしながら例のショップに再び足を運んだ。
当たり前だが、2週間前と何も変わらない光景。
しかし、こちらには大きな変化がある。今回は絶対にクレジットカードが使えるのだ。怖いものなし!

あの時、レジに持って行ったのに買えなかったアイスクリームを、なんだか感慨深い気持ちで冷凍ケースから取り出した。意を決してレジへ向かう。クレジットカードを提示すると、あの時と同じく暗証番号を求められる。私は一桁ずつ確かめながら、正しい暗証番号を押した。

・・・・

クレジットカードは承認され、アイスクリームを購入することが出来た。

心の中で渾身のガッツポーズ。
お店の横には広いイートインスペースもあったのだが、高揚感のままどんどん空港を闊歩した結果、あまり人通りのない通路の椅子にたどり着いた。そこで一人、勝利のアイスを食べることに。

無事にアイスを買えたことがあまりにも嬉しく、脇目も振らずに(?)頬張ったせいか、ケフラビーク空港で買ったお洒落なトートバックと、着ていたセーターにチョコがべったりと付いてしまった。セーターは旅行用にEarthで買った安物()なので良かったが、ついさっき買ったトートにチョコが付いたとなれば、普段の私なら「最悪…」となって中々機嫌が直らない場面。でも、この時はあまり気にならなかった。トラベルハイだったことと、この汚れに色々な思い出が詰まっていることを思えば、むしろ勲章だよな〜なんて、くだらないことを考えながらアイスを完食した。

8000km越しのお説教

乗る便は、15:45 SK983 。

やがて飛行機の時間が近づき、スカンジナビア航空の搭乗口へ向かった。そこには、日本人がたくさんいたのだった。成田行きの飛行機なのだから当たり前だが、2週間ぶりに見慣れた人種が集まった光景を見て、ホッとする気持ちと、異国の旅が終わってしまうことを実感して、寂しさが一気に押し寄せた。

「これから飛行機に乗り、いよいよ帰ります」という連絡を両親に入れると、母から「伯父さんにお土産は買った?」と返信が来た。伯父さんは、旅に出る前にお小遣いをくれたのだった。例の「ICELANDIC CHOCOLATE」を買ったと伝えると、「チョコ〜?旅に出る時にもらうお金は餞別といって、それ相応のお土産を買って行くのが常識です。」と、怒られてしまった。

こればっかりは常識知らずだった私が悪いのだが、旅の終わりに最後のコペンハーゲン空港で達成感を味わっていたところにお説教をくらい、イヤな気持ちになってしまった。かと言って、もう他のお土産を買うお金も時間も無く、伯父さんにはチョコを渡した。(そんな反省もあり数年後の伯父さんの還暦祝いには皮のクラッチバッグをプレゼントした)
8000km以上離れていても、母親のお説教が心に与えるダメージは変わらないなと思った。

最初から最後までパーフェクトな旅など無いのだということを学びながら、成田行きの飛行機に乗り込む。とうとうヨーロッパとお別れだ。

エコノミー症候群との戦い

帰りの座席は、中央の5〜6人くらいの列だった。確か右から二つ目の席だったと思う。行きは端の2人列の通路側で快適だったのだが、中央の列はかなり窮屈だった。おまけに隣は体の大きいヨーロッパの男性で、圧迫感があり、しかも彼はずっと寝ていたのでトイレへ行くのも大変という感じ。これが12時間も続くとなると、かなりの耐久レースだ。おまけに機内は睡眠モードで電気も最低限に
消されている。

私は眠ってやり過ごそうとした。時々浅い眠りには入るものの、すぐに目が覚めてしまい、なかなか長時間ぐっすりとはいかなかった。

有名な映画でも観て気分転換しようとしたが、途中で話が頭に入ってこなくなりやめてしまった。

そうこうしている間に、私の体に悲劇が襲う。気付けば足がパンパンにむくんでいたのだ。とにかく足を伸ばしてマッサージしなければ、と強烈な痛みに耐えながら、なんとか機内のトイレまで歩いた。個室の中で足を高い場所に置いて必死にマッサージをした。しかし、泣けてきそうなほどむくみが治らず、絶望的な気持ちになった。

それまで、バイトで長時間立ちっぱなしだった日の夜など、「足がむくむ」という感覚はもちろん経験したことがあった。しかし、むくみで泣きそうになるなんてことは初めてで、どうしたら良いのか本当に分からなかった。打撲や足を攣った時の痛みとは違い、未だかつて無い種類の痛みに悶絶した。

今思うと、あれはエコノミー症候群になりかけていたか、もうエコノミー症候群の初期症状が出ていたのだと思う。長時間のフライトに慣れておらず、十分な対策が出来ていなかったのだ。トイレに行く回数を極力減らすため、水分をあまり取っていなかったのも良くなかった。

客室乗務員に伝えた方が良いだろうかとも思ったが、伝えたところでどうなるのかという疑問もあり、ただ治るのを待つことにした。
上空1万メートルの機内の小さなトイレの個室で、対処法も分からない足のむくみと戦う。この経験がかなり辛かったせいで、私は若干の飛行機嫌いになってしまった。もともと高い所は平気で、山の山頂や東京タワーの透明な床などは全く怖くない。しかし、陸地と地続きではない「浮いている小さな空間」は、何か起きても逃げ場も無いというトラウマが残ってしまった。

帰宅

絶望的なエコノミー症候群との戦いになんとか勝利し(?)、やっとの思いで成田空港に辿り着いた。
行きは在来線で成田まで来たのだが、母から「成田エクスプレスで帰っておいで。」と言われ、そうすることにした。成田エクスプレスは乗ったことがなく、切符の買い方も値段も知らなかったが、2週間の旅を経て「ここが日本ならどうとでもなるよな」という考えが私の中で確立されていた。言語も文化も慣れ親しんだ場所で生活出来ることの素晴らしさを知ったのだ。(これについては、エピローグで綴りたい。)

行きより電車に課金し、最寄り駅に着いた時はちょっと不思議な感じがした。まるでタイムトラベルをして現代に帰ってきた映画の主人公のように、「ああ、戻ってきたんだなあ。」という感慨深さがあった。駅まで迎えに来てくれた母親の車で自宅に帰り、最初にしたことはシャワーを浴びることだった。果たして、最後にシャワーを浴びたのはいつだったか。時差もあったのでよく分からないが、12時間のフライトの前はレイキャビクのバスターミナルで夜を明かしていて、その前も12時間くらいはリングロードをバスで一周していたことを考えると、丸2日ぶりくらいではないか。しかも、キャンプ地でのシャワーは満足にお湯が出なかったため、快適なシャワーは2日目のホテル以来かもしれない。お湯を存分に使える自宅のシャワーは最高だった。

その後、母が作ってくれたご飯を食べた。もはやお昼ご飯なのか夜ご飯なのか、何なのか分からないが、リクエストした「和食」である白いご飯に卵焼き、焼き魚とお味噌汁をいただき、心からホッとして、時差ボケを修正するように深い眠りについた。

2017年3月4日、私の2週間のアイスランド旅行の幕が閉じた。


これでアイスランド旅行記はおしまいです。
エピローグを書きますので、よろしければご覧下さい。
長い間お付き合いいただきありがとうございました!
🇮🇸

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