VTuberのガワとタマシイ

※この記事内では、バーチャルYouTuberにおける2D及び3Dのアバターを「ガワ」、キャスト(いわゆる中の人)を「タマシイ」と表記します。


VTuber文化が醸成されていくにつれて、タマシイが変わることの是非について頻繁に議論されているのを目にするようになりました。

最初期ではそもそもVTuberの大きなメリットの一つに「ガワとタマシイが分離できること」があるはずでした。
しかしながら、長い時間慣れ親しんだVTuberのタマシイがある日を境に変わってしまうことは、アニメキャラクターの声優が変わることよりもインパクトがありました。

これは私なりの一つの仮設ですが、「ガワはタマシイに影響を与え、タマシイもまたガワへ影響を与える」ということです。

見た目に応じたロールプレイをするVTuberも数多く存在しています。(むしろある程度の初期設定にこだわるタマシイは多い)
演技をするとその役になりきり、元々の人間性にも侵食するというのはよく聞く話です。さらにVTuberをしていると常にそのガワを前提として周りからは見られます。これもまた重要なポイントでしょう。

そしてもう一つは、タマシイがどんな性質なのかによって、同じガワでも人へ与える印象は異なるという事実です。
イラストとしてガワが発表された瞬間の印象と、半年・一年とVTuber活動を経たあとの印象が大きく変わったVTuberはたくさんいると思います。
実例として、にじさんじ所属の郡道美玲や卯月コウは、「ガワが画面に出ただけで笑ってしまう」というコメントも散見されています。

物理的にも理論上にも、ガワとタマシイは分離することができるし、決して1:1である必要もないのは紛れもない事実ではあります。
…が、この二つはとてもとても密接な関係になり得るもので、簡単に付け替えてまったく同じ効果が期待できるものではないということがわかってきました。

VTuberの性質だけに着目し、ビジネス観点のみでコンテンツを作っていこうとすると、この重要なポイントを見逃してしまうのかもしれません。
(いわゆる「愛があるかないか」で成功するかどうかが左右する系の話ですね)


さらに興味深い話として、BANs及びにじさんじネットワーク所属になった天開司は、(詳細は省きますが)ガワが完全に変わった経歴があります。
しかし同一のタマシイであることが明確であったためか、ガワが変わったとしてもほとんど拒絶の声は聞きませんでした。


この「ガワ」について、いくつか関連しそうな事例を挙げてみる。

非オタクが勘違いしがちなことに、キャラクターというのは見た目の比重が大きいと思われることがある。
もちろん見た目は重要なポイントの一つであることには違いない。だが実際はキャラクターには無数の設定が存在することが多く、ストーリーに裏付けられた性格や背景がそのキャラクターを重厚なものにしているのである。

これはAKB48のような劇場型アイドルにも同じ理論が適用できる。AKB48に詳しくない人は、彼女たちの外見だけを見て「クラスにいるレベル」と言い放つ場面をよく見たことがある。
もちろんこの人も彼女たちの背景は知らないのだ。


つまりどういうことかと言うと、VTuberもキャラクター産業であることは間違いないが、その本質はガワではなく絶対的にタマシイ側に存在しているということ。
そして活動を通していくことで、キャラクターも成長してコンテンツとして成熟する。

企業が数多くこの業界に参入して盛り上がることは、1ファンとして歓迎しているが、この部分を勘違いして爆死する事例が少なくなることを切に願う。

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