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「ポーランド旅行と眩しかった存在」2024年4月24日の日記

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・留学期間中最後の長期旅行として、ポーランドに1週間ほど滞在していたため、その時のことを記録に残そうと思う。

・そもそも、なぜポーランドを最後の旅行地に選んだのかというと、ポーランドの首都ワルシャワに留学している大学の友人を訪問するためである。
ルームメイトのいるフランスや食事がおいしそうなスペイン、チェコやハンガリーと候補地はあったものの、景色が美しい/渡航時間が少ない/あまり混雑していないといった希望の条件を満たす国がポーランドだった。しかも、今なら実際にそこで暮らしている友人の案内付きである。

・結果として、これまでの留学生活の中で最も充実したのではないかといえるほど、人との出会いに恵まれ続けた旅となった。
正直旅行前はほとんど知らなかったポーランドに対する印象もがらっと変わったので、これから旅行に行く方や興味がある方に、ぜひとも参考にしてほしい。

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・1日目。
10月に初めて生活圏を離れヨーロッパ旅行に挑戦して以来、旅行はすっかり手慣れたもので、バックパックに詰めた液体類が引っかかっても、悠然と待ち続け「Thanks」と返す余裕もある。

・フィンランドとポーランドは離れているように思えるかも知れないが、ヘルシンキからの直行便はもちろん、わたしの暮らすトゥルクとポーランドのグダニスクも、2時間程度の渡航で、1万円以下の直行便もお手軽だ。

・飛行機の窓から見える景色は緑一色。
4月後半でありながら未だに雪が残るフィンランドの土地からは似てもつかないような光景にぐっとテンションが上がる。

・飛行機の離陸時、重力がかかってスタートダッシュをかけようとする機体を乗客全員で応援しているようなあの一体感も好きだが、着陸の瞬間も同じくらい好きだ。さっきまでトミカのように見えていた眼下の車、それに乗車している小さな登場人物の1人1人に戻っていく感覚が良い。

・あっという間にポーランドに上陸。
空港のポーランド語がさっぱり分からず、フィンランドに初めて来た日を思い出してワクワクする。

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・初めにわたしが訪問した町はクラクフだ。
既に桜が散った後で、青々と茂った木々が眩しい。
同じヨーロッパといえど、フィンランドと比較してメルヘンチックな家が多い。前者が王道ファンタジーの王国騎士団の建物だとしたら、ポーランドは主人公が暮らすはじめの村みたいだ。

・中心部へ近づくと、小窓がついたおしゃれな外装のアパートが増え、一見イタリアやドイツを連想させる。しかし通行人はずっと少ない。

・ポーランドは全体的に、のんびり迂回して緑を楽しめる公園が多く、クラクフは中でも最大級の規模の公園があった。
有名な観光地でもある旧市街を取り囲むように舗装された公園の中央広場は若干治安が悪く、募金を呼びかける団体やお金をせびるホームレス、観光案内を請け負うタクシー業者などから頻繁に声をかけられる。
それと同時に「写真を撮ってもらえませんか」と同じ観光客からお願いされることも多くなり、自分の姿から「旅慣れ」が伝わっているのかなと思うと、少し嬉しくなってしまった。

・クラクフはフィンランドと比べてかなり観光地化しており、土産物屋の中には「クラクフに訪れましたクッキー」ともとれるような商品がいくつもあった。

・そんな土産物屋にほぼ100%の確率で並べられているのがドラゴンだ。
どうやら、クラクフのヴァヴェル城のふもとにある洞窟に住んでいた悪名高いドラゴンを、靴職人見習いが機転を利かせて退治したところ、王の娘と結婚したといった言い伝えが広まり、ドラゴンがクラクフのアイコンとして定着したらしい。

・クラクフはこの旅行中に訪問した3都市の中で最も「古都」といった印象で、お洒落でコスパも十分のカフェが多かった。

・ポーランドの印象ががらっと変わったのもこの日で「思ったよりぜんぜん暮らせるじゃん」と思った。

・飲食店での外食も1000円~奮発しても3000円ほど、交通機関は20分乗り放題チケットが120円ほどで、遅れもほとんどない(降雪の影響を度々受けるフィンランドよりずっと少ない)。
チップの習慣はほぼなくクレジットカード決済が主流で、ホテルの水も飲める(スーパーで水を購入したとしても100円以内)。
北欧のクリーンなイメージに何となく安心していたけれど、ポーランドだってめちゃめちゃ素敵な国じゃないか。

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・2日目はクラクフからバスで2時間の距離にあるアウシュヴィッツ収容所を訪問し、唯一の日本人ガイド中谷さんのツアーに参加した。

・アウシュヴィッツ博物館と、そこからバスで10分ほど移動した先にあるビルケナウの野外展示を含めて3時間ほどのツアーだったが、現地の展示は簡易な説明が多く背景や細かい情報は母語でないと中々理解しにくいので、お金を払って聞く価値のあるツアーだと思った。
情報量が多かったため、次回の日記ではこのツアーの詳細について書く。

・全体を通して、ただ目の前の展示に心を揺さぶられ、一時的に感情移入するのではなく、自分にとって身近な出来事と重ねながら、アウシュヴィッツでの惨劇について長い時間をかけて理解していってほしいというメッセージが根底にあり「知って満足」に終わらないところも良かった。

・その後、ツアーの参加者6名と夜に再度合流し、12時まで居酒屋をはしごしながらたくさん話した。

・参加者はわたしと、同い年のイギリスの留学生、ワーキングホリデーをしている3人(2人は共通の友人でイギリス在住、もう1人は南フランス)、そして趣味で旅行中の弁護士さんと、どうやって知り合ったのかと伺ってしまうようなでこぼこグループだ。
全員がポーランド以外の国からやって来た観光客というのも中々珍しい。

・助産師の資格を保持したまま、海外で新しいチャレンジをすると渡航した方や、英語に加え新たな言語を学んでみたいとワーキングホリデーを選んだ方、後々分かったのだが弁護士さんは薬剤師の資格も取得済みという異色の経歴の持ち主で、どのメンバーも眩しいなぁ、わたしの話なんて面白いのかなぁと自信をなくしそうだったが「フィンランドに留学中」というフレーズも十分なインパクトらしく、気後れすることなく話すことが出来た。

・旅先で偶然出会った日本人同士で一夜語らう、まさに「観光」ならではの出会いだと思ったし、会話自体も濃密で、最高に充実した日だった。

・次の日は朝の時間をたっぷり休息にあて、初日に周りきれなかったいくつかの観光スポットを散策した。

・ポーランドでは基本英語は通じるが、フィンランドの人々と比較するとややぎこちなさは感じる。
英語が出来る人とそうではない人の差も激しく、カフェの店主との会話に苦戦する場面に遭遇した一方、1人で自撮りをしようか迷っていると気軽に声をかけてくれる現地住民もいた(前提として、95%の人には英語が伝わると思う)。

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・その後は首都ワルシャワに移動。
ワルシャワに留学している大学の友人と合流した。

・画像はポーランドの伝統料理が有名なチェーン店(日本でいう吉野家、日高屋的な店)のポテトパンケーキだ。名前の通り、パンケーキほどの厚さのじゃがいもにスープをつけて食べる。
1917年にやっと独立を果たしたフィンランドと対照的に、ポーランドには約1000年という長い歴史があり伝統料理がかなり多かった。
スープやお茶はやや独特な味がするが、ほとんどの料理は日本人に優しい味付けで、辛すぎるといった問題は全くない。

・コスパ最高のお昼に満足し外に出ると、最も有名な伝統料理の1つであるピエロギの着ぐるみとその助手が手を振ってくれた。

・歴史を感じさせる街並みのクラクフとは反対に、第二次世界大戦後の壊滅状態から復興を果たしたワルシャワ。
旧市街はドイツと北欧が融合したような建物が多かったが、中央駅に近づくにつれビルもそこそこ見られた。

・その日宿泊したホステルでも、日本人と遭遇。
彼女は大学卒業後、ここで日本語教師としてワーホリ生活を始める決断をしたものの、研修期間中は月給3万円、正規で働いても6万円という厳しい現実に直面したばかりだという。
一昨日会ったばかりのイギリスにワーキングホリデー中の2人組は「生活費も食費も高いが、仕事と旅行と貯金が並行してできる程度には余裕がある」と話していたので、彼女の体験談には衝撃を受けた。

・観光客の身からすると(かつフィンランドに留学中の自分からは)ここでの外食は贅沢に入らないような額だと思えてしまうが、実際に生活している側からすると外食は充分贅沢な行為だという。
中谷さんのツアーの根底にある複数の視点から物事を見る重要性と通ずるところもあると思う。

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・最終日は北東の港湾都市グダニスクへ。
雰囲気は神戸、横浜といったところか。

・1日で歩ききれる丁度いいサイズの都市で、可愛らしい色合いの建物が延々と続いているかのような大通りは圧巻。
「ワルシャワが1番だけど…」と述べる友人が最終的には「栞(仮名)のおかげで訪問できて本当に良かった」と言ってくれるほど美しい場所だった。

伝統料理ピエロギ(通常は白色)
今回はほうれん草入り

・翌日はグダニスクからの直行便からトゥルクへ。
空港の距離はやや家からは離れているが、定期券の範囲内なので1時間もしないうちに帰宅。

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・はじめは何か国か巡ろうか逡巡し、現地の交通機関のチケット購入にも頭を悩ました(そして友人にも初歩的な質問を何度も投げかけた)今回の旅だったが、結果として約6日間という期間でポーランドの3都市をじっくり周遊する、満足のいく旅になった。
国選びから駅と駅の乗り換えなど、事前準備をしていたことでハプニングもほとんど起こらず「旅じょうず」にもなったかなと少し自信もついた。

・しかし、もし留学初期にポーランドに観光していたとしたら、わたしは旅先で出会った人々には会えていなかっただろう。
これまで培ってきた経験と、積み重ねてきた時間からくる自信によって、海外でそれぞれの道を歩む、これまでなら目を背けてしまうくらい眩しく思えた人々に対しても堂々と「自分の言葉で」話せるようになったという部分に、自身の成長を感じた。

・留学終了まで残りわずか14日。
渡航する前は目を逸らしてしまうような羨望と憧れに、近づいていくような日々になっているだろうか。
トゥルクでの生活が終わりを迎えようとしている。

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