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木原事件 「事件性なし」の殺人事件(3)

逸子は鬼原に向かってこう叫びます。「あなた!何とかしてくださいよ!いじめられているのはあなたの子ですよ!」週刊ブンブンの記事は人づてに、でも確実に広まって行き、鬼原の子供たちの通学・通園にはそれなりの影響が出ていました。鬼原は逸子の勢いに押されるように「週刊ブンブンの記事は事実無根であり名誉毀損で刑事告訴する。又、法務省に重大な人権侵害として告発する」と言う文書を公表しました。この文書は政治記者クラブ所属各社に配布された為、その後、週刊ブンブン記事にフォローするメディアは全く出て来ませんでした。

逸子には民雄との間にも二人の子供がいました。長男は逸子が鬼原と入籍した時点で既に小学校6年になっていて、その後、千葉にある全寮制の中高一貫校に入り、現在は日本を離れアメリカの大学に留学しています。高校生の頃、家に家宅捜査が入ったことをはっきり覚えている長男は今回のブンブン報道後も冷静に「母の為に迷惑をかけてすみません」と鬼原に電話をしています。一方、長女は鬼原と入籍後も家族一緒に暮らし、10才以上離れた妹や弟の面倒をよく見ていました。再捜査の時も「あなたのお父さんは自殺したのよ。今回もう一度警察が調べたけど結局問題なく終わったわ」と言う逸子の言葉を信じていました。あれから5年、大学生となった長女はブンブン報道など出鱈目だから見ないようにと逸子から言われているものの友達などから色々と情報が入って来ます。母はあんなの全部嘘だからと言っているけど本当はどうなのか、モヤモヤする日が続いていました。でもやはり家族として小学生の妹と幼稚園の弟のことが一番気になります。通学・通園時に写真を撮られたり、学内・園内でいじめに会っていないか、母親の逸子と同じように心配していました。鬼原は逸子が事件に関わっていることを知っているので「事実無根」でないことは分かっていながらも、兄弟を心配する長女や自分の家族いや自分自身を守る為に敢えて強気の対応をせざるを得ませんでした。しかし何があっても動じない逸子と異なり、それほど心の強くない鬼原は記事が毎週のように出されると仕事が手につかなくなり、毎晩酒びたりとなり自分の家に帰ることも少ない生活が続いていました。

民雄遺族は上申書が役に立たないことを知ると正式に弁護士を雇い、被疑者不詳のまま刑事告訴の準備を始めます。10月18日に大塚署に正式に刑事告訴状を提出すると今まで沈黙していたメディアもいよいよ動き始めました。テレ東は少し長めに過去の経緯などを報じ、それ以外の放送局もストレートニュースの形で刑事告訴を報じます。すると1〜3ヶ月はかかると言う専門家の予想に反し、この刑事告訴状はたった1週間で受理されました。しかしながら、その後大塚署は遺族に対して推定死亡時刻を誰から聞いたとか、斉藤元警部補とは他にどんな話を聞いたとか、とても過去の資料を見ているとは思えないほどの酷い質問をして来ました。そして刑事告訴から50日くらいしか経たない12月15日に大塚署は「事件性なし」とした書類を検察に送付したのです。

猿渡検事は大塚署から受け取った書類を読み終えると、既に遺族から届いていた新たな死体検案書を横に置いたまま深いため息をつきました。実は検察では事前に大塚署から連絡を受けており本件の立件票番号も分かっていました。既に遺体の鑑定書を含めた捜査差押許可状を裁判所から取り寄せていて事件性があることは分かっていたのです。それにも拘らず大塚署が出した結論は争った形跡がないので自殺で矛盾はないと言う2006年当時の結論そのままだったのです。「これはどう考えたらいいのか?単に事件当時送付を失念していた書類を送りますと言うことなのか?それとも刑事告訴状にある事件性ありの説明などは完全に無視し、どうにでもしてくれと言うことなのか?」余りにいい加減な報告書を前に猿渡検事は途方にくれていました。
(続く)

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