期待するには覚悟がいる
僕達は知らず知らず誰かに期待している。
頑張った自分を労い、褒めてくれないだろうか。
気になるあの人は自分に好意を持ってくれないだろうか。
わざわざ言わなくても、やってくれないだろうか。
ただ、現実はそんな浅はかな願いを叶えてくれるほど、都合良くはできていない。ほとんどが期待を裏切る結果になる。
けれど、その期待に応えなかった相手に「私のことを裏切った」と憤慨するのはお門違いだ。
わざわざ「期待してくれ」なんて相手は言ってないだろう。
つまり勝手に期待して、勝手に裏切られた。単に独り相撲をしているだけだ。
だから、いっそのこと人に期待しない方が何倍もマシだ。
そうしなければ裏切られる心配はないのだから。
期待しない≠疑う
こんなことを言うと人を疑って生活するのは悲しい、と感じる人がいるかもしれない。だけど、別に疑えと言っているわけじゃない。
ただ、期待しないだけ。
期待は未来への身投げと、過去への依存に根付いていると思う。
未来は確定していないからなにが起こるかわからない。1度も存在を知らない場所に行ってみたいとは思わないように、そもそも過去に経験しなければ選択肢として思いつかないはずだ。
できることをしないままにただ願うのは蛮勇でしかないし、過去に体験したことが繰り返される保証はどこにもない。
だから、今起こっていることに集中すればいいのだ。そうすれば期待に振り回されなくても済む。目の前のことを唯一無二として取り組んでいく。
それが期待しないためにできること。
それでも期待したいなら……
ただ、どうしても期待したくなる時がある。
自分と他者をどうしようもなく信じたくなるのだ。
それは全然良いと思う。
僕自身、未だに他者に対して期待している。
ただ、先日身につまされる出来事があってから、裏切られる覚悟をするようになった。それは自分自身への予防線というよりも、思い通りにならなかった時に他責しないために。
自分勝手に期待するのだから、せめて他の人を巻き込まないようにする。
それが礼儀だと僕は思っている。
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