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会いたい人に会いにいけない


会いたい人がいる。会ってみたいと思い続けている。かれこれ5ヶ月ほど。

Twitterを見ていると、「会いたい」と思うひとがでてくる。それで、何度か会いにいったことがある。いや、観にいくといった方がきっと正しい。その人の話が聞けるイベントなどに参加するのだ。

北海道から鹿児島県までの三分の一くらいの距離なら足を運んだこともあるので、惹かれる人の話を聞きにいくハードルは低いほうではないか、と自分では思っている。


そんなわたしが、なぜお会いするチャンスを棒にふり続けているのか。それは今回会いたい人が開いているイベントが、その人と確実に話さないといけない距離感のものばかりだからだ。

いやもちろん、めちゃくちゃ喋ってみたい。あわよくば顔を覚えて欲しい。

でもそれよりも不安が上回っているのが現状だ。
恥ずかしながら、上手く話す自信がないのである。
人見知りとはちょっと違うということもわかっている。

初対面の人と会話するとき、共通の大きな話題がない限り、大抵お互いのことを話すことになるだろう。しかしわたしは今、自分のことを自信をもって話せない。堂々と言える(と自分で思える)社会的立場もないし、かといって好きなことに全エネルギーを注いでいるわけでもない。

わかりやすい肩書きがあれば楽なのになあと思ってしまう。

もちろんそんなことを相手は気にもしなかったり、だめなことだと思わない可能性もある。というかむしろ、その人の安易に何かを否定しなさそうなところが素敵だと思っているので、その可能性は低いとさえ感じる。


だから問題はわたし自身にある。


大したことない自分に引け目を感じず、堂々と話すことができれば、正直肩書きなんて必須事項ではないと思う。しかし自信を持ってその場にいる自分がどうしても想像できないのだ。

自分のことについて話すとき、居心地の悪さを感じてしまうのではないか。そういう雰囲気はなんとなく相手に伝わってしまって、相手を困らせてしまったり、その場のせっかくの楽しい雰囲気に水を差したりしてしまうのではないか、と。

だからこの問題にゴールを設定するとすれば「自信を持つ」ということになると思う。ありきたりだけど大きな課題。そのためには納得感のある日常を送る必要がある。納得感のある日常を送るということは、理想の自分に近づくために、具体的に計画を立て、それを実行するということだ。

今回のわたしの場合、必ずしも理想の自分になっている必要はない。自分との約束(計画)を守り続けられているという自己満足感があれば、とりあえずは十分だろう。


と、いうことで!一週間の計画を立て、例の人に会うということに対する気持ちの変化を観察してみたいと思う!楽しみにしてろよ、未来の自分𓂃!

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