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【小説】花に水

 ひょうたんやま。おとぎ話にでも出てきそうな名前の町にそのギャラリーはあって、駅を中心に賑やかな商店街が続いていた。アーケードの間から夏の手前の日差しが差し込んで路面のタイルの図柄がきら、きらと輝いている。数百メートルの間にも花屋が数軒あり町の活気がわかる。角の熱帯魚店の前にはふくよかな赤白の琉金が一匹ゆうらりと泳いでいる。ガラスに自分が映り込んでいるので、肩にかかる髪を軽く整えた。口紅は落ちていない。
 アーケードが途切れ、右手の細い坂道を入ったところの古い木造家屋。壁もサッシの引き戸もペンキで塗られていて、なかの様子が全くわからない。談笑する声が漏れてきたので一呼吸つき平然を装って戸を開けた。室内は暗く、土間に造られたバーカウンター越しに柔らかな佇まいの女性が微笑みかけた。数人の男性がこちらを一瞥してから談笑の続きをしている。写真展を見にきましたと告げると女性がどうぞ、と上がり口を示してくれた。靴を脱いで赤い絨毯敷きの間に入る。突き当たりの壁には場内で一番大きな作品が飾られていた。写真の中で、若い母親がショーツ一枚で赤ん坊を抱いている。
 展示されている作品は全部で二〇点ほど。母子の住む部屋や町、ベビーカーを押して歩く母親の短いワンピースから伸びた脚、結婚指輪の嵌められた左手薬指、ピアス穴のいくつか開いた口元などが切り取られていた。撮られた日は引っ越しの数日後と見えて、積まれたダンボール箱から粉ミルクや紙おむつといった子育て用品だけが取り出されている。その雑然とした様子から、赤ん坊と暮らす日々の「待ったなし」な感覚が迫ってくる。
 改めて突き当たりの写真に向き合ってみる。陽のあたる部屋で笑顔の赤ん坊を右手で抱えた若い母親が、やや緊張した眼差しでこちらに視線を向けている。赤ん坊はピンクのベビー服を着ているのに対し、母親は黒いショーツ一枚。でもなぜかその光景がとても自然だ。光が溢れてくるような眩しさの奥から、強いエロスも匂い立っている。神聖なだけじゃない母性。母親には少女のような潔癖さも見える。それでいてあっけらかんと健康的。展示を三周ほど観たところで、後ろから声をかけられた。
 「写真は、よく観られるんですか」
カウンターで談笑の輪に居た黒いシャツの男性だった。この人の作品だったのか。こちらのスペースに、すっ、と入ってくる気配の消し方は確かに写真を撮る職業のひとならではかもしれない。穏やかな低い声と対照的な鋭い目つき。一瞬でうんと深いところまで見透かすような。あまり目を合わせられず、作品に目をやる。
 「いえ、そんなに観てる方ではないんですけれど……。先日偶然SNSでこちらの写真を拝見してとても不思議な魅力のある写真だなと思って。この女性は奥様……じゃ、ないですよね」 
 「奥さんでは、ないですね。知り合って3、4回目でした。会ったの」
被写体の母親の視線から伝わってきた緊張感はそのせいだったのか。
 「わたしは詩を書いてるんです。今度、『明るいエロス』ってテーマで作品を書かなきゃいけなくて。こちらの展示を知ってどうしても観ないといけない気がして」
名刺がわりにしている、最近の作品を集めた小冊子を差し出すと、男性は名刺をくれた。灘元 傑 Suguru Nadamoto/Photographer。灘元さんは受け取ってすぐに詩集を開き、その場で掛けて読み始めた。初対面で自分の仕事に興味を持ってもらうために作った冊子ではあるけれど、こんなにしっかり読んでくれる人は珍しい。とはいえ詩の感想は、二十年ほど詩を書いている身でも即座に言葉にするのは難しいものだ。気を揉ませるかもしれないし、予定以上に長居をしてしまってもいたので、手短に挨拶をしてギャラリーをあとにした。
 帰りの電車で思わずあっ、と声を上げそうになった。渡した冊子の内容についてだ。主軸に据えたのは、縄で緊縛された女性が執拗なまでに写真に撮られる様を書いた詩。よりによってヌードを撮る写真家にあれを渡してしまうとは。どう思われただろう。
 わたしは「早葵子」の名で詩を書くことを職業にしている。本名だ。さきこ、と読む。夫はスタジオミュージシャンの傍ら作曲も仕事にしているので、夫の曲に作詞をすることもある。地方都市在住の詩人など暮らしは地味なもので、作詞はローカルのラジオCMや通信教材で使用されるものなど名前が出ない仕事がほとんどだし、詩は十代の頃から書いていても詩集として世に出たのは五年前に一冊出版したものだけ。息子を妊娠・出産した日々を詩で綴ったその本は今も一応は流通し続けている。おかげで子育て雑誌にエッセイを書く、育児の詩を朗読するなどの仕事が入ることもある。
 そうは言ってもいつまでも育児の詩ばかり書いていられない。わたしは子育て「も」書く詩人になっただけだ。息子が赤ん坊ではなくなるのとほぼ同じスピードで、また次のステージに進まなくてはいけない気がしていた。我が子は当然可愛いけれど元来はそこまで子ども好きという訳でもないし、ロックやクラブミュージックが好きでお酒を飲み夜遊びもするわたしは世間でいう「いいお母さん」タイプでないことも自覚していた。育児の日々でどっぷり浸かった子ども向けコンテンツの世界からもう距離を置きたかったのも正直なところだ。かと言って独身の頃のように恋愛を書くのもこそばゆい。そもそも四十路女の甘ったるい恋愛詩に需要は少ないだろう。自分が書きたくて、尚且つ需要のあるもの。そしてこの年齢だから書けるもの……、辿り着いたのが性愛だった。自由に書いたものをライブで朗読することもあれば、依頼を受けてSMや不倫、複数恋愛など過激なテーマを題材にした作品を書くこともあった。わたし自身はかつての、独身時代に書いていた恋愛詩の延長線上ぐらいにしか考えていなかったのだけれど周囲はざわついた。「お母さんがこんなものを書くなんて」。子育て詩集でわたしを知ってくれた人たちにはとりわけ受け入れてもらえないようだった。年に数回開催していた詩の朗読ライブで直接お会いした読者の方からも度々同じような言葉を聞いた。そしてその方は次のライブには来なくなる。その波は子育て詩集の通販レビューにまで影響するようになった。落胆した一方で疑問にも感じていた。どうして母親になった女がセックスを書いてはいけないのか。母親というだけで、そんなにも品行方正でいなくてはいけないのか。健康な身体で、セックスをするから子どもが生まれてくるのに、産んだ途端に女じゃなくなるなんて。
 その疑問に引きずられるように現実も変化し始めた。三十路後半に子育てと仕事で毎日へとへとだったわたしと夫は、少しずつ男と女ではなくなって行った。夫は子煩悩で家にいれば頼れる存在ではあるが、毎日遅くまで働き日付をまたいで帰宅するし、職業柄世間の休日にも仕事がある。わたしは一連のワンオペ育児のあと、大抵は息子の寝かしつけと一緒に眠ってしまう。そんな状態であっという間に三年が過ぎた。息子を預けている保育園のママ友たちが続々と次の子を妊娠し、膨らんでくるお腹を見るたびに羨ましくなった。子どもを授かったことよりも、性生活がまだある事実をだ。そんなことを思ってしまう自分が情けなかった。わたし自身、その欲が人よりも強いことは産後ずっと自覚していた。行き場のない気持ちが怒りになって爆発することも初めのうちはあったし、期待を込めて夫に気持ちを何度か投げかけても見たが変化はなかった。加えて夫が以前から患っていた心臓病の具合が思わしくなく、医師から「激しい運動は避けるように」と注意があったと予防線を張られた。最近ではたまに姑が息子を見ていてくれる休日にもわたしたちは流行りの映画を観にいってしまうし、性の話題はどちらからともなく避ける。友人に相談しても解決しない。こっそりカウンセリングを受けたこともある。友人もカウンセラーも結局いうことは同じ、「旦那さんとゆっくり話し合ってみたら」。また出た、話し合い。こんなデリケートな問題を夫婦間の小さな俎上に載せて切り刻んだのち、どうやって色っぽい時間へ繋げれば良いのか、そのワードが出るたびわたしは途方に暮れた。話し合いで白黒つけたとして、その先には一体何があるの。産後のわたしたち夫婦はあきらかに、満足する質と容量が違ってきていた。人にはそれぞれ、「欲の器」があると思う。わたしの器は肉厚で底が見えないほど深く、夫のそれはとても繊細で浅い。夫は毎日のキスや不安なときのハグだけで充分なのだ、本当に。
 そんな状況で性愛にまつわる詩を書いていると頭がおかしくなってしまいそうだった。だけど書かずには居られなかった。育ち過ぎた根のように、鉢のなかで犇めくわたしの欲は、濁った水も吸い上げわずかな場所を探し茎や葉を伸ばし、花をつける。この身体はもう誰にも求められないのかもしれない、そんな焦りも作品を形にすることで昇華できた。それに、「こんなもの」を読みたい人だっているのだ。顔の見えない読者がきっといることに、わたしは確信を持っていた。作風を変えたことを批判している人だってそれぞれ欲の器を持っているはずなのに、自分の器がどんなものかには向き合おうとせずに他人を攻撃する。
 SNSで偶然灘元さんの写真展の告知を目にしたとき、そこに光を見つけた。社会的な役割を極限まで取り払ってしまえば女は、本来これほどに輝いているものなのか。裸の若い母親は少女にも聖母にも、どこか未開の地の部族の女にも見えた。こんな風に女を撮る人なら、どうしても会わなくてはいけない気がして、わたしはギャラリーを訪れたのだった。
 住んでいる街の最寄り駅に着く頃、灘元さんからメールが届いた。改札を通る手前で立ち止まって読む。ギャラリーを訪れたことへのお礼と詩集の感想だった。”あとがきまで一気に読みました”。安堵の息を小さく吐いて画面を閉じ、夫と息子の待つ我が家へと急いだ。
 翌朝は息子を保育園に送り事務作業を片付けてから、写真展の感想を書いた長めのメールを送った。視覚で受け止めたものを咀嚼し言語化するまでに時間がかかるタイプのわたしは、見たままを書いてしまわないよう気をつけた。名刺にあった灘元さんのサイトには、最近の作品がいくつか上げられていたが写真集は出していないようだったので、”過去の作品も見て見たいです”と書き添えた。何度か読み返して送信ボタンを押すと時計は正午に近づいていた。
 ”実を言うと僕はずっと商業カメラマンの生活をしてきたので、写真家として作品を公表し始めたのは昨年からなのです。写真集を出すのは少し先になりそうなので、ポートフォリオでよければお見せできますよ”
 返信は早かった。待ち合わせの日時をあっさりと決めてしまったわたしに、自分で呆れないでもない。待ち合わせる場所を駅にしましょうか、あるいは車で持って行きましょうかと提案されて、車で来てもらう事を決めたのもわたしだ。

 その日も朝食の際に夫と予定確認の会話をした。フリーランスのわたしたちは、どこで何の仕事をしているかが毎日違う。灘元さんと会うのはあくまでも「仕事」の範疇だ。クライアントとの打ち合わせやライブの会場の下見と何ら変わらない。会ってポートフォリオを見せてもらう、それだけだ。血圧の高い夫のために夏場も欠かさない野菜スープをよそいながらいつも通りに予定を告げた。そして玄関で軽いキスをし笑顔で見送る。優しい夫は家族としてなんの欠点もない。どうしてもこの人と人生を共にしたい、恋人だった頃はそう思ってただ何年もプロポーズを待った。昨日のわたしの誕生日は息子と三人、近くのレストランで食事をした。小さなバースデーケーキ、ろうそくに照らされた二つの愛おしい額。
 平日の正午、陽射しは始まってしまった真夏の濃い色合い。川を越えた隣町にある、大通り沿いの商業施設大型書店の駐車場で無糖炭酸水のペットボトルを開ける。閉じ込められたものが、ぷしゅっと吹き出す音。軽やかな綿のスカートの裾と、足先の塗りたての朱赤のペディキュアを見た。決めた時間ちょうどに、眩しそうな顔をしながら灘元さんはやって来た。ずっしりとした重そうな紙袋にポートフォリオらしきファイルが何冊か入っているのが見える。辺鄙な場所ですみません、と言うと
 「いえ、こちらこそ。どこで見ます?ヌードばかりなんで流石にこの時間だと、そこのファミレスじゃちょっと見辛いと思うんですが」一呼吸おき、わたしの返事を待たずに
「良かったら、車で見ます?」
 車にあっさり乗ったのは、彼が自身の名前で活動しているフリーランスだからだ。この頃は世界的に有名な写真家であってもかつてのミューズに過去の出来事を被害として訴えられ窮地に追い込まれてしまう世の中。彼も無茶なことはしないだろう。それに無茶なことと言ったって。その先を想像しても、冷静な自分がいた。大したことじゃない。黒一色の、生活感のない車内を見回し炭酸水をひとくち飲んでいると、灘元さんが後部座席から何かを取り出してわたしに差し出した。「SNSで見たら、昨日誕生日だったんでしょう。家には飾れないかもしれないけど」小ぶりのバラとガーベラ、ダリアが片手サイズにまとめられた趣味のいい花束だった。嬉しくないはずがない。
 見せてもらった写真は会話の通りほとんどがヌードを中心にした構成で、シャワーを浴びる女の子もネオンも道端の三角コーンも枯れた花も空も、全部が瞬間の生をぎらりと閃かせ、その背後にもれなく深い死の影を潜ませていた。白黒写真なのに、どうしようもなく鮮やかだった。時々投げかける質問に、灘元さんは丁寧に答えてくれる。でもやっぱり目を見るのが怖かった。この人の目に、わたしは一体どう見えているんだろう。
 三冊目を見終わったところで、ぬるくなった炭酸水を飲み干した。「それにしても」灘元さんが口火を切る。「早葵子さんの詩は、エロティックですね」エロティック。普段の会話で聞きなれない言葉を耳にするとどきん、とする。「でも、お子さんもいらっしゃるでしょう。大きくなって来たらどう説明しようって思うこと、ないですか」灘元さん自身は十年近く前に結婚はしたものの、子どもはいないらしい。欲しかったのかそうでないのかは聞かなかった。「確かにそれは悩みます。でも、フィクションではあるけど嘘を書いている訳じゃないから。息子も何かしら思うかも知れないけど、書いた理由はいつかわかるだろうって今は思ってますね」「なるほど」「でも、灘元さんだって奥様とか身内の人に何か言われないんですか?女の子たち、ヌードになってるだけじゃないですよね」この女の子たちと寝ていないわけがない。「僕にとっては食事も会話もセックスも大して差がないんです。滑稽じゃないですか、生きてること全般がそんなことの繰り返しだなんて。悪い冗談みたいだって思います。セックスなんて、あんなの関係性がなければほとんど暴力だし」暴力、と言う言葉が下腹部に響いた。逃げ出したくなるのとは逆の、深みへ分け入りたい衝動。沈黙がつづく。「灘元さん、お昼ごはん食べました?」さっきから空腹を感じていた。そしてどうしようもなく、喉が渇いていた。

 車は橋を渡って市内のビジネス街へと滑り出す。灘元さんは夜型生活で昼ごはんのお店をあまり知らないと言うので、行き先はわたしが提案した。十年ほど前、詩だけでは食べていけなかったので会社勤めをしていた頃に二度ほど訪れた人気のインド料理店。ランチタイムは混むので、会社員の窮屈な昼休みにはなかなか行けない店だった。時計は午後一時を回ろうとしていて、スマートフォンを片手に急ぎ足で信号を渡るビジネスマンたちの汗ばむ背中をエアコンの効いた車内から眺める。灘元さんは音楽を流し始めた。「あ!Kornだ。わたしこの曲、むかーしフジロックでやってたの観ましたよ!」「あの年だけお台場でしたよね、こう言うの聴いてたんですか?」ほぼ同級生なのに、どちらも敬語を辞められないでいる。「大学生の頃、軽音楽部に入ったらこういう音楽やってる人ばっかりで。当時付き合ってた男の子もそういう感じだったから」「俺もがっつりやってましたよバンド」「どの辺のライブハウス出てたんですか?」「DASKとか……あと何でしたっけ、海の側の、倉庫だった」「ベイサイドジューン?あの超寒いとこ」「それ。」「だったらきっと当時の灘元さんのライブ観てますよわたし」「まじですか!」灘元さんは当時の自身のバンドの音源を掛けてくれた。スマートフォンの画面の中のジャケット写真には、揃いの黒のツナギを着たバンドメンバーの真ん中にドレッドヘアの若い灘元さんがいる。「やっぱり観たことある」まじですか!。当時は共通の知り合いも何人かいたことがわかった。でも、もう誰も消息わからないね。そういうもんスね。ね。
 車は店の横のコインパーキングにすんなり収まった。ランチタイムのピークを過ぎた店内はひんやりと薄暗く、目が慣れるまでに時間がかかる。それぞれ迷うことなく注文をしてグラスの水を喉に流しこむ。改めて見回すと、かなり派手な店内だ。天井まである何かの神様らしき像。壁にはカラフルな装飾を施した絵がたくさん飾られている。壁の本棚に「ブッダ」の漫画を見つけた灘元さんが「あれ、拘置所で読みました」というので、何をして入ったの、と敢えて軽い口調で聞くと、それは裸を扱う職業の人ならではの事情だった。修正を入れるべきところに入っていないものが表に出てしまったらしい。なるほど、そんなこともあるのか。「それにしてもブッダの生き方って、結果を見れば偉業だけど家族ってどう思ってたのかな。家も継がずに、家族も放って修行に明け暮れて。」ブッダを引き合いに出すなんて流石におこがましいけれど、作品を世間に出すときにわたしは仕事とは何かを考える。他の人がやらないこと。批判は覚悟の上でそうするよりほかないこと。そう生まれてしまった、時代で。体質で。家庭環境で。物質的に満たされた生活をしていたから悟りの道を求めたブッダ。愛情に満ちた生活を得ても、いや得たからこそ欲を見つめ詩を書くわたし。諦めにも似た仕事への降伏。帰依と言えるかもしれない。
 マトンとひよこ豆のカレーはほくほくとしてとても美味しかった。灘元さんはプレートの野菜の多さに「一年分の野菜を食べた」というので、普段の食生活について尋ねると「昼の三時から八時まで飲んでる」「いつも外食なの?」「家には帰ったり帰らなかったりだから」「そっか。」お互いの家庭の話になる。奥様は写真を一切見ないのだそうだ。わたしも夫の音楽をあまり聴かないが、それは興味がないわけでも、評価していないわけでもない。むしろ逆で、夫の能力を信頼している。この人なら大丈夫。音楽をやめて別の仕事を選んだとしてもきっとそうだ。灘元さんの奥様のことを想像しかけて、やめた。「早葵子さんは、不貞行為ってしたことあるんですか」隣のテーブルにも聞こえるぐらいの普通の声のトーンで灘元さんが唐突に尋ねる。ふていこうい。今日は普段聞かない言葉をよく耳にする日だ。周囲を気にしつつ正直に答える。「酔ってキスしたぐらいは何度かあります、でもその先はないかな」。気づくと灘元さんはもうとっくに食べ終わっている。わたしも慌てて最後のひとくちを口に運び終えた。「食べるの、すっごい早いですね」「うん、拘置所で鍛えたからね」。くすくす笑うわたしより先に席を立ち、昨日誕生日だったでしょ、という理由でご馳走してくれた。お礼を言って、パーキングで買った二本のペットボトルの水の一本を差し出す。スパイスのせいで唇がまだピリピリしている。車に戻ると、助手席に置いたままにしていた花束が暑さでくったりしていた。わたしの分のボトルを空け、束の根元に染み込むようにそっと水を垂らす。「都合のいいとこまで送りますよ」「じゃあ、待ち合わせした本屋さんで」車はビジネス街を北へと戻っていた。
 他愛のない話をしている最中、来る時とは違うルートを走っていることに気づく。川沿いのラブホテル街。ここを通るのは、確かに近道だから。そう自分に言い聞かせながら、左手に架かる大きな橋を眺める。ホテル街をようやく抜ける信号待ちの間、灘元さんがわたしの足元に目をやった。「あとで写真を撮らせてもらえますか。爪のいろがすごく綺麗だから。あ。別に変な意味じゃなくて」「ふふ。変な意味でも良いけど」「そう言ってくれるとありがたい」それぞれの口の中に溢れる、レジ横でもらったパイン味のキャンディの懐かしい甘み。
 駐車場に停めた車の中で灘元さんはわたしの爪先を撮った。いつの間にどこから出したのかわからない、肉体の一部のようなカメラの扱い。「こんな感じです」と見せてくれた膝から下の写真には、自分の体だとは思えないぐらいのぎらりとした生命力が写し取られていた。灘元さんは少し体を引き「目を褒められることが多いでしょう。でも、あなたは唇がいい」言うと同時に今度は口元を撮った。息でレンズが曇りそうなほどの距離。「ちょっと唇を開いて。そう。」シャッター音が静かな車内に響く。画面を確認し終えた灘元さんがカメラを収めたので、ようやく息を深く吐いた。「早葵子さん。僕とフテイコウイをしませんか」冗談めいた口調とはいえ、素面でこんなことを言われたら動揺が隠せない。目を伏せたまま、考える。体の関係を持たなければ、堂々としていられる関係に思えた。「別に寝なくても十分楽しかったでしょ。……それに、もちろん写真も撮るんですよね」無意識に敬語で境界線を引いていた。個人を特定できないように撮ることもできること、公の場に発表する際には必ず都度許可を取ることなどきちんと説明をしてくれはしたが家族のことを考えると、はいとは言えない。だけど、わたしを撮るときに灘元さんが見ているものを知りたい。返事を渋るわたしに、灘元さんの語気は強くなった。おさまるように暫くのあいだ手の甲に触れた。「あなたのこと好きですよ。写真のことは次に会う時までに考えておきます。また連絡しますね。お花ありがとう」車を降りるまで、灘元さんはずっとこちらを見ていた。
 帰るとすぐ洗面台に水を溜めて花束の包みを剥ぎ、浸した。キッチンで冷えた水を立て続けに二杯飲む。活力を取り戻した花を生け、撮った写真を送る。”今日は楽しかったです。例の件は二週間ほど考えさせてください。”別れ際の何か言いたげな目を思い返す。保育園から帰って来るや否や息子がガーベラを指差し「あ!あかい”たんぽこ”だ!これは、なんのおはな?」と聞いた。たんぽぽを”たんぽこ”というのがあまりに可愛いので、直さないでいる。「お誕生日だったからお仕事の人にもらったの。たんぽこじゃなくてガーベラね。これはバラ、おっきいのはダリア。」お仕事の人、か。この花たちがしおれてしまうまでには、答えも出るだろう。
 その夏の記録的な暑さに戸惑っているうちに十日ほどが過ぎた。七月最後の週末には隣県で朗読でジャズピアノとのセッションライブを控えていたので、新しい詩を仕上げることに気を取られてばかりいて、まだ決めかねているのに返事の期日は近づいてきた。”週末、時間が作れたのでライブ予約します。その時に返事も聞かせてもらえたらと思います”灘元さんのメールは簡潔なだけにはぐらかせない。どうしよう、会って話したらきっと嘘がつけない。
 夫が不在でわたしも遅くなる仕事の日は、実家の母に息子を預かってもらう。台風が近づいていて、ライブを開催するか否かをライブハウス側と相談し決めなくてはいけなかった。昼の時点では直撃を免がれそうな予報ではあったけれど、会場に向かう道中はずっと台風情報ばかり調べていた。電車の窓から見えるじりじりした街並の中に、大輪の向日葵がきりりと立っている。一時間ほど私鉄に揺られ、駅前の小さなライブハウスに入る。何度もライブをしている場所だったのでリハーサルにはさほど時間がかからなかった。店主と相談をして、夕方の五時までは台風の様子を見ることにする。控え室で体をほぐしていると灘元さんからメールが入った。”台風ですが、ライブ開催されますよね?帰りはよければ車で送りますので、終演後連絡いただければと思います”ライブの直前にこんなことを考えさせるなんてもう、と軽く溜息をつく。口にした常温の水が甘い。ノックをして入ってきた店主がスマートフォン片手に話し始めた。台風の進路が変わって、直撃とは言わないまでも電車が止まってしまう可能性が出てきたらしい。だったら、仕方ないよね。新作はなかなかの出来で、音大を出たばかりのピアノの男の子とのセッションも楽しみだったのに。それに朗読が前提の作品は、聴いてくれる人がいて初めて完成するところがある。なので新作の真の意味での完成形を見られるのも先になってしまった。予約をいただいていたお客様に中止のメールを送ろうと新規画面を開く。BCCに灘元さんを含まずにメールを送った。
 電車が止まっても八時までは開けていますよ、と白髪のマスターが言ってくれたのでライブハウス向かいの小さな喫茶店で灘元さんを待っていた。もしも来なくて、その上電車が止まったらどうしよう、などとスリルを感じながらアイスティーを飲む。昔はよく、知らない街で時間を気にせず夜遅くまでぶらぶらしたものだ。外国に行っても、わたしは同じ調子で旅をしていた。だけど子供を産んだ今となってはそうもいかない。どこにいても、頭のどこかで「帰らなくちゃ」と声がする。よく磨かれた大きな窓から空を見る。重い色の雲の流れが早い。”ライブは中止になりました、向かいの喫茶店にいます”とメールを入れたのが六時。そして本来の開演時間である七時に、灘元さんは現れ、サンドイッチを頬張るわたしの前に座った。銅製のカップにアイスコーヒーの氷が当たって涼しげな音を立てる。ライブ、中止になって残念です。観たかったのに、というので新作の原稿を見せた。草食動物のトムソンガゼルが、チーターに捕食される様子を題材に書いたもの。動物の描写をしてはいるが、それは求めるもの/明け渡すもののメタファーだ。「これはまた……」目の前で読まれるのは気恥ずかしい。朗読するときとは違う、素の自分が対峙しているからだろうか。「感想はいいですよ、すぐには言いにくいでしょう」「朗読で聞きたいです、あとで」「あとで?」「返事、聞かせてください。」
 雨が本格的に降り始め、駅の裏手のコインパーキングに着く頃には大きな傘を差していても腰から下がずぶ濡れだった。助手席に座り、タオルで体を拭く。灘元さんも後部座席から明るい色の、ふかふかしたタオルを取り出していた。黒一色の車内に、ほんのりとそれぞれの家庭のにおいが漂う。窓にはネオンや街灯の光の筋が、星空の長時間露光写真のように流れていた。「それで、返事を聞かせてもらいたいんですが」「……撮ってもらいたいとは思います。でも、関係性を含めて人前に出すことが前提だと思うから、やっぱり、はいとは言えない」何か言おうとするのを遮って、わたしは続けた。「でも、撮らずにただ寝るのなら、それは灘元さんに任せます」しばらくの沈黙のあと、車は市街地を抜けて幹線道路に向かった。
 灘元さんはこの間とあまり変わらない調子で、昼間の撮影の話などをしていた。わたしは衣類が濡れているせいで、夏だというのに体が冷えた。タオルを膝にかけ、カラフルな雨粒が流れて行くのを眺めていた。台風の進路の先を走っているはずのわたしたちが、じきに追いつかれそうだった。スマートフォンを出し、母にメールを送る。”台風のせいで、遅くなるかもしれません”。午後八時、何もなければ、息子が眠る前に実家に着く。
 幹線道路沿いのラブホテルらしき建物をいくつか通過した。ほっとするような悔しいような気持ちを悟られないように、微笑みながら会話に相槌を打つ。大きな河を渡って、もう少しで県境に差し掛かる辺りで車は右に折れた。喉のあたりがきゅっと、狭くなる感じがした。撮影を断ったのには他にも理由があった。わたしの内腿と左胸に生まれつきの大きな痣があること。帝王切開の傷がかなり大きく残っていること。わたしだとわからないように撮ることもできる、と灘元さんは言っていた。でも、撮られるならわたしとして撮られたかった、この痣と傷と生きてきたから。「……ここでいいですか?」黙って頷くと、車は鈍色の重いカーテンの奥へ進み、叩きつける雨粒の音が後ろに沈む。
 とにかく驚くほど灘元さんは手馴れていた。自分の部屋のように空調や照明を調節する。ラブホテルの設備とはそんなにどこも同じようなものなのか、と呆れるような感心するような妙な気持ちで見ていた。ワンピースがまだ乾ききらずに背筋や腿の裏に張り付く。「暗くしますね」脱衣所の白熱灯の火照ったような光だけを残して照明を徐々に落とすと、空空しかった部屋が見違えるほどの深い色気を纏った。ふたつめのピアスを外したところで、立ったまま抱きすくめられた。唇を合わせるとすぐに舌が絡みついてくる。応じて深く差し込み、こちらのペースにと思うのになかなか太刀打ちができない。気がつくと爪先立ちになっていた。首の後ろに回そうとしたわたしの腕を、手首を掴んで制す。「こっちに立って」籐の縁取りがされた、大きな丸い鏡の前に立つ。古い映画のポスターを思い起こさせる構図。背後に回った灘元さんが、すっとワンピースを取り去ってしまうと、エメラルドグリーンのサテン地に紫色のダリアの刺繍が施された下着姿の上半身が露わになった。左胸のダリアを剥ぐと、乳房の痣のうえに繊細で柔らかな影ができている。
「……きれいだ」
 耳のあたりを這っていた唇から、息の混じった声が流れ込んでくる。恥ずかしさに顔を逸らそうとすると「ちゃんと見て。ほら」と目線を鏡へ戻すよう促される。今わたしは灘元さんの見ている世界を、垣間見ているのかもしれない。目の前の、美しい色合いの陰影の中にわたしがいる。立っていられないほどの恍惚の波。飲まれてしまう、そう思った瞬間、少し金属めいた声で灘元さんは言った。「さっきの詩、朗読してくれる?」
 鏡の前で、脱げかかった下着姿で朗読をすることになるとは思わなかった。何度か唾を飲んで、サバンナを逃げるトムソンガゼルの様を声で描いていく。灘元さんは自分の衣服を脱ぎ捨てながら、わたしの背中のホックを外し、脇腹や肩口に触れるか触れないかの距離で唇を這わせていた。追い詰められ、首筋に牙を立てられる。トムソンガゼルがその生を明け渡すときに、どこかうっとりして見えたのはどうしてなんだろう。あの様子をテレビでみていたわたしを、詩を書くわたしがみていて、今度は朗読するわたしが、男の人にからだを明け渡そうとしている。どこに自分がいるのかなど、もうどうでもよいほどに力が抜けてゆく。からだの中の澱が押し流される。灘元さんはわたしの手首を掴み、また唇を重ねた。やっぱりこちらのペースに引き寄せられない。飲まれてしまう。ぱさり、と読み終えた原稿が床に散らばり、部屋の外で大きなトラックが水を跳ねる音がした。掴んだ手首をシーツの上に押さえつけ、腕の内側や脇にくまなく唇を這わせ、乳房に至る。上ずっていく自分の声を自分でも抑えることができなかった。目線で縋ると、やっぱりあの眼でわたしを見据えている。わたしはこの人が怖い。でもその奥に分け入りたい。ショーツを剥いで、顔を埋める様子を見つめる。荒くなる呼吸に胸が上下する。灘元さんのペニスが口元にあてがわれた。初めは側臥の姿勢だったが、ベッドのふちに座りもっと深く咥えさせた。「早葵子。口だけでして。そう」使うことを禁じられた両手は床につき、跪いて口の中の柔らかな粘膜を細やかに動かす。舌で喉の奥に送り、ぎゅっと飲み込む動きを繰り返す。両手のひらで耳が塞がれ、頭の中にその音だけが響いた。また目で縋ると、コンドームを差し出し、つけるようにわたしに目で促す。口だけではうまくできないので、手を使ってつける。灘元さんはベッドのふちへ上半身を押さえつけ、わたしの両手を後ろ手に回した。男の人の右手ひとつでわたしの両手首は拘束されてしまう。背後から入ってくる。左手で鷲掴みに髪をあげ、顔を凝視している。「ちゃんと目を見て」早葵子、と呼び捨てにされるたびに目が潤んでいくのが自分でもわかった。目だけではない、からだの隅々まで滴るほどに潤んでいた。なかを揺らすような腰の動きに、わたしは自分でも聞いたことのないような声をあげていた。ベッドの上に四つ這いになると、また両手を拘束され奥まで深く入ってきた。灘元さんは空いている方の左手で上腿部を音がなるように叩き、わたしが体勢を崩しシーツに顔を埋めて隠してしまうとより強く叩く。上半身をねじり見上げる。拘束が解かれたので手をつくと、今度は両足首を掴み、さらに深く強く突かれた。逃げられない。「おねがい、無理」「うん?何が?」ここまで来ても冷静な声色の灘元さんはわたしの足首を握り、足の甲や爪先を愛でながらなかを揺らすように動く。ぐ、ぐ、ぐ。わたしの芯が、ぜんぶを飲み干すように震えると、大きな波で岸辺に打ち上げられるように二人でシーツに体を投げ出す。薄暗い部屋に、二つの呼吸の音だけが響いた。
 呼吸が整うまで、トムソンガゼルのことを考えていた。彼らの一定数が食べられるために生まれるのだとしたら、捕食される瞬間は彼らの「あるべき姿」なのかもしれない。委ねるときのうっとりと見えた表情は、明け渡すことで役目を果たしたせいなのか。渇いた花は水を吸い上げる、猛獣は獲物を狙い、彼らは捕食をされる。「あるべき姿」に身を委ねるのは、罪なことでも悲しいことでもない。つかの間隣で閉じられている灘元さんの瞼を見つめながら、そんなことを思った。

 夫と出会う前、特定の人と付き合わずに遊んでばかりいた時期が二年ほどあった。恋愛関係に縺れ込むと面倒な相手とうっかり寝てしまったときする「おまじない」があった。さっさとベッドを出て立て続けにたばこを二本吸うこと。男の人がぼんやりしているあいだに、先に現実に戻る。一緒にベッドにいると、その心地よい温度でうっかり恋に落ちてしまう。とはいえ今のわたしはもうたばこを吸わない。さてどうしようか、と思っていたところにベッドに投げ出したわたしの膝下を見て灘元さんは言った。「早葵子さんって、蚊に噛まれやすいですか?もしかしてA型?」やっぱりこの人には敵わない。先に現実に戻られてしまった。数カ所ある刺され跡を見て、苦笑いする。確かにわたしはA型だ。
 シャワーを浴び身支度を整えているあいだ、灘元さんは部屋の様子を写真に撮っていた。ピッ、と鳴るとみどりのランプが点滅し、ゆっくりとシャッターが降りる音がする。わたしたちの気配がカメラに収まって行くのが嬉しかった。部屋を出る前にもう一度だけキスをしたかったが止した、口紅を塗り直してしまったから。

 幹線道路にへばり付いた熱と気怠さを嵐が洗い流していったようだった。午後11時、エアコンをかけずに街の空気を車内に流し込む。何か食べていきますか、という灘元さんの誘いは断り、実家の付近まで送ってもらうことにした。母も息子も父もぐっすり眠っているだろううちに帰って、一人になりたかった。今日の自分の選択に後悔はしていない。けれど、一体どんな顔をすれば自然なのかは正直わからなかった。帰り着き、玄関の鍵をそっと開ける。風呂場に行き、バスタブに湯を張ってから、洗面所の鏡をみてはっとした。眼の光、唇のつや。わたしはすっかり生き物としての瑞々しさを取り戻していた。わたしは、わたしのからだを自由にした。この欲の器の底は嵐のあと、井戸のように静かに澄んでいる。誰にも話さないけれど、これがわたしの「あるべき姿」だ。この夜のできごとはわたしのなかの何かを確実に変えた。

 お風呂から上がると、関東へ出張中の夫からLINEが入っていた。”ライブ、どうだった?流石に今日は中止だったかな。こちらは明日に備えて早めに寝ます。”夫は冷房の乾燥に弱いので、湿度を高めに保つよう返信を打っていると、灘元さんからも「おやすみ」のスタンプが送られてきた。仕事用のメール画面でなくなると気安くなりすぎてしまいそうで、今までLINEは避けていたのだった。よく使っているウサギのスタンプを返し、静かに髪を乾かして息子の隣に眠る。
 
 台風で中止になったライブは日を改め10月に開催されることになった。いくつかの雑誌に掲載された詩を読んだ女性誌の編集者から、官能小説を書いてみないかという話がきた。詩の読者とは別の、顔を見せない読者に作品を届けることには以前から興味があった。灘元さんは秋の終わりにようやく写真集が出るそうでとにかく忙しそうだった。そうはいっても今日もどこかで女の子の写真を撮っているには違いなく、SNSにはたびたび意味深な写真がアップされている。ジェラシーを覚えなくはないけれど、それが彼の「あるべき姿」なのだと思うと、いつからか微笑ましさすら感じている自分に驚いたりもした。そのうち気が向いたら連絡をくれることもあるだろうか。夫の病状はそこまで深刻にはなっていないものの、ようやく決心がついたらしく軽い手術を受けることになり、先週には病院で医師から手術についての説明を受けた。
 来年の春には息子が小学生になるので、子供部屋を用意し、六年ぶりに夫婦ふたりの寝室に戻すことにした。セクシャルなことはなくても構わない。グレーなものは、グレーなままがいい。夫婦が二人で眠ること、わたしと夫がそれを選んでいるということ。不安な時にはハグをしたり、髪を撫でたり、眠れない時には匂いを嗅ぎながら背中にぴったりと寄り添って朝を待つ。わたしがからだの自由の先に行き着いたのは、よく知っているはずのこの寝室だった。春までには模様替えをして、窓際に水耕栽培のフリージアの鉢を置くことにした。秋のあいだ冷蔵庫で冷気にあてると、たくさん花が咲くらしい。赤ん坊の拳ほどの球根に、今はまだアンバランスに大きいガラスの鉢。水で満たされたこの鉢いっぱいに、いずれグロテスクなほど逞ましく張る美しい根とまだ見ぬ繊細な花、部屋に満ちる甘い香りを思う。わたしは新しい名前をつけ、小説を書くことにした。

(完)

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