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療養型病院

父親が亡くなったのは、主人の転院から12日後だったので、かなりめまぐるしかったのだけど、入院の決断をしておいて本当に良かったと思う。

この時期、いろんな物に追い立てられながら、ギリギリ何とか生活を回していた。
今思えば数ヶ月だけでも仕事を休めば良かったのかも知れなかったけれど、忙しくしている方が、考えなくて済む部分もあったし、何せ時給社員なので働かないとお金にならない。

父親の忌引きの合間に主人の病院にも行った。
やっぱりうろうろと立ち歩こうとするので、個室の中でベルト付きの車椅子に座っていた。

主人に父親が亡くなった事を話した。
まだ主人が話が出来た頃、父親の病気の話はうっすらしてたと思う。
覚えているか、理解してくれたかは分からない。
ただ、ひたすら目を見開いてこちらを見た。

また別の日に行くと、めずらしくベッドの上で爆睡していた。
呼んでも、しばらく待っても起きる様子が無い。
看護師さんに聞くと、昨夜一晩中起きて大騒ぎしたらしい。
「ゆうべ大活躍やったから、疲れてしもうたみたいやね」と笑顔で言ってくれたけど、どんな大活躍だったのかは恐ろしくて聞けなかった。


主人の転院先である療養型病院は、世間的に『老人病院』と言われる感じの所で、殆どが認知症、もしくは寝たきりの人が多かった。
年齢も、どこを見ても主人より20〜30才は上だろうという人ばかりだった。
見舞い客も殆ど無く、お盆やお正月の時にたまに遭遇するくらい。
だからいつ行っても人に会う事が無い分、看護師さんやらヘルパーさんとはすっかり顔見知りになった。

一週間に一度、時には義母も連れて、毎週通った。
この時の事を、後から息子は
「あの時は、時間が止まってる感じがしてた」と言った。
私でも長かったのだから、若い子供らには、果てしなく長く感じた事だろう。


この頃、やっと前の病院で頼んでいた主治医の書類が出来て、難病申請する事が出来た。
申請が通るのに数ヶ月かかる事もあるけど、通ったら申請した日から医療費の助成が受けられる。
うちが申請した日が調度更新時期と重なっていて、
「ちょっと手続きが混んでるんで、遅れるかもしれません」
「更新は、調度一年後で大丈夫です」
と言われたけど、その時の自分達にとって、
「一年後って、ホンマに来るん?」くらいの感覚だった。

とにかく、毎日毎日が、途方もなく長かった。

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