もざいく

アラ還無職。共にアラサーの息子と娘、茶トラ女子の猫、三人と1匹で暮らしています。 20…

もざいく

アラ還無職。共にアラサーの息子と娘、茶トラ女子の猫、三人と1匹で暮らしています。 2019年に、主人を『クロイツフェルト・ヤコブ病』で亡くしました。

最近の記事

高齢者の白血病 その後

noteの更新もすっかり滞り、忘れかけていた先月の初め、実母が亡くなった。 骨髄異形成症候群から急性骨髄性白血病へ移行して、2度目の入院治療から、戻って来る事が出来なかった。 最後に入院する時も、また退院出来る事を疑っていなかったと思う。 「根治する為には骨髄移植が必要だけど、年齢的に無理である事」 「高齢者向きの飲み薬・軽い抗がん剤などの新しい治療はあるけれど、全ての人に効果が出るわけではない事」 「どちらかというと、病気の進行を抑える為の治療である事」 「血液の病気と

    • 女同士

      随分更新が滞ってしまった。 もともと主人と、主人の病気の事が書きたくて始めたnoteだから。 それをほぼ書き終えてしまったから仕方ないのだけれど。 今は、これから弱っていくだろう義母と実母の終活の事が頭から離れない日々。 ほぼ週末ごとにどちらかの母の元を訪ねているのだけど、毎回息子が車を出してくれる(主人が元気な頃から良く付き合ってた) うちの家族の中で義母や実母に対しては息子が一番優しいし、寛容だと思う。 これはもうどうしようもない性別のなせる技なのか。 どうも私や

      • 母親と娘の関係

        子供の頃から父親が苦手だった。 ろくに話をした事も無い。 看取った時も、その後も、大きな用事を済ませていく感覚だった。 逆に母親には何でも話した。 こちらから言わないと根掘り葉掘り聞かれるので、進んで話した方が、良い関係でいられたから。 結婚して家を出て、実は母親との関係の方が根深い事に気がついた。 自分に子供が産まれて、自分が親に求めていたものと、親から与えられて来たものが、完全にすれ違っていた事にも気がついた(遅い) 自分の家庭を持って、初めて自分を生きている感じ

        • 高齢者の白血病

          今年の初めから骨髄異形成症候群を患っていた実母が急性骨髄性白血病に移行した。 進行を遅らせるというビターザ治療も結局数回で終わり、これからは抗がん剤と飲み薬、輸血などを併用した治療になるという。 同意書を含めた説明書をもらった。いろんなものがまた甦る。 主人の入院中も、いっぱい書類をもらって、いっぱいサインした。 今回は本人が元気なので(病気だけど)たいていの同意書は本人に書いてもらう事にした。 家族が書くのは、『無理な延命治療はしません』といった内容のものだけだったけ

        高齢者の白血病 その後

          骨髄異形成症候群(MDS)

          骨髄異形成症候群という病気がある。 骨髄で上手く血液が造られなくなり、場合によっては白血病に移行するという血液の病気だ。 今年の初め、実母が罹患した。 この病気には、原因なく発症するものと、抗がん剤治療や放射線治療の後発症するものがあって、やはり高齢者に多いらしい。 実母は5年ほど前に抗がん剤治療を受けたが、母に使われた抗がん剤は弱いもので、その時の主治医は「この薬でMDSを発症した人は今までいない」と言う。 根治するには白血病と同じく骨髄移植しかなく、母のような80代

          骨髄異形成症候群(MDS)

          元気な高齢者たち

          私のまわりには独居高齢者が三人居る。 義母と実母と実母の妹。 80代半ばから90代前半で、一番若い叔母はまだジムのプールに週四で泳ぎに行くくらい元気だけど、義母は今年になって要介護2になり、実母も要支援2が出ている。 「いざという時の為に」と預けられた3軒分の鍵は、自宅の鍵と一緒に私のキーホルダーに付けられている。 義母も実母も要介護になっても頭も口も元気なものだ。 そろってケアマネージャーさんとヘルパーさんへの文句が後を絶たない。 「しょっちゅう来られてうっとうしい」

          元気な高齢者たち

          終活と遺品整理

          主人は物を捨てない人だった。 壊れたパソコンの本体からモニター、キーボード。 昔凝って集めたオーディオなど。それがまた複数あるからたまらない。 広くは無い家の、一部屋と屋根裏が殆ど主人の私物で埋まっていた。 リサイクル料金がかかるようになって来た時や、大型ごみが有料化される時など、事あるごとに整理してもらえないか交渉してたのだけど、聞き入れてはくれなかった。 理由は、「今やる事ではない」 「定年退職したらゆっくりやるから、それまでおいといて」 いつもそう言われた。

          終活と遺品整理

          noteを書くきっかけ

          仕事を辞めた後、しばらくはゆっくり今後の事を考えようと思っていた。 会社の体質から、離職の手続きもスムーズには進まないだろうというのは想定内だったので、健康保険の手続きだけは速攻でしてもらえるよう念押しして、あとは気長に待つ事にした(すぐ転職したい人はそうはいかないだろうけど) いざ辞めてみると、自分で思っていたより人間関係のストレスが大きかったみたいで、いっさい人に会いたくなくなった。 誰かと話をするのがおっくうで、とてつもなく面倒くさい。 もともと引きこもり体質なの

          noteを書くきっかけ

          noteを書く理由

          noteを書き始めた理由については、最初の頃に書いた通り、自分自身の気持ちの整理というのがまず一番。 クロイツフェルト・ヤコブ病 主人がこの病気に罹患して、亡くなるまでの約2年間。 時間がたった今だから書けた。 その当時はそんな気持ちの余裕も無かったし、感情が先走って、書けなかったと思う。 これも以前書いたけど、ヤコブ病について調べた時、情報の少なさに泣かされた。 指定難病についての、まったくもって救いの無い病気の説明のみが数カ所あった。 あとはひたすら論文。 唯一、

          noteを書く理由

          仕事を辞めた理由

          2020年秋、20年続けていた仕事を辞めた。 娘が小学生になった年から、最初は数時間のパートタイマーで。 子供が成長すると共に時間を延長して、後半は所得制限も外してフルタイムで働いた。 物流の仕事は成果が目に見えるのでやりがいもあったし、扱っていた文房具や事務用品などの商品を覚えるのも楽しかった。 なんだかんだ、仕事は好きだったと思う。 辞めるに至ったのには、いろんな理由がある。 それなりに重労働なので(束ノートや紙粘土など20㎏以上ある荷物もある)慢性的に腰痛に悩ま

          仕事を辞めた理由

          一年祭と三回忌

          2020年初夏、主人の一年祭と父親の三回忌をするはずだった。 同じ家でもないのに、命日が一日違うだけなもんだから、法事がかぶってしまって大変だ。 一緒に出来るわけでもないのに、何でわざわざ同時期に旅立ったのか。 たいして仲良くは無かったと思うのだけど。 また再来年には五年祭と七回忌がかぶるのかと思うと、今から気が重い。 この年は、初めてのコロナ禍での夏だった。 毎日仕事に行っていたうちの家族はともかく、高齢の義母や実母はいろいろ神経質になっていて、私達が訪ねて行くのも気

          一年祭と三回忌

          初盆と相続の手続き

          2019年8月、主人の50日祭と初盆を取り行った。 葬儀の時と同じ親戚の方が集まるという事で、またセレモニーホールを借りた。 私と娘の仕事の都合で日曜日にしたら、一部の親戚から 「初盆は◯日にするもんやと思って日曜日は用事を入れてしもた」と義母が文句を言われたらしいけど、うちの家族は息子だけしかお盆休みがないんだから仕方ない。 それが終わると、いよいよ相続に取り掛かる事になった。 預貯金については、もともと家のお金の管理は私がしていたし、主人の名義の口座もネットバンキン

          初盆と相続の手続き

          『死亡診断書』の『死亡原因』

          葬儀が終わっても、やる事は山ほどあった。 まずは年金事務所(これは真っ先にした方が良いと周りに言われた) 主人の年金を停止し、次に私が遺族年金を受け取れるように手続きした。 主人は自分では支払うばかりで受け取った年金は殆ど無い。 けれど『遺族年金』という形で残してくれた。 ありがたく受け取らせてもらう。ささやかだけど、あると無いじゃ全然違う。 家の近くの行政サービスで、主人の保険証を返却し、世帯主の変更届を出した。 本籍地が主人の実家で、同じ市内だったので戸籍謄本を取る

          『死亡診断書』の『死亡原因』

          主人の帰宅

          主人の葬儀が終わり、主人のお骨と霊璽(位牌のようなもの)と一緒に帰って来た。 一晩留守にしていたので愛猫の黄菜子が熱烈歓迎してくれた。 主人も、きっと黄菜子に会いたかったと思う。あんなに可愛がっていたのだもの。 たとえお骨になっていたとしても、みんなが暮らす家に連れて帰る事が出来た。 正直、それが嬉しかった。 帰りたかったろうな、と思うから。 いろんな事が分からなくなっていても。やっぱり自分の家だもの。 私にとっても「自分の家」と思えるのは、自分達で選んで、子供達を育て

          主人の帰宅

          見送る時

          主人の葬儀は、父親の時みたいに完全な家族葬というわけにはいかなかったけど、出来るだけこじんまりさせたかったので、参列者も近しい親戚だけにしてもらった。 義母が元気でいる以上、義母の兄弟や義父の兄弟に連絡しないわけにはいかなかった。 私達夫婦はどちらかというと私の方がいろいろネガティブで、私は子供がちゃんと社会人にさえなってくれれば、あと自分はどうなっても良いと思っていた。 長生きする事が良い事だとどうしても思えない自分がいて、出来るなら大変な事が起こる前に人生終わらせたい

          見送る時

          看取り

          主人の病院から再度電話がかかって来たのは、前の電話から2週間後の、夜中、日付が変わったすぐの事だった。 前回の事があるので恐縮したようにまた「どうされますか?」と聞かれた。 迷いは無かった。「すぐに行きます」と言って電話を切った。 後で思ったのは、終末期の高齢者が殆どの病院では、連絡してもすぐに駆けつける家族ばかりではないんだろうな、という事だった。 それを責める事は、誰にも出来ない。 また息子の運転で娘と3人で病院へ向かった。 相変わらず3人部屋の真ん中のベッド。 夜