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本当に欲しいものを手にいれるためには

欲しいものは、値段じゃない。まるできれいごとを言っているみたいになってしまうけれど本当にそういうものだと思う。

例えば、一番最近買ったものはスウォッチの腕時計。

私のファーストウォッチは小学生の頃、父親の出張土産に貰ったスウォッチの赤い時計だった。絵の具のようにつるんとした赤や規則正しい音を立てる金の針、小さくて薄いフェイスと華奢なベルトが幼い私にはとてもスタイリッシュなものに映り、大抵いつも身につけていた。

去年の初夏のこと。突然その時計の存在を思い出して、再びスウォッチが欲しくなった。それから何度もお店に出向いて試着させて貰ったり、公式サイトを眺めてみたりと、理想のスウォッチを求める日々は随分続いた。

「これだと少し朱色すぎる」「フェイスの雰囲気がピンと来ない」思い出補正が掛かっているあの時計に敵うほど気に入るものは、なかなか見つからなかった。だけど、適当に決めてちょっと着けて、飽きたらどこかへやってしまうのも違う気がした。大人になってからいつも着けている時計よりはうんと安いものだとしても、妥協して適当なものを身に着けたくない。

おそらく安いものや簡単に手に入るものほど、捨てることへのハードルは下がる。だけど、捨てる時には「なら買わなきゃよかったのに」と罪悪感のようなものを感じてしまうし、簡単に捨てられる程度のものを欲しいと思ったり、身に着けていた自分を軽蔑する。(だからといって、気に入っていないものを捨てないで一緒に暮らし続けるのもまた違うのだけれど)

値段に重きを置かない買い方を意識するうちに、昔のようにいたずらに流行に踊らされることが少なくなって、数ヶ月に一度行う断捨離でも捨てるものがぐんと減った。さらに、食器やニットなど、ずっと愛用できるものならば多少高価でも思い切って買うことが増えた。そして何より、安くてもずっと気に入って使うものの割合が増えた。

安いものほど慎重に買えば、後から後悔したり苦笑いしてしまうことが無くなるし、案外無くてはならない相棒となる可能性も秘めてくれる。それに無駄遣いが減れば、欲しけれど手が届かないと思っていた物だって自分のものにする好機を得やすくなる筈。

本当に欲しいものだけを手に入れる生活の愉しさ。そこには吟味する悦びも含まれているような気がします。

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