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恋とチョコレートは少し苦い方が好い

昔、何気なく「自分はセルフネイル派である」ということを口にした時に、「そりゃあそうだよ。あなたのような人間がネイルを塗るなんていう官能的で愉しい行為をわざわざ他人にさせてあげる訳がないもん。キシコがセルフネイル派なことに対して何の疑問も抱かない」と言われたことがある。もしかすると私は人から見て、とんだ快楽主義者に映っているのかもしれない。

そんな自由気ままで自分本位な私が、一等官能的だと思う食べものは、断然タブレット。あの滑らかな凹凸に舌を這わせて、その後そっと歯を立てたなら、もう止まらない。口内に広がり、喉に流れゆくのは、明け方に見る夢のようなカカオの甘酸っぱさ。それから、ときめきの目眩で呼吸が薄くなる刹那のような苦味。それらは私の中で眠る大切な記憶によく似ている。

初々しい夏の陽射しのもと、時折雨がぱらつくパリで、地図と格闘し、道行く人たちに尋ね、なんとか辿り着いたクリスチャン・コンスタン。そこはまるで活字中毒の女学生にとっての図書室のような場所だった。古びた棚にぎゅうぎゅう詰めにされたタブレットを見てしまった私は、片っ端から一口ずつ齧ってゆきたいという甘い衝動に溺れた。

あんなにも買い込んで、抱えるように帰国したくせに、あっという間に無くなってしまったあの味を想いながら、私は過ぎし日のきらめきを反芻する。タブレットにまつわる会話も一緒に、まるごと。そのどれもこれもが、恥ずかしいほどに可愛いくて、少しだけ、苦々しい。

時折、自分好みのタブレットを探し出しては、空輸してみたり、重い腰を上げて混雑覚悟で買いに出かけたりする。だけど、もしかすると、私はもう異性に上げることはないかもしれない。タブレットは気軽にプレゼントするには少しばかり官能的すぎる。カカオ濃度の低いミルクチョコレートならば話は別かもしれないけれど、やっぱりチョコレートと恋は、少し苦いほうが好いと思う。きっとその方が忘れられないものになる。

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