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唇のハレとケ

誰でも一本は持っているであろう、お気に入りのルージュ。それは目眩がするほどに真っ赤なものかもしれないし、無垢な少女に似合うような青みを帯びたピンクのものでも良い。

どんな色であれ、少しの斑(むら)も無く、美しく塗ることが出来た刹那、小さな電流が背中に走る。あの恍惚こそが、女の特権というものの正体ではないだろうか。

唇のハレの日、それは何かしら特別な出来事が想定される日。ホテルのバーで僅かに畏まりながらカクテルを選ぶとき。手を繋ぐか、それとも腕を組むのかと、距離感を測りかねるようなもどかしさに翻弄されているとき。見くびられたくない相手を前にして、いつもよりも少し凛とした自分を演じるとき。そういった日、私たちは大抵、洗面台やレストルームでほんの少し背筋を伸ばして、そうっと息を止めて、ひと思いに口紅を塗る。

けれど、いつもいつも寸分も気を抜かず口紅を塗り続ける女性はそう多くないだろう。おそらく口紅は唇にとってハレの日を象徴するアイテムで、大概のハレ(晴れ)がある物事には、ごく当たり前にケ(褻)が存在する。そして、唇の場合、ケの扱いがとても重要で、いかに唇のケアをするかによって、肝心の日に唇が持つ官能の濃度が大きく変わってくる。

そういう意味でも、もちろん身だしなみとしても、唇のケアを常日頃怠らない女性が、本当の「イイオンナ」なのではないかしら、と思う。だけど、残念ながら私は唇のケアをごく当たり前に入念にこなせるタイプでは無い。使い切ることもなくリップクリームを失くしてしまうことも多々なのだから、先ほどのイイオンナの条件をあてはめた場合は、予選敗北間違いなし。

そんな私が、一度も行方知らずにしてしまうこと無く最後まで使いきり、更にリピートしているのが、ジョー マローンのリップコンディショナー。唇の上に乗せた瞬間にするすると伸びて、リップクリーム特有の糊のようなベタつきが無いのが好い。微かに香るミントのような爽やかさも好ければ、塗った瞬間に浸透するのに、持ちが良くて全然乾かないところも好い。このリップコンディショナーに出会ってから、呆れるくらい不精な私が唇のケアを億劫に思わなくなった。

飯炊き三年握り八年、ではないけれど、美しい唇を手に入れ、完璧に口紅を引くことができるようになるには、それくらいの歳月が必要なのではないかと思うことがある。

唇三年ルージュ八年。いつの日か私は、ハレの日もケの日も文句なく美しい唇を手にいれることができるのでしょうか。

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