見出し画像

手帳に書くのは予定だけでは無い

この一年間、私は手帳を持つことをせず、スケジュールは総てiPhoneで管理してみた。

「今時手帳なんてナンセンスだよ。予定を見落とすリスクだってある」「iPhoneカレンダーはすこぶる使い易いし、PCとも一瞬で同期出来る」

彼らの言葉は至極真っ当に聞こえたし、私も素直に従うことにした。そうしなければ、まるでアナログな頑固人間として一歩歩んでしまう気がしたのだ。意志薄弱だと言われればそれまでだけれど、体験もせず頭ごなしに否定することって、どうにも無粋に感じてしまうのは私だけだろうか。

しかしながら私の「手帳と距離を置く日々」は、今ひとつ冴えなかった。

ご存知の通りiPhoneのカレンダー機能は優秀そのものだし、スケジュールの通知も時間の管理もパーフェクトだった。それでも、私はその美しいまでに計算されきった融通の利くシステムの中に、小さな願い事やちょっとした野望、好ましいと思った単語、日記にすらならないような何気ない感情、、そういった粉々の硝子の欠片のような感性までもは事細かに入力しきれなかった。ああいったものは、自分好みの紙の上を相性が良いペンを走らせることで、上手く消化出来るのかもしれない。

だから先日私は来年に向けて、再び手帳を買ってみた。今までと同じブランドの、薄くて無駄が無く、嵩張らない(だけど、六曜は抜かり無く記されている)小ぶりなノートブックの様なその手帳。きっと過去の手帳と同じように、他人から見ると意味の分からない言葉や落書きやコラージュで埋め尽くされるのだろう。そう思うと手帳は未来の私のために私が作る、私だけがちょっと愉しめる書籍のようなもの、なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?