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マグカップとの蜜月

ニーナ・シモンを聴く回数が増えて、街がイルミネーションで甘く煌めきだす頃、私とマグカップの蜜月が始まる。

気温の下降と比例して外出頻度は下がり、それまでの季節以上に自由気儘に本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたり、そういうことだけを飽きもせずに淡々と繰り返す。

傍らにはマグカップ。そしてマグカップの中身は九割方決まっている。クリッパーのドリンキングチョコレートか、たっぷりのアカシア蜂蜜を混ぜたホットミルクと。大振りで単純なディティールの食器には、子供の頃から変わらず好きな無邪気な飲み物がよく似合うと思うから。

私がマグカップに求めることは二つ。まず一つ目は、飲み口がなるべく厚くなくて、口当たりが良いこと。口当たりの良くないマグカップは飲みにくいし、中の飲み物も美味しく感じられない。飲み口の分厚いマグカップの存在は何もかもが無粋に思えて、好きじゃないものの一つだ。そして二つ目はいつ見ても口元が綻ぶほどに好みのデザインであること。

ある時には長時間にわたる根詰め仕事の相棒として、またある時は一緒にブランケットに包まりながら映画を観る。それほどまでに濃密な時間を共にするマグカップのデザインが今ひとつ気に入っていないというのはどうだろうか。反対に、いつ見ても惚れ惚れするほどに自分好みの見た目ならば?

マグカップはちょっと良いものだって五千円もするものはそう多くない。マグカップのデザイン一つで気分が高揚するならば安いものだと思うし、何とも思わないデザインのマグカップで飲むよりも味も格段に美味しく感じるだろう。もしかすると、もっと美味しい飲み物を淹れてあげたくなるかもしれない。

もしも家や仕事場のマグカップが何となく使っている、愛着も思い入れも何も無いものだとしたら、思い切ってそれを新聞紙に包み、自分好みのマグカップを探しに街に出てみてはどうだろうか。マグカップとの蜜月期間は一年のうちでもたった数ヶ月に限られているのだから、うっとりするようなお気に入りと過ごしたいものです。

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