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思い出はショコラショーと共に

ショコラショーが好きだ。痛みすら感じる風にひりつく鼻先を擽られ、吐息は唇からこぼれるそばから氷になってしまいそう。そんな寒い日に飲むショコラショーが一等好きだ。

チョコレートの類は大抵好きだから「ココアはやっぱり森永」に異論は無いし、自宅のロッキンチェアでブランケットに包まって映画を観る時にはクリッパーのずっしりとした甘ったるさが必要不可欠。だけど、私が愛してやまないチョコレートの飲み物は、最初の一口だけで鼻血が出てしまいそうな、とびきり濃いショコラショー。

パリではメトロの駅にポールが入っている。お店の奥でぐるぐるとかき混ぜられているショコラショーの大鍋は、視界に入った瞬間ついつい思わず舌なめずりをして、ポケットに手を突っ込み裸銭をかき集めてしまうほどに魅力的である。簡素な紙コップにお姉さんが素っ気なく注いでくれたそれをチビチビと啜りながら目的地に向かうと、パリのメトロ特有の侘しさや心細さがいつもよりも軽減されるような気さえする。

ショコラショーが美味しいのはパリに限った話ではない。気のおけない友人と愉しい時間を過ごした後、それでもまだ話し足りない時に立ち寄るオーバカナル。ここでも私は高確率でショコラショーを注文する。カップにたっぷりと注がれた、うんざりするほど濃く、喉の奥と後頭部を熱くする、その憎らしく愛らしい飲み物は、私たちの時間をより濃密なものにしてくれる。

ショコラショーを飲んでいると、いつだって素敵な思い出が蘇る。濃厚で、甘美で、少し苦くて、永遠に反芻していたくなるような思い出ばかりが綺麗に蘇る。寒空も、今ひとつ冴えない心も、ありふれた毎日も、私が疎むものを簡単に吹き飛ばし、代わりに愉しい記憶を再生してくれるショコラショーという飲み物は、多分死ぬまでずっと、ちょっと特別な存在なのだと思う。

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