テレパシーの種明かし

ある夜、初対面だったりそうじゃなかったりする男女何人かで食事をする機会があった。

そういう時に話題に上るのは、大抵「好みのタイプはどんな人だ」とかいう当たり障りなく盛り上がれるもので、その日のその時間も例外ではなかったし、これまた例外なく答えようが答えなかろうが関係なく自分の番が廻ってきた。

「テレパシーが使える人が良いな。喋らなくても会話が出来る人。ついでに会話の間や言葉選びの感覚が会う人」

強いて言うならばそれだけは譲れないなぁ、と言うと、その場にいた全員が、よくわからないけれどきしちゃんらしいねと笑った。ただ一人を除いて。

そしてクスリとも笑わなかった彼は、じっと私の目を見てこう言った。

「それってさ、要は四六時中相手のことを考えるってことでしょ。相手が何を求めているのか、どんな言葉が好きなのか、今どんなことを考えているのか。それで言うなら僕は間違いなく、自分が担当していた俳優とはテレパシーが使えた。延々に相手のことを考えているから」

とある芸能事務所でずっとマネージャーとして勤めていたというその人の言葉は私を真顔にさせた。そして同時に「ある人」のことを思い出した。

その「ある人」もまた(現在は編集者として活躍しているけれど)もう長いこと、とある著名人のマネージャーをされていた。
あらゆる現場はもちろん、彼の著作にも登場して「その人といえば彼」「彼と言えばその人」という印象すら抱いていたし、きっと本人たちにしか分かり得ない絆のようなものがあっただろう。

そして、そのふたりもきっと「テレパシー」が使えるに違いない、と思ったのだ。彼たちの関係は、それほどまでに強烈で濃密なものに映っていた。少なくとも私には。

四六時中相手のことを想う。苛っとしても腹を立ててもなお、相手のことを一番に想う。相手がどんな風に感じているのか、相手がどうしたいのか、相手がどんな気持ちでいるのか。何を食べたいか、誰を可愛いと思っているか、これからどうしたいか。喜怒哀楽やその瞬間のふとした空気を読み取る。

もはやそれは愛なんていうものじゃなく、いわば呪いのようなもので、自分の意思も関係なく想い続ける。
そうしてお互いの気持ちや言葉を、イルカの超音波の如くやり取りするのだろう。私が言うところの、「テレパシー」として。

よもや私はあんな二人の関係のようなものを異性に求めてしまっているのだとしたらとんでもないことである。
たとえ本当にもしそうだとしたら、果てしなく難しい条件のように思うし、そんな人に巡り合うなんて、今にも透けて破れてしまいそうな薄い薄い奇跡に近いような気もする。

だけどあの夜からテレパシーの種明かしが頭を離れない。
だってそれが、私の欲しい唯一の条件なのだから。

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多謝
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前田紀至子

気儘日記

毎日のように書くかもしれないし、思い出した時に書くかもしれない。
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コメント1件

テレパシー、しみじみと、考えました。その眼差しの深さについて。

情の温度について。
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