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強い内面からの促しによる人生の選択

「あの時僕には、若くして、僧籍に身を捧げることは、人生の様々な楽しみや発展の可能性を犠牲にするように思えたのだ」(森有正『バビロンの流れのほとりにて』)
 森有正は、ノートルダム寺院でミサを聴いていた時、献金を集めにきた若い僧を見て「あの若いのに可哀想だね」といった。「発展の可能性を犠牲にするように思えた」というと、この若い僧が自分の才能を活かせるよりよい人生があったのに、それを選ばなかったという意味に読める。
 このエピソードを読んで、私は高校の同級生が大学に進学しないと言い出した時のことを思い出した。彼は大学で学ぶことは何もないといった。既に人類学を学んでいた彼がそう思うのはもっともだ
 と思う一方で、大学に行けばさらに才能を伸ばせるだろうと、大学に進学しないことは彼の人生の可能性を狭めることにならないかと懸念した。
 しかし、森の言葉でいえば、彼の選択が人生の「発展の可能性」を犠牲にすることにならないだろうとも思った。森は、若く僧籍に身を捧げることが人生の楽しみや発展の可能性を犠牲にするという考えを否定はしない。しかし、少し見方が変わってきたと次のように書いている。
「それは、一人の人間が、若い時に、人生の様々な経験によって擦りへらされる前に、自分が熱情を感じたものに、全人生を捧げることは、決して間違っていないのではないか、と思うようになってきたからだ」(前掲書)
 若い時には、どんな人生でも選べる気がする。しかし、どんな人生でも選べるという可能性があることと、実際にどんな人生を選ぶかは別問題である。
 どんな人生でも選べたわけではない感じる人は多いだろう。どんな仕事にでも就けると思っていても、自分の置かれた環境がそれを許さないことがある。何か偶然的な力が働くこともある。
 しかし、必ずしもやりたいことではなかったとしても、今も仕事を続けられているというのは、自分にあった仕事だったともいえる。
 多くの人は強い意志で人生を選んだわけではないが、たしかに若い時に他のことに目も暮れず、自分が感じた熱情に人生を捧げる人はたしかにいる。
 森は、なぜ若い時に熱情を感じたものに全人生を捧げることは決して間違っていないと考えるようになったのか。
「人生の終わりになって、人がかえりみて思うことは、人生のよい時は若い時であり、それ以後は、それに並ぶ時はもうなかった、ということではないだろうか。そうして見ると、若い時に献身の熱情に燃えた者が、以後の全人生をそれに献げて、若い時の果を結ぶのに用いることは、全人生を若い時の熱情の水準にまで高めることで、決して間違ってはいないのではないか」(前掲書)
 人生のもっともよい時である若い時に感じた熱情に全人生を捧げれば、全人生を若い時の熱情の水準にまで高めることができると森は考える。しかし、私は、森が「人生のよい時は若い時だ」といい、若い時を人生の他の時期と比べて特別視するのかわからない。誰もが、人生の終わりになって、「人生のよい時は若い時だ」と思うとは限らないのではないか。
 歳を重ねてから、そのために人生を生きようと思えることに出会えることはある。森は、アルベール・シュバイツァーの例を引いている(『いかに生きるか』)。
 シュバイツァーは、神学者、哲学者、オルガニストだったが、突然、アフリカに行く決心をした。その時、シュヴァイツァーは三十代で、学者、芸術家として忙しい生活の合間を縫って、アフリカの人を助けるためにストラスブール大学の医学部に入学し、医学を学び始めた。彼が医学部に入ったのは、医学的な興味からではなく、人道的見地からだった。
 彼にオルガンを教えていたビドル先生は、なぜ止めなかったのかとまわりから責められた時、こう答えた。
「神さまが呼んでいるらしい、神さまが呼んでるというのに、私は何をすることができようか」
 天職のことを英語ではコーリング(calling)、ドイツ語ではベルーフ(Beruf)という。どちらも「神に呼ばれる」とか、「神に呼び出される」という意味だが、神に強制されるのではなく、強い内面からの促しによる「しっかりした不動の決心」(森有正)を表す。
 若い時であれ、歳を重ねてからであれ、そのような決心をする人がいれば、その決心を実現する援助をしたい。せめて邪魔はしてはいけない。高校生の頃、哲学を学びたいと私がいった時、父は反対したにもかかわらず、母が「あの子がしていることはすべて正しいから見守ろう」と私の選択を支持してくれたことはありがたいことだった。

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