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問題について語らない

2024年4月6日
 子どもが自分の課題を解決する援助をしてはいけないわけはないし、むしろしなければならないが、その前にしなければならないことがあることを親に理解してもらうのが容易でないことはあった。その一つが問題を問題にしないことである。
 アドラーが子どものことでカウンセリングにやってきた親に次のようにいっている。
「今は勇気づけるしかない。彼の問題について語ることは勇気づけにならない」(『個人心理学の技術II』)
 正確にいえば問題ではなく、親が問題だと思っていることだが、例えば子どもが学校に行かなくなったとしても、今後どうするか子どもが自分で決めなければならない。親は子どもの力になりたいが、力になれるためには学校に行かないことを語らないことが必要である。子どもを見た時、また子どものことを思った時に、不登校の子どもではなく、ただ子どもと思えるようになりたい。
 次にできることは、勇気づけである。これは子どもが自分に価値があると思える援助である。自分に価値があると思えたら、自分で解決するしかない課題に直面する勇気を持てる。自分で解決するしかないというのは、親も含めて誰も自分に代わってこれからどうするか決めてくれないということである。昨日引用した言葉を使うならば、「待ったり、期待しない」しないということである。
 親も子どもも今起きているかが誰の課題であるかがわかり、子どもが自分で課題を解決しようと思った上で、子どもが援助を求めてくれば力になりたい。親でない人に相談をすることも当然ある。
 今日は湯村温泉にきている。桜が満開だった。「夢千代日記」の舞台になった温泉だが、今は知っている人は少ないかもしれない。直近の締切がないのでぼんやり過ごしているが、MacとiPadは持ってきている。旅先では夜早く眠れるというわけにいかない。




万福寺の階段を下りる孫たち。姉は両手で手すりを持って慎重に下りるが、弟はさっさと下りていく。

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