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真の仲間とつながりたい

2023年12月10日
 朝目が覚めた時に痛みがなくなっていたらいいのにと思うのだが、変わらず痛みがあるとがっかりする。それでも、不断に痛みがあることはなくなり、痛みがあるのに痛みを忘れているのではなく、痛みがない時間が増えたのはありがたい。
 三月出版予定の本の初稿を八日に戻した。十五日の締切より早く戻せてよかった。校正者の鉛筆書きがたくさんあったので、真っ赤になってしまった。これまで読んできた本の中から引いた章句をもとに書いたエッセイ集である。
 校正者氏は曖昧なところは残さない人のようで、もちろん正確を期するためにありがたい指摘は多かった。しかし、例えば、ある作家の母親が娘が誰かわからなくなったという話を引いた時に認知症と加筆を求められるのである。作家自身は親を認知症とはいっていない。私の父も晩年認知症を患ったが、父は認知症を患っていたが、認知症の父ではなかった。
 人を属性で見ないことを難しいと思う人はいるかもしれない。『イ・ドゥナ』というドラマを最近観た。大学生のウォンジュンが、シェアハウスで、アイドルグループを脱退したイ・ドゥナと出会うところから始まるが、彼が彼女を元アイドルというような属性で見ないところに好感を持った。強いていえば、ウォンジュンにとってイ・ドゥナは人である。自分のことを他の人に知ってもらうのに、所属先とか役職を以外のことをあげられない人は多くないだろうか。
 もうすぐ出版される『つながらない覚悟』に、「孤立しても、孤独にはならない」と書いた。孤独にならないためには、自分を支持する「仲間」、何があっても味方である人がいると思えなければならない。
『今日もあなたに太陽を〜精神科ナースのダイアリー〜』にこんなシーンがある。うつ病で入院していたダウンが復帰した時、皆の噂の的になり、患者の家族からは辞めるようにいわれる。食堂で同僚と食事をしようとしていた時、精神科に移る前の内科の師長が彼女のテーブルにやってくる。一瞬緊張するが、師長はいった。
「あなたは間違ってない。わけもなくびくびくしていないで堂々としていなさい」
 仲間(Mitmenschen)はアドラーが使う言葉で、人と人がつながっているというのが原義である。自分を支持する真の仲間とつながりたい。

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