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それって、ただのラッキー

*運や偶然などの言葉を多様してますが、スピリチュアルについての記事とかではありません。
あと、全体を通して抽象的なことばかり言ってます。

最近になって、私は意外と運がよいのでは…?と思うようになった。
私はわりと特殊な家庭環境で育ったわりには、現在平穏に暮らしている。
それって結構運がいいのではないか。と思ったのがきっかけだ。

私が育った家庭環境は、簡単にいうと昼ドラに出てきそうな感じだった。
抽象的な例えになってしまったけど、伝わるだろうか…。愛憎渦巻いているような感じ。
すごく年の離れた姉妹、嫌がらせ、共依存、家庭崩壊。みたいな。
まさに、機能不全家庭だった。

幸い、家族以外の周りの人達には恵まれてきた。特に私が中学生の頃は、我が家の家庭崩壊具合が1番ひどかった。
そして、私が通っていた中学校は周囲でも荒れていると有名な学校で、ヤンチャな子も多かった。教室のドアはよく外れていた。

私は特段目立つような学生ではなかったので、可もなく不可もない平凡な学生生活を送っていた。学校は荒れていたけど、家にいるより学校にいる方が、ずっとずっと気が紛れたし落ち着いた。
でもこの当時にもし、学校で少しでもトラブル(嫌がらせとか悪口を言われる)があったら、当時の自分の家庭環境も相まって、私はどうなっていたか分からないな…。と思う。

家庭も×、学校も×。だとしたら、どこにも安心出来る場所がなくて、きっと気持ちのバランスを壊してしまっていたかもしれない。

私は自分に矢印を向けるというより、周囲に矢印を向けるタイプの人間だと思うので、自分が気持ちのバランスを壊した時に、誰かを傷つけるようなことを起こしていてもおかしくなかったな。と思うとゾッとする。そう考えると、現在平穏に暮らせていることは、ものすごく奇跡的な気がしてきた。

ほんの些細なきっかけで良くも悪くも人生って変わることが多いと思う。
気持ちが沈んでる時に入ったコンビニで、レジの人がめちゃくちゃ愛想が良かったりすると、ちょっと気持ちが上向きになったり。
逆に大したことないと思っていたことが、後で思ってもみなかったようなトラブルになったり。

今までの自分の人生を振り返ると、
私はずっと沼のようないつ沈むかわからない不安定な場所を歩いてきた気がする。
でも今まで、沈まない場所を歩いているのは、私が沈まない場所を選んでいるからだ。と思っていた。自分の努力や頑張りのおかげだと思っていたのだ。
でも本当は、私は沼の中で歩ける場所をたまたま歩いていただけ。まさにただの偶然。少しでも場所(周りの環境)がずれていたら、私はきっと沼に沈んでいただろう。

そう思うと、なんか私って運いいかも!と思う。私は単純で前向きだ。
でもそれが私の良いところ。

偶然が重なって今の私の生活があるんだな。
と最近ぼんやり考えていて、それを言葉にしてみたくてこのnoteを書きました。
全体的に抽象的な内容&自分語りnoteになってしまいましたが、ここまでお読み頂きありがとうございます。

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