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ドールズ 《6》

 レイチェルが帰るために廊下を歩いていると、レイチェル、と声がかかった。振り返るとデリックが立っている。

「いま帰り? ちょっと一杯寄っていこうと思ってるんだけど、どう」

「どうせ説得しようと思ってるんでしょう? 命令は指示通りにやりますからご心配いただかなくても大丈夫ですよ」

 レイチェルは冷ややかに言った。必要な仕事だということは分かっている。目の前のドールに感情移入している猶予などないことは、言われなくとも承知していた。

「今日はドナの誕生日なんだ。どこかで献杯したいだけだよ」

 デリックは頭をかきながら言った。レイチェルは押し黙り、つい、と横を向いた。そのまましばらく考えたあと、下を向いて小さくため息をつく。

「キワに連絡するから、ちょっと待って」

「出たところにいるよ」

 デリックは軽く右手を挙げてレイチェルを追い越していった。かつん、かつん、という靴音が廊下に響く。

 確かに今日はドナの誕生日だった。デリックの遠ざかる背中を見ながら、レイチェルは右手を耳に当て、キワに通信をつなげる。

『はい。どうしたの』

 通信の向こうで少し疲れたようなキワの声がした。

「ちょっとデリックと話をしてから帰ることにする」

『そう、ごはんは?』

「何か軽く食べて帰るから、用意しなくて良いよ。先に寝てて」

『そうするね。なんだか少し調子が悪いみたい』

「ゆっくり寝てね」

 ぷつっと通信が切れた。そのまま今度は違う場所にコールする。

 しばらくの呼び出し音のあと、低い男性の声が答えた。

『なんだね』

「キワのことなんだけど」

『そろそろ連絡が来る頃だと思ったよ』

「明日は休みだから午前中に行くけど、いいかしら」

『ラボでいいかね』

「分かった」

 キワは通信を切ったあともしばらく考え込んでいたが、軽く頭を振ると職場をあとにした。

「ドナの夢は見る?」

 デリックと立ち寄ったバーカウンターで、前を向いたままレイチェルは聞いた。バーは空いていて、古いピアノ協奏曲がかかっていた。

「たまにね」

 デリックはグラスを手の中で回しながら答える。

「どうしてドナを生かさなかったの」

 デリックは、またその話か、という顔をしたまま琥珀色の液体の中で音を立てる氷を見つめた。レイチェルはデリックを横目でちらりと確認したが、デリックは口を開かない。

 レイチェルは自分の目の前にあるロンググラスをカラカラと鳴らす。中身は空だった。音に気づいたウェイターがカウンターの中から静かに声をかけてくる。

「お次は何にしますか」

「同じものを」

 ウェイターは黙ってグラスを下げた。

「……別にあなたを責めてるわけじゃない」

「そうだね。分かってるよ。彼女の命がまだ維持可能だったなら考えた」

「可能だった」

「五分五分だったよ」

 レイチェルは反論しようと口を開きかけ、そのまま閉じた。もう何度も繰り返した会話。本当に話したいことはこうじゃない気がして考え込む。

 レイチェルが黙ってしまったので、デリックは片眉をあげて様子を伺ったが、何も言わずに待った。

 届いた新しいグラスに指をやり、その冷たいガラスをなぞりながらしばらく考えたあと、レイチェルは息をつく。

「キワの調子が良くないの」

 告白するように言った。デリックは小さな声で

「薄々気づいていたよ」

 と答えた。グラスの中身を飲み干し、ウェイターに向かって軽く振ってみせ、人差し指をあげ示した。ウェイターは何も言わずにグラスを取りに来て下がっていく。

「時々考えるの。キワはあの時、あのまま死んだ方が楽だったんじゃないかって。私のわがままで生かしただけで、キワは本当はそんなこと望んでなかったんじゃないかって」

 レイチェルの唇がそう言葉を紡ぎながら軽く震える。レイチェルは自分の唇が震えていることに気づくと、固く下唇を噛みしめた。

「キワはそう思ってないんじゃないかな。昔も今も、君らは仲のいい姉妹に見えるよ」

 デリックは何でもないことのように告げた。レイチェルは首を振る。

「ううん、キワも多分、そう思ってる。……器官保護装置には、特に人体型器官保護装置には、とてもお金がかかるもの。彼女は私の負担になってることをものすごく気にしてる」

 レイチェルは苦しそうに笑う。

「私はキワの命がつなぎとめられるのなら、いくらかかっても、そのあとかかりつづけても、全然良かった。……でも、彼女はそのせいで苦しんでいる。あのまま死なせてあげれば、キワは別に苦しまなくて済んだ。そして、今度は二回目の死にも直面してる。私はキワを生かした挙げ句、苦しめている」

 デリックは黙って聞き続けていた。

「あなたは正しかった。私はずっと自分の方が正しいと思っていた。でも本当はちゃんとドナを手放したあなたの方が正しかったのよ」

 グラスに口をつけずに握りしめたまま、沈んだ声で語るレイチェルに、デリックは口を開いた。

「僕の考えは違うな。レイチェル。僕はあの時、ドナの命を維持できる可能性は五分五分だと言われた。でも、いろんなことを考えた。もしもドナの命を繋ぎとめられたとして、その後、ドナを維持し続けられるか、僕がもし事故や事件で死んだら、彼女はどうなるか、とか。

 ……レイチェル、君より歳を食っていた分、僕は打算的だったんだ。それだけだよ」

 デリックは自嘲気味に笑う。レイチェルは少し冷静を取り戻して、グラスに口をつけた。

「私は、あのときにキワを失うかもしれないことを受け入れられなかった」

 そうだな、とデリックは受けて、新たに手元に置かれたグラスを手に取り、からん、と鳴らした。

「僕は『人はいつか死ぬ』ということを受け入れすぎていたのかもしれない」

 二人の間を静かなピアノの旋律が踊るように駆け抜けていく。

「ドナは、私にも優しかったわ」

 ぽつりと、レイチェルは呟いた。

「そりゃもう自慢の妻だったよ」

 デリックはおどけるように答える。

「もしまだ生きていたら、私になんて言ってくれたんだろう」

「彼女が生きていたら、キワも人体型器官保護装置のお世話になんてなってないから、どうだろうな」

 それもそうね、と苦々しくレイチェルは低い声で言う。

「キワは、どうなんだい」

「明日サム博士に会うの。詳しく聞いてくる。最近、記憶が前より持続しなくなっているし、脳を維持するためにかかるエネルギーが大きすぎて、体力が持たなくなってきてる。でも原因がどこか、私がチェックしているだけでは分からないの」

 デリックはそうか、と言うとレイチェルの方を向いた。レイチェルは難しい顔をしたままグラスを見つめている。

「レイチェル、器官保護装置はまだ絶対の技術じゃない」

 デリックが言うと、レイチェルは顔をデリックに向けた。

「だから嫌なのよ。もしあの子、……アベルみたいに、キワが将来的に脳内データだけの存在になってしまったら? 政府が法整備も視野に入れているのであれば、今後そうなっていくってことでしょう。でもそれは、キワって言えるの。もしデータだけの存在がキワなんだとしたら、アベルは……アベルはもう既に人なのではないの」

 どうかな、とデリックは言い、グラスに口をつけた。

「テセウスの船、か。細かい線引きは政府がするんだろうけど、さて、僕には手に余る道義的な問題だな」

 それに、と言うとレイチェルは口ごもる。

「あのドールは、いつ死ぬの。どうなったら死んだと言えるの」

 デリックはそれを聞いて言葉に詰まった。

 人造の取り替え可能なパーツだけでできたドールは、パーツの取り替えが可能だ。下手をすると何百年でも生きられる。

「脳内データが壊れたときかな」

「バックアップされているでしょう?」

 デリックは飲み終わったグラスをカウンターに置き、さて、と言った。

「あんまり深酒するとドナに夢で怒られそうだ。僕はもう帰るよ。付き合ってくれてありがとう。ここはごちそうしとくよ」

「ちょっと」

 席を立ったデリックをレイチェルが呼び止めると、デリックは振り返ってくすりと笑う。

「アベルの事? 君はきちんと自分で結論をつけてくるでしょう。その辺は長年の付き合いで分かるよ。僕はお酒が入ると難しいことはあんまり考えられないし、ここらで退散する。じゃ、おやすみ」

「調子いいわね。……ごちそうさま」

 レイチェルは呆れた様子で手をひらりと振ると、諦めたようにカウンターに向き直った。

 デリックはいわゆるエリートコースの出だ。しかも酒にはめっぽう強い。多少のアルコールで考えがまとまらなくなるわけがなかった。アルコールが入ってくだを巻き始めた自分から逃げたのだろう。そんなことはすぐわかる。

 レイチェルは頬杖をついた。

 明日、サム博士のラボに行くのがたまらなく憂鬱だった。


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