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右から左へ動かすだけ、を支えるもの。

「メディアを右から左へ動かしてるだけ。メディアマンの仕事は、マシーンに置き換わられて、すぐ不要になるだろう。」

最近、業界の専門書やコラムなどで、こういった類の言葉を目にする。

間違っていない部分もあるし、基本は業界の未来に対し警鐘を鳴らす目的の発言だと思うので、あえて否定するほどのことでもない。が、本当は違和感を感じている。気になるのは、こういった類のことを語っている人たちは、本当にメディアの現場に身を置いて仕事をしたことがあるのかということ。

言うまでもなく全ては個人の能力、仕事の仕方によって異なるので、職種という単位ではそもそも議論できない。しかしあえて言えば、あまりにもメディアの現場にはスキルや知がないと思い込み過ぎていないだろうか?
私はメディアマンの仕事には、外からは見えない、数量化しにくい技術がたくさんあると思っている。残念ながら、いずれその一部はマシーンに置き換えられ効率化することは否定できない。それでも、間違いなく置き換えられない部分がある。

それは、摩擦の中に協調を見出し、着地させる力だ。

どんなビジネスでもそうだが、意図や正義、大義が異なる人たちが交渉したり駆け引きしたりして、商いは行われる。違う正義を掲げて戦うから、そこには必ず正論どうしのぶつかり合い、摩擦、時に妥協や貸し借りが起こる。人間がこれだけ知性を手に入れても、未だ国際問題がなくならないのと同じで、この両者を調整しながら物事を進めていくという技術は、マシーンでは解決できるのもではなく、生身の人間の知力、体力、そしてなにより心を使う。いわゆる人間力である。

この仕事は外から見えない。何より外部からの評価が難しい。例えばクリエーティブなどという職種にると、仕事のサイクル内に、明確なアウトプット、つまりは目に見える成果物があるため、(少なくとも精神的には)満足しやすい。でもメディアの現場で、自分の働きの成果を可視化できることはむしろ珍しいと言えるだろう。

だからこそ、彼らは人とのつながりや、関係性を自らのモチベーションに変えて戦うのだ。超えた蟠りや、削ったもの自体が糧になっていく。

メディアマンの仕事が誰にもできる仕事だと思っているのは大きなおごりである。そんな現場の人間の心の動きや苦労に、敬意と労いを持てないことのほうが、この業界の未来を曇らせることになるのではと、時に心配になるのでした。

岸勇希(2014年6月4日に書いたものを一部加筆修正)

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