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あめつちのかみ

みなさん、こんばんは。kishoです。
今日はふらっと開いた多田雄三氏の本、言霊の幸から引用を。

人は生まれて死ぬ。
けれどもいまある身がいつ死ぬかなどとは考えない。
特別の異変でも起こらなければ、生ける人は「生をのみ追う」
在るものは、常にあることのみ知る。
所有せるものを失うということは大異変でもあるかの如く考える。
奪われる、盗まれる、取られる、失う、破壊される、などの事は甚だ常と異なるが如く、多くの場合は考える。
こうしていつも不思議なことに、自ら取り入れることには不思議を感ぜず、取ることのみを知って失うことを不思議視する。
在ることのみを知って無きことを忘れる。
入れることばかり考えて出すことを知らない。
それは自分勝手な人間の考えることで、宇宙の理ではない。
「宇宙の理でない」ことを思考する人間とはそもそも何者であろうか。
まことにこれ不思議なる怪物。

多田雄三氏は明治生まれの秘教的神道家です。
その方が昭和のはじめに残した言葉は今でも通用する。。。というか本当はしてはいけないのでしょうけど。

物質文明が悪いとは思いません。
こうやってパソコンを使っているのも物質文明の恩恵です。
スマホもそうですね。

けれどそれに囚われるとどうなるのか?
それを戒めてくれているように思います。

ものがあれば幸せになるという高度成長期を経て、いまみな幸せになったのでしょうか?


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