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切り花のこと

ずっと言いたかったこと、書きたかったことだけど、何かがこわく躊躇していたけど、世の中に・世界のどこかに・この思いにちょっとでも共感してくれる人がいるかもしれないという希望的観測で書いてみます。季節の節をむかえ、早春というタイミングで。
合わせて英文も載せれたらいいけど、中学英語をどっかに置いてきたんでさっぱりなんです。

私は切り花が苦手でした。苦手というより、見ていると悲しくなるというか違和感というか。
今はだいぶ大人になり、周りの人たちと意見や思考(&嗜好)を合わせられるようになったので、時々野草を一輪挿しに、庭木の訳あって剪定した花を花瓶に挿したりと自分の部屋で楽しんでいます。

小学生のころ、学校にあった花壇に「花を抜いてはダメ、命を大切に」というようなフレーズの小さな看板がありました。でも卒業式と入学式に飾られるあの豪華な生け花を見て、先生たちはウソつきじゃないか!花を切りまくってるじゃないか!って言葉にはしないけど、心の中で悶々としていました。
母も生け花が好きなので、物心ついた時から常に家には花が挿してあったけど。

きれいと感じることあれど。


その違和感は、親交があった植物生態写真家の埴 沙萠(はにしゃぼう)さんが言葉にしてくれました。
”花が開き、実をつけ、そして種となり、その種がどこかに運ばれ、また芽を出す。それが植物の命の循環であって、人間都合で花が咲く瞬間に切り取られ、生を全うできない植物たち”のことを本当に残念がっていました。

同時に、”わあ!きれい!というだけでバサッとその植物を切り家に持って帰る行為” (行きすぎな、盛りすぎなフラワーアレンジメント等です)激しく怒っていらっしゃいました。そっか、あの時、幼かった私は大人に怒ってよかったことなのかもしれない。

”なぜこんなことが許されるの!?” と。

やっと長年のもやもやが取り払われた瞬間。
とは言え、これはかなり偏った考えであることはわかっているしいろんな意見・提言があって当然です。

埴さんの植物との付き合い方ウェットなところがなく、割とドライでありながらも愛が深くて私はいつも尊敬してました。

パクチーの根。しょうゆ漬けにし、調味料になるそうです!

切り花、生け花、華道としての世界は歴史が長く、神様を迎え入れたり、芸術だったりまたは仏花としても役割もあることはわかっている。ただ、今の流れで言うならば、雰囲気良く飾って写真を撮りSNSにアップして終わり!ではなくて、心から愛でてほしい。できれば朽ちるまで愛でてほしい。
朽ちた後も、可能ならば難しいかもしれませんがゴミに出すのではなくて土に戻すのはどうでしょうか。(家に捨てれそうな地面があるなら)
犬猫に愛を注ぐように、家に招き入れた草木花の小さな命も最後まで手をかけてみて。


つぶやくだけなら簡単ですけど、あえて言わせてもらうと、エンターテインメントとしても豪華なフラワーデザインというジャンルもあるし、フラワーデザイナーもいるので、それを否定するわけではないが、何か新しい流れが出てきてくれないかとずっと願っています。ブリザードフラワー以外のフラワーデザインの新しいジャンルとして。

SDGsをかかげる団体のイベント会場で、派手なフラワーデザインの作品が飾ってありものすごく違和感とモヤモヤw。そういうことです。

たんぽぽもスミレも桜も満開。 ひっそりと開いているフデリンドウ。こんにちは!


今の時期、銀座でも渋谷でもコンクリートの隙間からタンポポやカタバミが顔を出します。雨上がり、公園の端っこにある切り株をチェックしてみてください。キクラゲが顔を出しています。桜を見上げるのもいいけど、足元の小さな命に、小宇宙に気づいて愛でる楽しさ。
Let's go!




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