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聖アンデレ(2-C) イエスの磔刑と復活を検証する②管理部門の視点から

前回(2-B)を、イエス教団の管理部門の立場から見直してみましょう。

エルサレム行きにあたって

聖アンデレはCFOですので、イエスに従ってエルサレムに同行したと思われます。イエス教団の仮の本部としての宿の準備や、食事の手配など、庶務を取り仕切っていたことでしょう。

エルサレムに同行した弟子の数は、ある程度厳選されていたと思われますので、ここでは、12弟子に、その妻子を足した20~30人程度と想定しておきましょう。それなりに大きな宿屋などでないと泊まることができない人数ですね。

最初の異邦人伝道が行われたとされるのも、この時です。

祭で礼拝するために上ってきた人々のうちに、数人のギリシア人がいた。彼らはガリラヤのベツサイダ出身であるフィリポのところにきて頼んだ。
「もし。イエスさまに、お目にかかりたいのですが。」
フィリポはアンデレのところに行ってそのことを話し、アンデレとフィリポは、イエスのもとに行って伝えた。
         (ヨハネ福音書12:20~22)

こういった活動ができるとするならば、過ぎ越しの祭りの始まる少し前の時期からエルサレム近郊に滞在していたことでしょう。そのためには、自分たちで資金を確保しておくか、または、有力なパトロンを味方につける必要があったはずです。

実際、地元の議員であるアリマタヤのヨセフなど有力な人物の協力を得ていますので、エルサレム行きにあたって、聖アンデレや聖フィリポなどの管理部門は、身の回りの庶務(買い出し、炊事、洗濯、掃除など)の他に、イエスの協力を得ながら、エルサレムの富裕層・有力者層との接点づくりや寄付金集めに励んでいたと考えてよいでしょう。

これができるということは、聖アンデレは文字の読み書きができる人だった可能性が高いでしょう。事前に手紙などのやり取りをしていなければ、そこまでできないと思われるからです。

神殿との対決に向けて

さて、神殿との対決です。

イエスの妻であるマグダラのマリヤが、夫イエスの覚悟を知り、気丈に見守ったのと同様に、イエスのそばに仕えた聖アンデレたちも、師イエスの覚悟をサポートするために待機していたと考えるのが妥当でしょう。

そのための準備として、何が行われていたのでしょうか。

一般の企業に引き直してみれば、ビジネス推進部署(営業部署)が、社運をかけた一大プロジェクトに乗り出すにあたって、管理部門を含むその他部署が調整しておくべきこととは何か、という話になります。そのすべてが、CFOである聖アンデレの担務になるでしょう。

(1)有力者とのパイプづくり

聖書には、アリマタヤのヨセフが明記されていますが、その他の有力者にも当然に協力を求めていたことでしょう。直近に予定する「神殿との対決」計画については、遠い将来の可能性の一つとしては、なんらかの助言を引き出そうとしたのではないでしょうか。

(2)資金確保

近々予定される「神殿との対決」を経た後に、どのような展開になるか分からない以上、また、その際に誰を巻き込むかも分からない以上、資金はいくらあっても、あるに越したことはありません。有力者や信者となり得そうな人々からの寄付を募ってもいたでしょう。

(3)配役

イエスとトマスは、同じテクトン出身で、土木工事から建築、家具製造まで従事した経験をもっていたことは前述の通りです。このことから、トマスは「イエスの身代わり」とされたのではないでしょうか。トマスが「双子のトマス」と呼ばれたのは、イエスにそっくりだったという意味ではないかと思われます。 

この他にも、現場と拠点との連絡のやり取りにイスカリオテのユダを使うなど、エルサレム同行メンバー全員について役割分担を行ったものと思われます。

(4)偵察

おそらくペテロたちを偵察係として神殿に送り込み、中の様子を探らせたのではないでしょうか。聖アンデレにとってペテロは、以前に洗礼のヨハネが処刑された後には同居していた仲でもあったので、同じ目線、同じ思考で偵察してくるメンバーとして、ペテロは適任であり、とても頼りになる存在だったに違いありません。 

イエスに悪魔と呼ばれた弟子 

よく知られていることですが、イエスはペテロに対し、「悪魔よ、引き下がれ」と叱っています。内容的には、神殿との対決の直前、自分と共に神殿に向かう者を募ったタイミングです。

人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、諫めはじめたので、イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。
「悪魔よ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。」
(マルコ福音書8:31~38)

このイエスとペテロのやり取りは、イエスと聖トマスとのやりとりとは対照的です。

するとディドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った。
「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか。」
(ヨハネ福音書11:16)

先生に注意しようとして激怒させたペテロと、先生とともにどこまでも付いていこうとした聖トマスは、よい対比関係にあると言えるでしょう。これは、イエスの死後の対立にも持ち越されたため、相当根深い確執だったのでしょう。 

さて、ここから、いろいろと推測してみましょう。 

イエスも聖トマスも、よく似ているため、イエスが神殿に向かえないのであれば、ディドモ(双子の、つまり、影武者/そっくりさんの)聖トマスも事前に姿を現すわけにはいかず、偵察には加わらなかったでしょう。

神殿への視察メンバーは、行ってみて驚嘆したことでしょう。厄介なことになったと思ったに違いありません。師の思いが達成できるかどうか分からない状況が生じた以上、なんらかの形で適切に師に一報を入れる必要があるはずです。そういう場合、必然的に、師に近い人間から話を入れてもらおうとするはずです。

つまり、ペテロは、立場上、嫌な役目を引き受けざるを得ず、偵察隊の意見を代表して、イエスに対し「イエスの思うとおりに対決が進められるとは限らない」旨を進言したのではないでしょうか。そして、イエスの逆鱗に触れたのだと考えます。

このような場合、ペテロは、管理部門の長である聖アンデレに対して、何か相談したでしょうか。事前相談をしたかは分かりませんが、事後相談は、当然にしたことでしょう。 

その時、聖アンデレは、なにを考えたでしょう。 

最後の晩餐

 まず、最後の晩餐でのイエスの態度にゆらぎがあることを確認しましょう。

 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。そして、一同が席について食事をしているとき言われた。
「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたの中のひとりで、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは心配して、ひとりびとり「まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。イエスは言われた。
「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。しかるに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。」
 
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれを割き、弟子たちに与えて言われた。
「取れ、これはわたしのからだである。」
また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた。
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない。」
(マルコ福音書14:17~25)

彼の人生をかけた戦いをこれから始めるのですから、イエスの感情が高ぶっているのは当然です。前段は怒りに任せて裏切った弟子をののしっておりながら、後段では、(裏切る弟子を含めた)弟子全員に対してパンとワインを振る舞い、自分の肉と血として紹介し、最後は願掛けまでしています。食事が進むにつれて、すこし落ち着いてきたのでしょう。

 この頃のイエスは、すこしのことでも激しやすくなっていたようです。神殿に入っていく直前のエピソードも見てみましょう。

 翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
(マルコ福音書11:12~14)

 それまでの布教においてイエスにみられるような「慈愛に満ちた兄貴分、頼れる存在」といった印象とは異なっていることが分かります。

 さて、われわれは、既にみたところに従い、イスカリオテのユダは「裏切り者ではない」という整理をしていますので、イエスが言及した「裏切り者」は他にいると考えます。イエスが裏切り者と言及した人物としてふさわしいのは、そう、悪魔とまで言われたペテロを置いて他にありません。

 聖アンデレは、こうした状況を、主体的に、しかし冷静に見ていたことでしょう。

 妥協の模索

 組織のトップが、ある部下に対して一方的に怒り出し、悪感情を抱いたとします。他方で、組織のNo.2である貴方は、その悪感情の原因が誤解であることを知っており、その部下の頑張りもよく理解しているとします。そして、その部下の協力を得なければ、組織のトップが明日実行に移そうとしている計画も上手くいかないことを深く理解しているとします。このような場合、あなたはどのような形で、諍いをとりなしていくでしょうか。

考えられることとしては、こんなところでしょうか。

1.組織のトップに「お願い」して、その部下の参加について改めて了承を得る。

2.明日の計画実行に向けて、最後の確認を行う。

3.その確認の場において、「計画成功のために、最低でも守るべきこと」を、組織のトップにも聞こえる形で参加者全員に周知し、「これでいいですよね?」とトップにも確認を求める。

4.自分は、計画の推移に応じて、1の矢(プランA)から、2の矢(プランB)、3の矢(プランC)・・・と、どのようにでも対処できるように複数の計画を立てつつ、関係者全員に対して管理部門は拠点基地に残ることを明言。「なにかあったらすぐに連絡を寄こす」ことを関係者全員に誓約させる。


つまり、当時、こういった対応を聖アンデレは行ったのではないでしょうか。

1.イエスに対し、ペテロの参加について改めて了解を得る。

2.関係者を集めて、計画実行のための最後の確認を行う。

3.神殿で最も重要なのは「至聖所」と言われる奥の間であって、そこまではことを荒立てずにおとなしく通り過ぎる必要があることを、ペテロを含む偵察隊の助けを得て明言し、周知する。

4.自分はじめ管理部門の主なメンバーは拠点にとどまること、なにかあれば神殿から伝令を出し拠点に連絡を寄こすように関係者に依頼する。

怒りが完全に収まりきらなかったイエスからは、ペテロに対して、嫌味の一つもあったことでしょう。ペテロは、とりあえず正論で答え、出来るかぎり聞き流そうとしたでしょうが、深く傷ついたに違いありません。

 ペテロはイエスに言った。
「たとえ、すべての者がつまずいても、わたしはつまずきません。」
イエスは言われた。
「あなたによく言っておく。きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう。」
ペテロは力をこめて言った。
「たとえ先生と一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」
(マルコ福音書14:29~31)

神殿との対決当日

 イエスたちを神殿に送りだす聖アンデレたちは、次の準備に取り掛かります。

 (1) 有力者への協力要請

おそらく聖アンデレが自ら行ったことは、これではないかと思います。対象となる有力者にアリマタヤのヨセフが含まれていたことは間違ありません。そして、彼以外の数名にも協力を要請した可能性は否定できないでしょう。助祭のメンバーとともに各所を訪問したことでしょう。

 (2) 資金の準備

トラブルがあった場合に、神でしかなし得ないことについてはイエスに任せ、その他のことはできる限り金銭で解決、という方針だったと思われます。教団の活動費とは別に、戦いのための予備費として管理していた資金があったことでしょう。

 さて、当日、聖アンデレが外出していたとすると、資金の出納についての判断は、助祭の誰かに任せたことでしょう。個人的にはステファノがこの担当の中にいたと思いますが、少なくともイスカリオテのユダは、この担当の一人として待機していたものと思います。

 (3) 怪我人が出た場合の救護隊の準備

同行した弟子たちの配偶者たち(女性たち)に準備を要請していたものと思われます。

 この後、拠点には、どのような情報が集まったでしょうか。

 先ず、「イエスが神殿内に屋台の店主たちと喧嘩になった。神との対決の前に、店主たちに弁償しないと先に進めないかもしれない」旨の一報が拠点にもたらされたでしょう。イスカリオテのユダが、賠償のための現金をもって駆けていったと思われます。

 イスカリオテのユダが帰ってこない中、「イエスがつかまって磔に遭っている」「トマスが半殺しにあった」「ユダが瀕死の状態で倒れている」などの情報が入りだします。「ペテロはどうした?イエスさまを守っていたのじゃないのか?」「昨日、イエスさまがおっしゃったのって、本当だったのか?」「なんで帰ってこないんだ」など、疑心暗鬼も生まれてきたことでしょう。

 聖アンデレは、改めて各有力者に協力を求めるも、イエスが暴れた話はある程度広まっており、断られたこともあったでしょう。応じてくれたのはアリマタヤのヨセフしかいなかったとも考えられます。そして聖アンデレは、アリマタヤのヨセフの従者のような体裁で、ヨセフとともにローマ当局に磔刑の確認を願い、許可を得てゴルゴダの丘に向かったことでしょう。

 ゴルゴダの丘には、イエスを磔につけ、イエスの一派(残党)を待ち伏せした仲間が残っていたでしょう。危険な作業になりますので、聖アンデレは、自らゴルゴダの丘に出向いたと思われます。負傷者と死体の回収を目的とするため、側近のメンバー(聖フィリポや助祭メンバーたち)を1~3人程度連れて行ったのかも知れません。この場面で出てくるパリサイ派ユダヤ人ニコデモは、聖アンデレの偽名だった可能性もあり得ると思います。聖アンデレが、ゴルゴダの丘に残っていた見張り役から名を聞かれ、(アンデレはギリシア系の名前のため)本名を言えない中、記憶の中からとっさに出てしまったのが「ニコデモ」というパリサイ派ユダヤ人の名前だったということです。

 ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、以前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。
彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。
          (ヨハネ福音書19:38~40)
 

ユダヤ教の素養があれば十字架刑は禁忌するでしょう。そのため、十字架からのイエスの救出は、ギリシア系の、つまり管理部門系のメンバーが中心になって行ったことでしょう。

 木にかけられた者は、神に呪われた者である
(申命記21:23)

 ペテロの帰還

 さて、ペテロです。対決の日は、少なくとも翌朝まで帰ってきませんでした。その間、イエス、トマス、イスカリオテのユダの3人が重体となり、ユダはそのまま帰らぬ人になってしまいました。

 この状態で、ペテロが帰還したと思われます。「あの時、ユダが、こっちに来なきゃ良かったんだよ。あれで先生が襲われて・・・」と、イスカリオテのユダを悪者にするように話をしたことでしょう。また、イエスとともに神殿との対決に向かったはずのメンバーの中には、「だから偵察に行った話を聞いてくれれば良かったのに・・・ 庭に入ったところで、イエスさまが、いきなり暴れだすから上手くいかなかったんですよ」などと言った者もいたでしょう。

 偵察を経て神殿との対決に向かったメンバーは、偵察に行ったにもかかわらず、その報告を利用されず、結果も出ず、しかも店主たちに追われて、ほうほうの体で帰還しているので、自己の正当化も含めて、言い訳がましく、他人のせいにしがちだったことでしょう。

 他方で、拠点で待っていた管理部門にしてみれば、「何故、計画通りにやろうとしなかったのか?」「先生を守るのがお前たちの役目だろう?」「なんでイスカリオテのユダを悪者にするんだ。サポートしたこっちが悪いわけないだろう?」「死んだ子供のせいにして、大人が逃げ帰ってくるって、どれだけ根性が腐っているんだ?」「あいつら、やっぱり先生を裏切ったんじゃないか? 先生が見抜いた通りじゃないか。」と、不平不満が文句となって出たことでしょう。

 先生や聖トマスが瀕死の状態で真実がよく分からない状態の中、対立は感情的に発展していったのだと思われます。これが、イエスの死後、早々に教団がヘブライオイ(主に偵察部隊)とヘレニスタイ(主に管理部門)に分裂した直接のきっかけだったのではないでしょうか。

 教団の解散

 そんな感情的な対立の中、教団のNo.2であり、管理部門のトップである聖アンデレは、どんな選択をしたのでしょうか。イエスの復活後、早い段階で聖アンデレが教団から姿を消していることを念頭に、なにがあったか推測してみましょう。

 (1)イエス・聖トマスの回復まで。

 組織の事故代行(暫定トップ)であるため、先ずは負傷者の看病に集中することを指示したことでしょう。そして、対立する両グループから、相互の意見を淡々と聞いて、本当はなにがあったかを見極めようとしたことでしょう。

 (2)イエスの回復後 

イエスが回復した後は、話を聞き、当日の状況を深く理解できたはずです。この時、聖アンデレが教団を離れるきっかけとなるようなやり取りをイエスとしただろうと思われます。

 順当に考えれば、イエスの真意を問いただしたのではないでしょうか。イエスの方としても、精神的に燃え尽きていたのであれば、教団を存続させる意欲を失っていたでしょう。人徳あり信望を集めてきたイエスや聖アンデレが健在であるにもかかわらず教団が分裂したとは考えづらいことから、分裂したということは、2人も不在となったのか、または、トップ2名により教団の解散の意向が示されたとみるのが妥当でしょう。

 聖アンデレがイエスに切り出すとしたら、こんな感じだったでしょうか。

 「事情はよく分かりました。ペテロたち偵察隊の報告は、やっぱり正しかったということですね。残念な結果になりました。
それにしても、磔に遭って生き返った人はいないのに、あなたは生き返った。神があなたを生き返らせたのは、あなたが「神の前に正しい」からです。ただ、神殿との対決は、まだタイミングが早かったという神からのメッセージだったのかも知れませんね。
いま、信者たちは、2つに分かれて感情的になって口も利かない状態です。まるでバベルの塔の建築を中断させたときのようです。体制を立て直すには労力も金銭もかかりますが、どうしましょう? もう一度、エルサレム神殿と戦いますか? 」

 さて、教団解散という選択に当たり、聖アンデレが行ったことはなんでしょう? おそらく、必要最小限のことしかしなかったのではないでしょうか。

 (1) 財産の分配または処分

まずは財産の分配でしょう。聖アンデレは、信者に対して解散を宣言するため、また、財産を分配または処分するため、一旦、ガリラヤ地域の拠点に戻ったのではないでしょうか。

私見としては、おそらくこの時に7人の助祭の一人「アンティオケの改宗者ニコラオ」等を従者として連れて行ったのではないかと思います。

 (2) イエスの安静を図るための措置

イエス夫妻については、イエスの養生が必要だったため、特別の注意を払ったことでしょう。余命短いイエスに、休息と安息が必要であることは、教団全員の共通理解だったはずですから。

 神殿との戦いの後は、エルサレムにとどまる意味も無くなったでしょうから、護衛かつ世話人として、誰か有力な弟子を付けた可能性もあります。教団分裂後の足取りが今ひとつ分からない人物は、12弟子・助祭にも数多くいます。このうちの1~2名にイエスとその家族を託したと考えるのが理に適うのではないでしょうか。

 教団の務めから解放された聖アンデレが、財産の処分後そのまま北上して北方地域の布教に努め、ギリシアで最期を迎えたことは、以前に記載した通りです。各地には、アレクサンダー大王の時代にさかのぼるギリシア人都市がありましたし、ローマ帝国の共通言語はコイネーと呼ばれるギリシア語でしたので、言葉には案外不自由しなかったのではないでしょうか。


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