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聖アンデレ(2-B) イエスの磔刑と復活を検証する① 

イエスの磔刑と復活は謎だらけ

イエスの磔刑と復活は、キリスト教信仰の核心でありながら、謎に包まれています。いろいろな福音書で必ずしも同内容が書かれているわけではありません。

概略は似通っています。イエスは、エルサレムに向かい、郊外に泊まりつつ、日中、エルサレムに向かい、なんどか神殿に入っているとされています。その際、さまざまな議論をしていますが、その一方で屋台をなぎ倒してもいます。その後、ゲッセマネという場所で地元の人々につかまり、宗教上や政治上の権力者の前に引かれていき、十字架に磔けられ絶命します。その後、その日のうちに磔から下ろされ、3日後に復活したとされています。 

この点、聖書の記述だけでは、イエスが処刑されなければならないような活動をしたようには見えません。なぜイエスが捕まったのか、イエスが何をしたのかといったことがよく分からないのです。その他にも、残忍・冷酷で知られたローマ提督ピラトがなぜイエスに甘かったのか、アリマタヤのヨセフはイエスを十字架から降ろす前にローマ当局に何を確認したのか、などなど、様々な疑問点があります。この時に何が起きたのかが理解できれば、歴史的な存在としてのイエスたちについても、理解が深まるはずです。

レザー・アスランの著書『イエス・キリストは実在したのか?』の助けを借りつつ、考えていきましょう。

エルサレム入りの時期

イエス教団がエルサレムに入ったのは、「過ぎ越しの祭り」の期間です。過ぎ越しの祭りというのは、モーセがユダヤ民族をエジプトから脱出させる際に、ユダヤ人を選んだこと(ユダヤ人たちについては神が過ぎ越したこと)を祝うお祭りです。

しかし、なぜ、この時期に、イエスはエルサレムに行ったのでしょうか。

それは、この祭りが、神と大祭司が交感する年一回の貴重なタイミングだからです。

神殿との闘い

イエスの神殿との闘いは、「本来の神殿のあり方」を巡り、神殿に奉仕する人々に対してのイエスの孤独な闘いでした。「時は満ち、神の国が近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ福音書1:15)というメッセージを人びとに伝えてきた集大成として、エルサレムに向かいました。

彼は本来、大祭司と向き合い、神に自らの正統性を判定してもらう覚悟で神殿に乗り込んでいったものと思われます。 

イエスは、たびたび、神と人間は直接交信できると説いています。そして、先例を盲目的に踏襲することについては、批判的です。他方で、ユダヤ神殿の側は、年に一回、神と大祭司が過ぎ越しの祭りの際に「至聖所」において交信するとされ、庶民が神と交信することは否定しています。(参考として、民数記16:1~17:28など。)

また、「神の国」という場所において人々が本来の姿に還るのであれば、神との交感の権限を集約するエルサレム神殿を壊し、交感の権限を人びとに解き放つことは、イエス自身の自己解放(イエスの心中の一抹の不安の解消)にもつながっており、ゆずれない闘いと位置付けられたことでしょう。

とすると、イエスが対決するにあたって真っ先に狙うべきは「至聖所」であるべきでしょう。

この至聖所はエルサレムの一番高台に位置している。そのいくつかある扉には、黄道十二宮と天体総図を刺繍した紫と緋色の垂れ幕が掛けられている。そこは神の栄光が顕在する場所だ。そこは天界と地界が交わるところで、万物の中心である。かつてはここに神の掟を入れた「契約の箱」があったが、その行方がわからなくなって久しい。・・・大祭司だけが神と直接交われる・・・それが大祭司の余人と違うところで、それがまた、彼を世界中の他のユダヤ人すべてとは別扱いにしている。大祭司しか至聖所に入れない理由もそこにある。しかも年にたった一度、イスラエルのすべての罪が浄化される贖罪の日(ヨム・キップール)だけだ。この日、大祭司は全民族の贖罪のために神の御前に出る。もし彼が神の祝福に値するなら、イスラエルの罪は赦される。値しなければ・・・・。彼の腰にかけられているロープは、神の一撃によって彼が死んだ時、だれ一人この聖所を汚すことなく、確実に至聖所から引きずり出すためのものである。
(レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』p.43~46) 

実例はあります。ユダヤ戦争に至る重要事件の一つとされる大祭司ヨナタンの殺害事件(西暦56年)では、ヨナタンが至聖所から出てきたところを狙われています。とすると、イエスは、祭りの喧騒の中、大祭司と同時に至聖所の中に入り天罰がどちらに下るかを見定めるべきだったのではないでしょうか。

しかし、イエスは、至聖所までたどり着こうとはしませんでした。実際、神殿の庭で店を広げている屋台を倒したり、神殿関係者と議論をした程度しか、聖書に記載されていません。

また、イエスが営業妨害した店には限りがあったようです。どの福音書の記載にも共通しているのが、両替人の台や、鳩を売る者の腰掛をひっくり返したことです。(ヨハネ福音書だけ、牛や羊も追い出したことになっています。)ここから、店が特定できる程度にしか活動できなかったことが分かります。もちろん、騒ぎに近い場所で屋台を広げた店主たちにしてみれば、イエスたちのせいで自分たちに被害が及ばないよう、メンバー総出で、イエスたち一行が来ないように睨みつけ、威嚇し、追い出しにかかったことでしょう。イエスたちは、神殿の手前の方の数軒(場合によっては2~3軒)に狼藉を働いただけで、神殿から出て行かざるを得なかったというのが実態なのではないでしょうか。

何故、こんなことになったのでしょう。

端的に考えられることとして、「イエスたちは神殿の中の構造を知らなかった」のではないでしょうか。神殿の中が、すべて至聖所であろうという程度の理解だったのかも知れません。なので、神殿の核心(至聖所)に迫ることなく、入り口付近(庭)で活動を始めてしまったのでしょう。

それは何故でしょうか。

イエスは、事前にエルサレム神殿に来たことがなかったので、神殿の間取りやそれぞれの場所の役割について分かっていなかったのです。

(この結果として、少年期の神殿のエピソード(ルカ福音書2:41~51など)はエルサレム神殿のものではないか、そもそも創作。布教中のエルサレム神殿のエピソードは、他所でのエピソードでなければ、最初にして最後であるエルサレム訪問でのエピソードが分散させられていると分かります。)

屋台との闘い

そこで、改めて、イエスたちと屋台との闘いについて、エピソードをみてみましょう。 

彼らはエルサレムにきた。イエスは神殿に入り、神殿の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、鳩を売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って神殿の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。
「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるべきである』(イザヤ書56:7)と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった。」
            (マルコ福音書11:15~17)

同様のエピソードは他の福音書にも書かれています(マタイ福音書21:12~16、ルカ福音書19:45~48、ヨハネ福音書2:13~17)。それだけ重要なエピソードであることが分かります。 

この文書を踏まえて、神殿で物を売ることが爾後禁止されたという解釈があります。例えば、「人間は考える葦である」と唱えた哲学者のパスカルは、次のようにまとめています。

イエスは都に入って、神殿に行き、物売りをそこから追放された。
(B・パスカル『イエス・キリストの生涯の要約』163節)

しかし、年に1回の大祭です。人もごった返していたでしょう。イエスたちは、神殿の構造も知らずに殴りこんで、神殿の入口付近の一部の屋台を倒しただけで終わった、と考えた方が自然です。屋台を壊された商店主や、周りにいた参詣者たちにイエスたちは取り押さえられ、大祭の運営事務局(神殿関係者)が、不測の事態が発生したと聞いて飛んできたことでしょう。

かみ合わない問答

神殿関係者とイエスとの問答は、かみ合っていません。これも、神殿内での問答については、この時期に行われたものとして、いくつか見てみましょう。 

先ずは、先ほどの屋台との闘いに近接して登場する問答です。

イエスが宮の内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、来て言った。
「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか。」
そこで、イエスは彼らに言われた。
「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい。」 ・・・
彼らは「知るか、そんなこと!(分かりません)」と答えた。
          (マルコ福音書11:27~33) 

この問答は、屋台を壊すイエスたちに、「誰に了解を得てやっているんだっ!」と神殿関係者たちが怒り、そこに対してイエスが「バプテスマのヨハネ」の権威を言い出したので、神殿関係者が呆れた、という場面のように見えます。その後、テロリストなのか確認されています。

人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言質をとろうとした。彼らは来て、イエスに言った。
「先生、わたしたちはあなたが真実な方で、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた。
「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい。」
彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた。
「これは、だれの肖像、だれの記号か。」
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた。
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」
(マルコ福音書12:13~17)

イエスの回答は、ある意味で満点回答だったことが分かります。ローマ帝国に歯向かう意思はなく、あくまでユダヤ教の本来あるべき姿について議論したい、と回答したのです。この議論に続けての問答でも、イエスはこう言っています。 

イエスは言った。
「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。・・・神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」
(マルコ福音書12:24,27)

イエスはローマ帝国の敵ではない 

今までのところをまとめて、イエスの闘いを3方向から確認しましょう。

ローマ帝国の為政者にとって、イエスは処罰するような対象ではなかったことが分かります。

さて当時、ローマ帝国からユダヤ地域の占領統治のために派遣されたのは総督ポンティウス・ピラトゥスです。紀元26年に赴任し、10年ほどこの地位に就いていました。

ピラトのユダヤ人への侮蔑的態度は、彼が白の長衣に金色の胸当てで着飾り、赤いケープを肩にエルサレムに着任した最初の日から見え見えだった。新総督は、皇帝の肖像入りの旗を掲げたローマ兵軍団を引き連れてエルサレムの城門から聖都に入城し、ユダヤ人へのこれ見よがしの軽蔑を含めたその存在感を印象付けた。着任後、彼はエルサレム神殿で「神聖な皇帝アウグストゥスの息子」ティベリウスにささげられた金ぴかのローマの盾のセットを披露した。それらの盾は、ローマの神々を代表する奉納品で、それをユダヤ人の神殿に置くことは意図的な冒涜行為だった。
ピラトは、部下の土木技師たちからエルサレムの古くなった水道橋の再建が必要だと聞くと、神殿の財庫からその事業費をさっさと持ち出した。ユダヤ人がそれに抗議すると、ピラトは軍隊を出して街頭で抗議者たちを虐殺させた。・・・
当時、彼の極端な腐敗、ユダヤ人の律法や伝統の完全な無視、ユダヤ民族全体に対するあからさまな嫌悪は有名だった。エルサレム在位中の彼は、その仕事を楽しむかのようにいそいそと、何千人ものユダヤ人を裁判もなしに十字架に磔にしたため、エルサレムの住民は思い余って皇帝に公式抗議書を提出した。
(レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』p.98~99)

冷酷でユダヤ人を軽蔑しているピラトですが、イエスの暴挙については、ユダヤ人内部のもめごとでしかなく、また、首謀者(イエス)がローマ帝国の義務を果たすべきと主張していることから、自分には関係ない話と思ったのではないでしょうか。少なくとも、ローマ帝国としての費用や兵士などの手間暇をかけて、ユダヤの大祭という大きなイベントの時期に、あえてイエスを逮捕・処刑する理由はなかったでしょう。

イエスはローマ帝国に磔にされたのではない

この点は、当然、と思う人もいるでしょう。そのことは聖書も認めている、と。ピラトとのやり取りの中で、ユダヤ人がイエスを「引き取った」からです。 

ピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った。
「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである。」
ユダヤ人たちは彼に答えた。
「わたしたちには律法があります。その律法によれば、彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当る者です。」
ピラトはユダヤ人らに言った。
「見よ、これがあなたがたの王だ。」
すると彼らは叫んだ。
「殺せ!殺せ!彼を十字架につけろ!」
ピラトは彼らに言った。
「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか。」
祭司長たちは答えた。
「わたしたちには、カイザル以外に王はありません。」
そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。
         (ヨハネ福音書19:4,7,14~16) 

同様に、どの福音書においても、ピラトが、イエスを自分の問題(ローマ帝国の問題)としては捉えていないことが明らかにされています。しかし、その後、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」などの罪状書きは、ピラトの命令によるものとされています(ヨハネ福音書19:19)。また、他の福音書では、兵卒たちが死刑を執行したとされています(マルコ福音書15:16以下、マタイ福音書27:27以下、ルカ福音書23:25)。混乱した記述が続き、いずれもローマ帝国による処刑というイメージにつながるような記載があります。

とはいえ、ピラトが、(軽蔑対象である)ユダヤ人の懇請を受けいれ、(ローマ帝国の義務を果たせと言っている)イエスをユダヤ人の求める通りに処刑してあげたというのは、「意思決定がユダヤ人、執行がローマ軍人」と植民地での主従関係が逆転していることも含めて鑑みると、相当無理のある設定なのではないかと思います。ここは、福音書が同時代ではなく後代に書かれたため、教団の権威向上につながるようにドラマティックな物語が創作されていった、というのが、文書の設立経緯にも合致しており、真相なのではないかと思います。

また、もう一つの疑問があります。十字架刑の目的に関しての疑問です。

十字架刑は死刑の一種と考えるのは正しくない。なぜなら、多くの場合、犠牲者は最初に処刑されて、それから十字架に磔にされていたからである。十字架刑の目的は、犯罪者を殺すことよりも、国家に反抗しそうな人々への見せしめだった。それゆえ、十字架刑はいつも、町角、劇場、丘の上、高台など、一般の人々がそのおぞましい光景の目撃証人にならざるを得ない公共の場所で行われた。犯罪者は死んだあとも長い間放置されるのが常で、十字架刑を受けたものが埋葬されることはほとんどなかった。
十字架刑の純粋な目的は、犠牲者に屈辱を与え、目撃者をぎょっとさせることだったから、死体は磔の場にそのままにされ、鳥や犬などの餌食にされるのが常だった。すると、骨だけがその場に残る。イエスが磔刑に処せられた場所が「骸骨(ゴルゴダ)の丘」と呼ばれるのもそのためである。
簡単に言えば、十字架刑はローマでは極刑以上のもので、帝国に歯向かう者はどうなるかを一般大衆に思い知らせる措置であった。十字架刑が、反逆罪、暴動、反乱の煽動、革命蜂起など、最高に重い政治的犯罪にのみ適用されていたのはそのためである。
(レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』p.246)

イエスはローマ帝国に対する反逆者ではなく、政治犯でもありません。そして、磔刑も手順に則っておらず、磔に遭ったその日に磔から下ろされています。これらを鑑みると、イエスの処刑は、正式な手続きでもなく、ローマ帝国の意向にかなったものでもなかったと分かります。 

アリマタヤのヨセフは何を確認したのか

アリマタヤのヨセフは、地元の議員でしたが、イエスの遺体の引き取りをピラトに要請し、ただちに認められています。しかし、十字架刑が公的なものであるならば、見せしめのための死体を下ろすことは認められなかったはずです。

さて、すでに夕方になったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスの遺体の引取りを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
(マルコ福音書15:42~45) 

ここから、アリマタヤのヨセフがピラトに確認を願ったのは、「イエスが磔にあっているが、これは正式な刑罰として行ったのか。正式な刑罰でないのであれば、引き取ってもいいか」という事柄と推測できます。

ピラトとしては、ユダヤ人同士の小競り合いでしかないものに興味はないでしょうから、「好きにしろ」と、アリマタヤのヨセフに引き取りを認めたのではないでしょうか。

そこで生じる疑問があります。
アリマタヤのヨセフに、ピラトのところに行ってほしいと依頼したのは、いったい誰でしょうか。(この点については、別途検討しましょう。)

イエスはユダヤ民族の正当な裁判を受けたのでもない

 議論を先に進める前に、この点も明らかにしておきましょう。 

大祭司が直截に、「おまえはメシアか?」と訊ねるが、イエスの答えは四つの福音書で微妙に違っている。一つだけ共通なのは、彼自身が自分は「人の子」であると宣言したことだ。この宣言が大祭司を激怒させ、即座にイエスを冒瀆罪で告発する。刑罰は死刑である。翌朝、最高法院は、イエスを十字架に架けるためにピラトに引き渡す。
この場面の問題点は数えきれないほどある。最高法院でのこの裁判は、ユダヤ法の法的手続き上の必要条件のほとんどすべてに違反している。
口伝律法の集大成である「ミシュナ」によれば、この点については厳格な決まりがある。最高法院を夜に開くことは認めない。過越祭や安息日の開催は禁じる。マタイとマルコが書いているような大祭司邸の中庭で気軽に開催されることは絶対にない。・・・少なくとも、これらの目に余る不正確さは、福音書記者たちがユダヤ法と最高法院の慣習についてほとんど無知であったことを露呈している。この点だけをもってしても大祭司カイアファの前での裁判の史実性を疑問視すべきである。
だが、たとえ上記のような違反すべてを大目に見るとしても、最高法院の裁判物語も厄介な問題を抱えている。最たるものは、その評決である。仮に大祭司が実際にイエスに、彼がメシアであろうとする野望を抱いているかどうか尋問し、イエスが冒瀆に当たるような返事をしたとしたら、「律法」の定める刑罰はこの上なく明快である。
「神を冒瀆するものはだれでも、共同体全体が彼を石で打ち殺す」(レビ記24:16)。
事実、イエスを「人の子」だと言ったステファノはこの石打ち刑に処せられている(使徒行伝7:1~60)。ステファノは自分の罪の弁明のためにローマ政府当局に引き渡されたりせず、その場で石打ちの刑に処せられている。
(レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』p.248~249)

なお、旧約聖書で「人の子」というのは、ダニエル記に出てくる神聖な存在です。イエスたちが僭称するのは許されない、というのは、ここからきています。

わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
彼に主権と光栄と国とを賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、その国は滅びることがない。
            (ダニエル記7:13~14)
 

神殿関係者の対応を考える

さて、イエスがユダヤ教徒の正式な手続きで処刑されたのではない、という点に関連して、もう少し考察を続けましょう。

イエスが、大祭司が神と交信する機会を選んで殴り込みをかけたとすると、その「当日」、すなわち、過ぎ越しの祭りの最中に行われたはずです。しかし、過ぎ越しの祭りの最中に、神殿関係者が、暴力犯の処刑や裁判といった俗事にかかわることは、神よりも重視する俗事があるという態度、つまり神への冒涜となるため、あり得ません。イエスを逮捕したり、処刑したりといった活動も(関係者個々人の心中はともかく)、公的には当然やってはならないことです。そのため、過ぎ越しの祭りの最中は、「事なかれ」対応が基本になります。

この点、神殿関係者にとって良かったことに、幸い、イエスは、宗教論争をするつもりで来ていました。そこで、こんな問答も行われていました。

ユダヤ人はイエスに言った。
「こんなことをするからには、(神と交信できるという)どんな証拠をわたしたちに見せてくれますか。」
イエスは彼らに答えて言われた。
「この神殿を壊したら、わたしは3日のうちに、それを起すであろう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。
「この神殿は、工事が始まってからもう46年もかかっています。それだのに、あなたは3日のうちに、それを建てるのですか。」
イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
(ヨハネ福音書2:18~21。参考:マルコ福音書14:58)

イエスが言及した神殿ですが、これは、いわゆる第2神殿(ソロモン神殿を再築した神殿)のことです。このころ、神殿の大拡張工事が行われていました。

ヘロデ大王(在位:紀元前37年~紀元前4年)という新しくヘロデ朝を起こした支配者があり、ローマとの協調関係を重視し、ユダヤ地域の観光資源を積極的に整備しました。その一環で、神殿の増改築をはじめました。この工事が紀元前20年から西暦64年へと、80年超となる長期間の大工事になったのです。

そういう環境下ですので、「3日で神殿を建てるなど、支離滅裂なことをいう人間が暴れているだけ」と感じた神殿関係者は、イエスたちを体よく神殿から追い出して、一旦、決着させようとしたのではないかと思われます。

イエスを磔にした人々

 
イエスの敵の可能性として、先に(1)ローマ帝国、(2)神殿関係者、(3)屋台の店主等の3つの可能性を挙げました。そして、ここまでの検討で、イエスを磔にしたのが、(1)ローマ帝国や(2)神殿関係者とするには、問題があることが分かりました。 

そこで、次は、(3)屋台の店主たちについて考えてみましょう。イエスたちに屋台を荒らされた店主たちは泣き寝入りしたのか? という話です。

一年に一度の大祭は、彼らの年間の生活費の多くを稼ぐ書き入れ時です。店によっては、この機会に売れるものを売っておかないと、次の大祭までの一年間は生活費もままならないかも知れません。その商売を邪魔されただけでなく、事前にコストをかけて準備した商品まですべて台無しにされたわけです。泣き寝入りはあり得ませんよね。

しかも店主たちが捕まえたら、イエスは反省しておらず、屁理屈ばかり並べたてています。店主たちは、怒り心頭となり、損害の補填だけではなく、あるべき利益も含めて出来るかぎり全額支払わせようとしたことでしょう。

彼らは叫んだ。
「殺せ!殺せ!やつを十字架につけろ!」
(ヨハネ福音書19:15)

 これは福音書作家の演出でもあったでしょうが、営業妨害のために自分たちの生活費が脅かされた小規模事業者たちの切実な怒り、救いを求める叫びにも聞こえます。 

祭りの最中なので神殿関係者は相手にしてくれず、警察(ローマ帝国)側も動かず・・・ といった状態の中で、店主たちがやれることはただ一つ。イエスたちから身ぐるみ剥いで、少しでも損を回収しようとすることでしょう。

ゲッセマネの急襲

 イエスたちは、この後、ゲッセマネに行き、ユダヤ人たちに急襲されています。神殿からゲッセマネまでは坂を下りていけば着き、けっして遠い距離ではありませんが、ここに至った経緯や経路は不明です。 

重要なのは、イスカリオテのユダの動きです。

先ずユダは、イエスたちが集まっている場所に向かって、遅れて到着しています(マルコ福音書14:43、マタイ福音書26:47、ルカ福音書22:47、ヨハネ福音書18:3)。

そして、ユダはイエスを見つけると、「先生っ!」と大声をあげながらイエスにキスをしています(マルコ福音書14:45、マタイ福音書26:49。参考としてルカ福音書22:47)。

ユダの後ろには、イエスたちを逮捕し、懲らしめようとするユダヤ人がいました (マルコ福音書14:43、マタイ福音書26:47、ルカ福音書22:47、ヨハネ福音書18:3)。 

ユダは銀貨(30枚)をもっていましたが、ユダにとって何のメリットも生じることなく、襲ってきたユダヤ人たちに、その銀貨が渡っています(マタイ福音書27:3~8)。ちなみに、この金額については、あまり気にしない方が良いようです。というのも、金額は、旧約聖書に合わせて、後代が創作したものと思われるからです。出エジプト記(21:32)に描かれた奴隷の代価と同額(30シェケル銀貨/90日分の賃金相当)とすることで、イエスが「売られた」ことを、より劇的に示そうとした記述だと思われます。

ここから合理的に考えられることは何でしょうか?

イスカリオテのユダは、被害者ではないか? ということです。

ユダが宿泊先で庶務をしていたところ、イエスが神殿内の屋台を複数壊して揉めていると聞き、賠償用のお金を持って現場に駆け付けた。しかし、イエスたちがいなかったので探し回り、ゲッセマネでイエスたちを見つけた。その時はイエスが無事だったのでホッとして、駆け寄りキスをした、ということだったのではないかと思います。

イスカリオテのユダは、まず神殿に駆け付けたことでしょう。そこで先生の居場所を聞いた時にガリラヤ地方の方言が出たりなどして、イエスの仲間だと気づかれ、尾行されたのかも知れません。違う可能性としては、神殿の門の外からずっとイエスたちと店主たちがにらみ合いを続け坂下まで移動してきた中、一触即発の状態の時に、ユダがゲッセマネに到着し、イエスだけをみて無邪気に先生の無事を喜んでしまって抱き着き、その場の空気が乱れ、店主たちに一気に襲い掛かられたのかも知れません。

イスカリオテのユダが、イエスのことを「先生」と呼んで飛びついていることからも、年少(おそらくティーンネイジャー、ローティーン)であったことの傍証になるように思います。彼は、そのまま屈強な大人たちの殴り合いに巻き込まれ、息絶え、金銭もすべて奪われたのでしょう。

そこで生じる疑問があります。
イスカリオテのユダに金銭を持たせ、現場まで走らせたのは、いったい誰でしょうか。
また、なぜ彼はスケープゴートにされていったのでしょうか。
(この点についても、別途検討しましょう。) 

イエスが磔にされた理由

 イエスを磔に架けたのは、当局ではなく、イエスに商品を台無しにされた屋台の店主たちだったとすると、イエスを磔に架けた理由も見えてきます。 

イエスたちは複数人のグループで神殿に殴り込んでいます。ゲッセマネで半死半生の状態にしたのは、イエスの他、イスカリオテのユダ。ここに、(身代わり役の「双子の」)聖トマスが最後まで付き添っていたと推測されます。この3人以外のメンバーは、逃げてしまっているのです。

この逃げたメンバーたちが、また神殿に忍び込んで悪さを図ることは避けなくてはならない。そのために、代表者を見せしめにして、仲間が来るかどうかをみるために磔にしたのでしょう。

残りの犯人捜しをしていたことについては、聖書にも傍証があります。神殿の中庭でペテロが見つかった場面です。

ペテロは神殿の下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。するとペテロはそれを打ち消して、「わたしは知らない。あなたの言うことがなんの事か、わからない」と言って、庭口の方に出て行った。ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言いだした。 ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った。「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから。」しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。
(マルコ福音書14:66~71)

 逆に言えば、その故に、アリマタヤのヨセフが呼ばれたのでしょう。イエス教団の側にしてみれば、アリマタヤのヨセフという金満家の地元議員という味方がいたので、見張りで残っていた者や怒り狂う店主たちに金を渡して引き下がらせる(手打ちをさせる)ことが出来たのです。 

イエスの絶命時の言葉

 さて、イエスは臨終にあたって「わが神、わが神、なにゆえにわたしを捨てられるのですか。」と叫んだと言われています。

昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(マルコ福音書15:33~34)

 実際に日食があったのかどうかは、分かりません。神や王などが亡くなる際に天が暗くなるというのは、古今東西を問わず神話などでみられる文学的な表現ですので、日食が事実でなければ、文章上の演出である可能性もあります。イエスが神に見捨てられたように見える瞬間です。ここで、「見捨てられたかも知れない」という不安を掻き立てる言葉がイエス本人からも発せられるわけで、口頭での説法においては、まさにクライマックスに向かう最後のハラハラドキドキの瞬間になったことでしょう。

しかし、この言葉。旧約聖書に収録された「詩編」第22篇の冒頭部だとしたら、どうでしょう?詩編(第22篇)の全文を読んでみましょう。

わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。
なにゆえに遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。
しかしイスラエルの讃美の上に座しておられるあなたは聖なるおかたです。
われらの先祖たちはあなたを信じました。彼らが信じたので、あなたは彼らを助けられました。彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたを信じて恥をうけなかったのです。
しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言います。
「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ。」
しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神であらせられました。
わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。
多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、かき裂き、ほえたけるライオンのように、わたしにむかって口を開いています。
わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けています。わたしの力は陶器の破片のように砕け、わたしの舌はあごに着きます。あなたはわたしを死の塵に伏す直前まで導かれています。犬どもは正にわたしを取り囲み、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いています。わたしはおられる度に一本一本、自分の骨を数えます。あくを行う者たちは、そんなわたしを見下ろします。
彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にして分けています。
しかし主よ、遠く離れないでください。わが力よ、速く来てわたしをお助けください。わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。わたしをししの口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。
「主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろの末裔よ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。主が苦しむ者の苦しみをかろんじ、いとわれず、またこれに御顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである」と。
大いなる会衆の中で、わたしの賛美の源泉は、あなたです。わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。
貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。
地の果ての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国の輩はみな、御前に伏し拝むでしょう。国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、塵芥に下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなその御前にひざまずくでしょう。
子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。
       (詩編22:1~31)

イエスは、死が眼の前に迫っていても、神に見捨てられたことを嘆いたのではなく、逆に、真の神を賛美すべきと説いたのではないでしょうか? しかも、ここでいう「神」は、イエスが直接交信する「神」であって、大祭司が過越の祭で出会うべき(つまり、大祭司が出会ったと称しているだけの)「神」ではないのです。

すなわち、イエスは、まったく反省も後悔もせず、「今に見てろ、お前ら」と、むしろ自分の主張を最後まで繰り返し続けた、ということなのではないでしょうか? 正に「信念の人」に相応しい反応だったように思います。しかし、イエスが神殿関係者と思っている相手は、神殿関係者ではなく、神殿の場を借りて屋台を広げただけの小売商たちでした。戦う相手を間違えたのです。迷惑をかけた小売商たちへの謝罪がなかったことが、イエス側の不幸を増幅させたことは間違いないように思います。 

イエスの復活

 ここまでの議論から、イエスの磔が、屋台の店主たちによる私刑(リンチ)であり、春の陽射しの中、日中の数時間架けられていたものと分かりました。本当に死んだのか、それとも、可能性として、例えば、殴られたり槍などで刺されたりしたショックで心臓が一時的に止まっていたのか等、なにがあったのかは、正直よく分かりません。イエスが「一旦仮死状態になったあとで、快復した」とすれば、「死と復活」は、これが脚色されたものと解釈する余地は充分に残されているように思います。

エルサレム郊外で、マグダラのマリアたち少人数が交代でイエスを必死に看病していたのでしょう。マリアが、他の弟子たちに回復を伝えに行ったことには必然性があったと思われます。

イエスよりも後になって回復したトマスが、一緒にリンチに遭って死んだはずの師イエスについて、実際に目で見るまで生存を納得しなかった、というのは、あり得ることと思います。直情径行な人物ですので「理由なくついてこなかった」または「師を守らずに現場から逃げ出した」他の弟子たちについては嫌悪感を抱いていたことでしょう。「身代わり役の自分が生きているのに、先生は死んでしまった」と嘆いているとしたら、看病していた他の弟子たちに対して「先生が生きているなんて適当なことを言ってんじゃねぇ」くらいの反発は感じていたと思われます。 

十二弟子のひとりで、ディドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った。
「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない。」
8日後、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしの脇にさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
トマスはイエスに答えて言った。
「わが主よ、わが神よ。」
           (ヨハネ福音書20:24~28)

その後のイエス

マルコ福音書とマタイ福音書は、その後、イエスはガリラヤに向かったと示唆しています。

(イエスの)墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者が・・・言った。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と。」
       (マルコ福音書16:5~7) 

イエスは彼らに言われた。
「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい。」・・・
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
      (マタイ福音書28:10,16~17) 

他方、ルカは、エルサレム近郊のベタニヤで40日ほど滞在した後、天に昇ったと書いています。

イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
(使徒行伝1:3)

 イエスは弟子たちをベタニヤの近くまで連れて行き、手をあげて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、昇天された。
(ルカ福音書24:50~51) 

イエスが実際にどこに行ったかは、まだ分かっていません。


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