菅谷季咲

男児2人と暮らすシングルマザー/50代に山を走れるようになるため体力温存中/趣味は日曜…

菅谷季咲

男児2人と暮らすシングルマザー/50代に山を走れるようになるため体力温存中/趣味は日曜大工/離婚までの道のりや育児のことなど

最近の記事

銀ブラと原宿の呪縛

わたしの祖父は愛知の田舎の出で、幼い頃に丁稚奉公で東京に出てきた。 貧しかったその祖父は心臓が弱く、戦地を赴くことなく終戦を迎え、丁稚奉公先に戻ったのち自宅に黒塗りの車が毎朝迎えに来るような地位まで上り詰めた人だ。 わたしの記憶の祖父は、15時くらいには北側にある薄暗い台所の横のテーブルに1人座って晩酌を始める。そのあと、こたつに移り水戸黄門を観ながら泣く。どこでどうしたら水戸黄門で泣けるのか理解に苦しみながら、電気七輪で祖父が焼いたみりん干しを横で頬張っていた。 わた

    • 父親不在の小学一年生の作文(備忘録)

      元夫を出張先からそのまま出禁にしたのち。初めは出張が長引いたと伝えて、そのあとに転勤になったと話した。 父親不在になった家の中はそれでも楽しく日常が過ぎていった。 まだ「夫婦をやめる(離婚する)」ということを伝える前だったか。 上の子の学校で「毎日の様子」について「自分」「家族」のことを書いた上で気づいたことを発表する授業があった。持ち帰った作文に目を通してわたしは泣いた。 「じぶん」 かえってきたらゲーム3じかんやってる。あさ6じはんにおきてる。おきたらしゅくだい3

      • 就学男児は女湯に入れないと知って初めて離婚の弊害を感じたりそうでもなかったり

        離婚して初めて子どもたちと旅行へ行った。 さてお風呂の時間となり、いつもなら下の子はわたしと上の子はお父さんと入るのが常であった。 そのお父さんがいない旅。 1年生を1人で男湯に入らせるのは親として色んな意味で不安があった。 本人の意思を確認したら「1人で入ってみる」とのこと。部屋風呂ですべてを済ませてから大きなお風呂に浸かりに男湯の暖簾の前に行った。 「お母さんここで待ってるから」 声を出さずにうなづいた子どもは前をしっかり見て暖簾をくぐった。 3分もしないうち

        • 父親が女性と暮らしていることを子どもに伝えるか否か

          子どもに「離婚」とは言わず「結婚をやめた」と伝えてからしばらくしてからのこと。 「お父さん、どこに住んでるの?」と聞かれたことがある。車で行けば30分足らずの場所に住んでいることを伝えたら「それ、嘘かもよ?」と笑っていた。 父親の悪口は子どもの前では言わないと誓っているので、子ども本人からそのような発言があったことに少し驚いた。 「お父さんどんなところに住んでいるんだろう?」そんな質問もされた。 月に1回は面会交流をしていたし直接聞いてもいいだろうに、やはり聞くに聞け

        銀ブラと原宿の呪縛

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか④

          父親が一緒に住まなくなる状況を長引く出張からの転勤、転勤からの別の場所で暮らすと説明をした。 嘘はイヤだ。散々嘘をつかれたわたしが我が子に嘘をつきたくなかった。だけどこれは子どもの心を守るため。いつか真実を告げる日が来るかもしれないその時までの嘘だ。 出張中に離婚をつきつけ、家の敷居を跨がせることなくウィークリーマンションで数週間を過ごさせた。そのあと、本命と2人で住むと報告を受けたあたりでわたしは小学1年生に、慎重に言葉を選んで離婚のことを伝えた。 今度は嘘ではなく真

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか④

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか③

          満を持して、わたしは小学一年生に打ち明けた。 「お父さんね、転勤で大阪じゃない?でね東京に戻ってくるみたいなんだけど、なんかお父さんなりに色々考えて、うちには帰ってこないで別のところに住むんだって」 「え!!!」と言ったまましばらく黙ったまま。わたしは続けた。 「お父さんが決めたことだけど、それによって君が悲しいとか辛いとかやっぱりイヤだ、とか色んな気持ちが出てくるかもしれないけど、そうしたらそれはお母さんでもいいし、おばあちゃんとか、誰でもその時の気持ちで1番言いやす

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか③

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか②

          家に帰らないという状況を伝えるのに、普段から残業・出張と不在がちであった状況を利用することにした。 まずは「出張が長引いてお父さんはしばらく帰れなくなった」と伝えた。子どもたちは違和感なく平日と休日を過ごした。 その次の週も「長引く出張でお父さんはまだ帰れないみたいだよ」と話しても、小学1年生の反応は極めて薄い。下の1歳はもちろん意に介していない。 3週間目にはついに、わたしは用意していた大きなウソをついた。 「大阪に出張のお父さんが大きな案件を抱えてそのまま転勤にな

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか②

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか①

          離婚するなら未就学のうちが傷つかないため、離婚を考えるなら早めにするように、と専門書に書いてある。 だがウチの上の子は小学一年生。就学してしまっている。 不在がちな父親とはいえ突然一つ屋根の下からいなくなれば、さすがに理解に苦しむだろう。 そこで例の先輩シングルマザーからいくつか貴重なヒントをいただいたので書き記す。 1、子に元夫への悪感情はぶつけない 2、父親の悪口は家庭の外で発散する 3、子が思う父親像に沿って進める 4、子が父親に悪感情がなければそのままにする

          どうやって小学1年生に離婚を伝えたのか①

          寄生して生きる人

          わたしが結婚したのは人間の姿をした寄生虫だったのだろう。 社会的な体裁のためにだけ据えられた妻、そして子どもたち。わたしたちは利用され、捨てられることもなくただ寄生され続けられるところだった。 あやうい状況から奇跡の脱出劇を経て、今がある。 本命の不倫相手とは離婚の手続き前は連絡を断つよう文書に起して従わせた。その証拠に律儀な不倫相手から、やりとりをしていたアプリをアプリごと消したこと、LINEもやめたことを聞かされた。 どのみち社内でつながるだろうから、わたしは話半

          寄生して生きる人

          離婚するなら子どもが未就学のうち、は本当か

          わたしがちょうど元夫の不倫騒動で探偵を雇ったあたりのころ。 離婚というワードが色濃く頭に浮かびながらも子どもたちのことを考えると、このまま突き進んでいいものか頭を悩ませていた。 どんな本を読んでもネットをあさっても「離婚するなら未就学のうちに」「就学児童はどんな形でも傷つく」と書かれている。 上の子は当時小学生1年生。下の子はまだ1歳。とにかく上の子のケアをどうしたらいいか分からないままでいた。 そんな折に仕事で久しぶりにお会いした方がシングルマザーになっていらっしゃ

          離婚するなら子どもが未就学のうち、は本当か

          85 終わりの終わり、そして始まり

          夫と別れ、その足で役場へ向かった。気持ちは明るく足どりも軽かった。 役場までの道すがら、助けてくれた多くの人たちの顔を思い浮かべわたしは泣いていた。何度も何度も、この騒動の間に多くの人に対する感謝の念で涙を流した。 不思議とこの間に悲しい気持ちから涙は流れなかった。 感謝でむせび泣きながら役場に入り、目に涙を溜めながら離婚届を出した。泣き顔のわたしを見た職員は、見てはならないものを見たと言わんばかりに目を背けた。 離婚という人生の転換期にはいろんな想いを抱えた人々がこ

          85 終わりの終わり、そして始まり

          84 離婚後に子どもたちと面会交流をさせる理由

          あと数時間もすれば「元夫」なる人間と喫茶店の前で別れた。 だか今生の別れではない。なぜなら子どもたちと面会させる項目を公正証書に盛り込んだからだ。 養育費を満了まで支払う割合は日本では3割と言われている。現に踏み倒した人間と結婚生活を共にしていたのだ。 わたしは前妻とは違い、未払いがあれば公正証書どおり給与の差し押さえをする。とんずらしたら地獄の果てまで追いかける。そう宣言した。 面会をするほうが未払いの確率が下がることは統計的に分かっているが、面会の1番の目的は子ど

          84 離婚後に子どもたちと面会交流をさせる理由

          83 シングルマザーになる決意

          10年前、入籍届を出した1週間後にストーカー事件の女とホテルで会っていた夫。その1年後には母からお金を騙し取っていた。 この結婚は出だしから全て歪んでいたのだ。時間と共に歪みはどんどんひどくなり取り返しがつかないところまで来た。 だがここで気づいて良かった。本当に気づいて良かった。 3ヶ月前のあの日、息子が夫の携帯を開いて、わたしが女とのLINEを見つけなければ…一体どんな未来になっていたのかと考えると背筋が凍る。 裏で金策に翻弄して、女たちとの時間を過ごし、SNS上

          83 シングルマザーになる決意

          82 ニ人目の妊活中に不倫する男の心理とあざとさ

          離婚届にサインをさせ、わたしは最後の質問に移った。 例のお年玉を盗んだこと。この場では盗んだことをあっさりと認めた。 そしてもうひとつは不妊治療のこと。Zには、そのことに関して一切聞かなかったものの、わたしは夫にカマをかけた。 「Zに会って聞いたけど、下の子は不妊治療でできた子って伝えたんだって?」 「そうです、すみません」 「すみません」と言うより「さーせん」に近い謝罪に、質問したことを一瞬後悔した。 まだ話すこともできない下の子の代わりに、わたしは伝える必要が

          82 ニ人目の妊活中に不倫する男の心理とあざとさ

          81 離婚届にサイン、結婚10年に終止符を打つ

          何度も足を運んだ公証役場のメンバーたちは、先立って、夫の不倫相手Zを見ている。今日は不貞を働いた張本人の登場に心なしか浮き足立っていた。 粛々と交渉人が公正証書を読み上げ、内容に誤りがないか異論はないか確認して、サインをした。これで未払いがあれば公的に給与の差し止めができるのだ。 公証役場をあとにする私に、しゃがれ声のベテラン受付が声をかけてくれた。「よく頑張ったわね。おつかれさま」。人生の酸いの部分を多く見てきた貫禄と優しさが滲み出ている声だった。 公証役場を出て、離

          81 離婚届にサイン、結婚10年に終止符を打つ

          80 元夫になる人間からもらうお金について

          あとは夫との書類に決着をつければ、すべてが終わるところまでやってきた。 息切れしかかっていたが、どうにか夫との公正証書の下書きができた。子どもたち2人分の養育費とわたしへの慰謝料、さらには退職金の分与も記載した。 結婚生活の10年の間に、家庭に還元されなかった金額を考えれば、支払って当たり前と言える内容だ。 養育費について言えば、人生で初めて支払われる立場に立ってみて思うことがあった。1人6万円支払われれば御の字のされる養育費だが、子どもを預かり育てる費用が1ヶ月で6万

          80 元夫になる人間からもらうお金について