スピリチュアルの使い方、考え方

日本の宗教はもともと土着のものが地方に有ったと言われていて、中国大陸からの移住者(当時中国という国や中国人という概念はない)が入って来て、だんだんと大きな政府のようなもの、国のようなものが出来上がっていく過程で、古事記や日本書紀に、各地の信仰がまとめられて、いまでは神道とか呼ばれるものになります。その後、中国大陸の最新の考え方、統治の仕方など、パッケージとして仏教が輸入されて、大陸では仏教が衰退し、日本ではさまざまな宗派に分離しました。キリスト教もその聖書に出てくる登場人物の名前を仏様の名前に書き換えて、仏教のようなものとしてキリスト教を広めようとしたらしいです。カオス。

スピリチュアル、もとい神秘というものは、人間範疇の外側を想像する行為で、神様がいるわけではなく、神様のことを想像することです。事実の対極に神秘があって、それは嘘とかそういうことじゃないのですね。

20世紀、事実とか理性とかの側に偏りすぎた時代があって、目の前のことしか考えない時代、非常に偏った時代がありました。24時間工場を稼働させるために、鯨の油を使う、捕鯨の拠点としてハワイや日本がアメリカのものになりました。

これは慣行農法と自然農法、有機農法なんかを知ると、目の前のことだけを考えるのか、つまり、野菜に窒素を与えるために、化学肥料を用意するか良い土を作るのかの違いです。

まだわかりにくいと思います。
"分かること"と"分からないこと"がテーマなのです。
人間範疇とその外側の話。
科学の最先端にいる人なら、人間範疇の端っこに立っているので、ここから先は神秘の領域だって気がつくことができるのですが、一般市民は、科学万能時代の空気がまだ継続していると思います。

カオスの話をすると、
それぞれの要素やその要素同士の相互作用を、シンプルな方程式で記述するのが科学で、科学はそこまででそれ以上は方程式をいちいち解かないといけないのですね。シンプルなモデルの方程式が解けても、リアルの台風や地震は予測できない。足元にある土だってそれぞれの要素を取り出したところで何も分からない。

経済活動や人の動きなんかその最たる例で、カオスもカオス。わからないことだらけ。で、そのカオスの暗雲の向こう側のことを想像することが、統計であるしスピリチュアルであるし陰謀論なのです。箱の中には何があるかなーって。

もし、分かることしか認めないとすると、つまり科学という宗教のみを信仰するならば、人の心や魂について、科学は何も教えてくれないのです。きたかみさんのすごく好きな話で、昼間の月や夜の太陽について考えるというアイデアがありまして。昼間に月は見えなくても、夜に太陽が見えなくても、消えてなくなったわけじゃないでしょ?じゃぁ、とても好きな景色が見られるお山の頂上、お気に入りの場所みたいなものがあってさ、そこから立ち去ったとしても、景色は無くならないでしょ?もっと単純に、電車に乗っててさ、そとの家やお店がビュンビュンあらわれては見えなくなるけど、無くなってるわけじゃないでしょ?これは時間的移動でも同じことで、小さい頃に好きだったおもちゃや遊具は、通り過ぎていってしまったけれど、そこにまだあるのよ。見えなくなってるだけ。大好きだった誰かもまだちゃんとそこにいるの。

これらは思い出の話ではあるけれど、思い出だけの話ではないの。
その"もの自体"は"まわりの補集合"と同相で、本来は区切られていないのっぺりしたゼリーのような空間から恣意的に区切ったものが"オブジェクト"として物自体を名乗っているの。もともとは何もないのです。
何もないところに、なぜ区切ったのか、区切ろうと思ったのか、それは水不足の川、どこにも流れていないのに、地形があるからそれを川と呼んだり流域と呼んだりする。そこに今はなくても川があるのです。
どう?目の前にないものでも、みんな普段から想像をしているでしょ?
この人はこんな性格だとか、人の心なんて見えなくても、想像して、ほとんどうまくいってる。うまくいっていない部分ばかりクローズアップされるけど、人の気持ちを考えることや同じ絵や音楽を見て、まずここに音楽や絵があることを互いに了承できているでしょ?

スピリチュアルの使い方は、成功とか救われるとかそんな自分よがりのことじゃない。分からないものへの畏怖。伝わったことへの感謝感涙。どうしたら愛が伝わるのかみんなでよーく考えよう。

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