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「ガジェット」というものとマーケットの「民営化と公共」のハザマについて

ちょっとした便利なデバイスが流行っている。
僕も、いくらかのデバイスを使っている。

その中で、大雑把に云って二分化される商品がある。

1.一時的(テンポラリー)に、マーケットに出て売れているもの
2.ある程度長期スパンで利用に耐える耐久消費財的なもの

※「1」「2」のどちらがどの商品なのかはそれぞれが自分で判断できると考えている。

購入するときに、「1」は近い将来、つまり一年とか半年後には製品本体にインクルードされるであろうことが割と予測できる。そのため、今購入する意味をあまり感じない。

「2」については、かなり様子見ではあるけれど、購入リストの候補にあがるものだ。

たった、1年や半年でデジタルデバイスの市場は激変する。その中で基盤技術として次世代の根幹になり得るソリューションに投資するのは、難しい判断だろう。しかし、僕の場合はそれにチャレンジする性質だ。

繰り返すが、デジタルデバイスは「短期で性能や構成が激変する」
その前提で、今の流行の分析をしっかりしないと、無駄な投資になる。半年後には要らないものが部屋に散らばることになるだろう。

だから「テンポラリー」用途なのか、「割と長期にわたって」使用できる製品(商品)なのか?
デジタルデバイスの選択は意外と難しい。

例えば、ノートPCの「TytpC-USB」がその付属品たるケーブルを含めて「Power Delivery」に対応しているのが一般的なガジェットに、現在位置づけられるが、このガジェットの将来予測はあまり難しくない。
PCメーカーやメインプロダクツの「トータルソリューション」のハードウェアに、近しい未来に組み込まれて一体化するのは明白だ。場合によっては「M&A」という手法であっても、実現するだろう。

そして、当該ガジェットマーケット自体がスマホやPCのマーケットに吸収されていくのは理解しやすい。
僕の持論なのだが、ガジェットやモジュールというものは、製品構成の根幹にかかわるものであれば、製品自体のマーケットを動かす力を持つが、周辺のデバイスであれば吸収されてその名は消えていくものだ。
もう少し云うなら、ガジェットを開発する企業は、ベンチャー的にインパクトを残して、大手にその技術を如何に高価に売り抜けるのか?

それが、経済的な思考だろう。

ただ、ちょっと異なるのは「フィロソフィー」のあるベンチャーは、相対的な価値と絶対値的な価値のバランスを勘案しているので、「起業・インパクト・売り抜け、利益のレバレッジ」という、一般的な一発屋的なベンチャーの手法より、ひと回りは大きなブルーマップを描いているはずだ。つまり冒頭にあげた「1」「2」を極論で展開すると、マーケットインの思考ではあっても、その中で「フィロソフィー」が存在するか否かが異なるポイントだろうと思う。

損得勘定はもちろんだが、それ以上に未来の社会への意識がどれだけ強く働いているか?

ここら辺が、企業の本当の価値を判断する重要な要素なのではないか?と考えている。
余計に付け加えるなら、「変化をしない/現状の体制下」で、利益をレバレッジするという事が「政官財癒着」の根源であるし、その付けを今払っているのが今のマーケットだろうと外側から見ているのだ。

もうひとつ、「経済的論理が優先される方が好ましい分野」と「公共の論理が優先される方が好ましい分野」は確実に存在する。それはこの国の人々の生活そのものに直結するからだ。しかしながら、その仕分けや分別をしないままに「ほぼすべて民営化ありき」でこの30年ほどが過ぎたために、基礎的な生活インフラが崩壊しつつあるのが現状だろう。

ある人は「まだ格差が少なすぎる」という。
それは、机上の空論であり「民営化すべきではない生活インフラ」を、平然と考え無しに「民営化」した結果、日本の社会構造のバランスが崩れていると云えないか?

欧米では、その区分けができているから「残すべき資源への投資」と「積極的に開拓すべき分野への投資」のバランスが成立しているのではないか?と感じる。

それは、東京23区のほぼすべての区を歩いて写真によって記録した僕が感じている事だし、伝え聞いている「経済原理をどこまで適用するか?」という議論がある地域とそれがない日本との景観の違いにも明らかに立ち現れているだろう。その意味で、僕は写真をモチーフにした「アクティビスト化」せざるを得ない。

表紙の写真は「香港-1994-」学生時代の写ルンですで撮影したものだ。英領香港だった最終章の景観である。

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