【コラム】Internet won't kill the TV

Video Killed The Radio Star

The Buggles が Video Killed The Radio Star という曲を出してから、約40年が経とうとしている。知らない人のために補足しておくと、この曲はラジオ全盛の中生まれたスターが、テレビの出現によって仕事を奪われてしまったことを嘆く曲である。その後、インターネットが出現して、人々がテレビに使っていた時間をインターネットに使うようになるにつれ、「近いうちに、インターネットはテレビをKill」すると言われていた。実際の所どうだろうか。個人的にはテレビという存在自体は、少なくとも今後20年は死なないと考えている。


ソニーのキャッチコピー

去年末に実家のテレビを買い換えることになり、色んなメーカーのパンフレットを見ていた。ひときわ目を惹いたのがソニー BRAVIA のキャッチコピー「TVで見たいのは、もうテレビだけじゃない。」であった。非常に時勢を象徴しており、今後のテレビの在り方を1番考えているように見えた。一応解説しておくと、キャッチコピー中に出てくる"TV" というのが BRAVIA 等のテレビ本体で、 "テレビ"というのが地上波(BSやCSも入るか?)のことを指している。つまり、テレビは最早地上波を映すだけの箱ではないと言っているのである。実際、ソニーは Android TV に(出来栄えはさておき)非常に力を入れており、YouTube や AbemaTV、もちろん Amazon Prime Video や Netflix 等も見ることが出来る "TV" を多数展開している。

テレビは必要?

当たり前のように「テレビを買い換える」と書いたが、テレビをなくすという選択肢は全く考えなかった。これはあくまでも個人的な意見だが、特に家族の集まるダイニングにはテレビという物がテーブルやイスと同じレベルでセットになっており、ないというのは考えられない。実際には個別にスマホやタブレットで好きな物を見ているとしてもだ。実際、『君の名は。』のワンシーンで瀧くんの父親はタブレットでニュースを見ている。しかし、食卓にはしっかりとテレビが置かれていた。そういう家庭も多いのではないか。少し話しが脱線してしまったが、つまり、中身のコンテンツはさておき、更に言うとそれがテレビと呼ばれるかもさておき、「大人数に見せるための映像出力装置」は今後も大多数のリビングに置かれると考えている。

Video は Radio をどうやって Kill したのか

「中身のコンテンツ」という単語を出したので、そちらについての話をしよう。テレビのコンテンツはラジオの完全上位互換であったと思っている。音声だけのメディアに、それ+で映像を付けることができるようになったのだ。これまではアナウンサーの実況で想像するしかなかったスポーツ中継が実際にその様子を見ることが出来るようになり、声しか聞くことができなかったお笑いも映像付きで楽しめるようになったのだ。音楽のライブも音声だけよりも、やっぱり映像付きの方が嬉しい。数少ないラジオの勝ち所はトーク番組のような純粋に音声だけで楽しむ為の番組、また音楽ヒットチャートのような元々音声のみのメディアを中心に扱う番組だ。(これもMTVというものが出てきたので、純粋に買っているとは言いづらいかもしれない)。つまり、圧倒的にコンテンツとしてテレビの方が有利であったため、 Video は Radio を Kill したのだ。

インターネットの出現は TV をどう変えたか

では、インターネットの出現によって、テレビの状況はどう変わったのか、考えてみる。一番大きなインパクトとして、「時間に縛られない」というのがあるだろう。これは、インターネットが隆盛する以前に、HDDに大量録画可能なレコーダーが生まれたことで起こり始めたが、インターネットによる動画サービスが広がることによって、更に一般的になった。テレビ視聴者は「なぜ決まった時間にテレビの前に居ないといけないのか」と考えるようになったのだ。ここで考えないと行けないのは、インターネットはテレビに対して「コンテンツやエクスペリエンスにおいて完全上位互換ではない」のだ。私もインターネットで作られたコンテンツをプロ・アマ共に見たりする。正直言って、コンテンツプロバイダーとしては未だテレビの方が圧倒的に上だと思っている。インターネット上のコンテンツは、テレビの焼き直しだったり、テレビでは出来ない事をすると言いながら非常に下世話で面白みのない事をしているだけである。そして、非常に「個人向け」なコンテンツが多いと思う。

2020年代のテレビに映っているもの

テレビ(=ここではリビングなどに置かれ、皆で見る大型の映像出力装置)で見るのに向いているものと向いていないものがある。「孤独のグルメ」や「水曜どうでしょう」を団らん時に見るかというと、そういった役割の番組ではない。現状、インターネット上のコンテンツはそういったものが大半だ。YouTuberも編集テクニックで新しい文化を起こしつつあるが、これがテレビで流れるかというと、2ちゃんねるの書き込みが地上波で放送された時のいやーな感じと少し似ている。Netflix があるじゃないか、と思うかもしれないが、Netflix の主要コンテンツは映画やドラマだ。少し話しがそれるが最後には繋がるので頑張って聞いて欲しい。地上波は大体何時に何を流すというのが、民放では統一されている。大体夕方はニュースを流し、19時台、20時台はバラエティー、21時台、22時台はドラマや映画が流れている。これは理由がある。19時や20時は料理をしたり、食事をしたり、片付けをしたりお風呂に入ったり、テレビにずっとかじりつくのが難しい時間帯と想定されている(実際、子供のいる家庭ではそうでろう)。一方、21時になると少し余裕が出てきてずっとテレビの前に入ることが出来る。だから、21時台以降はドラマや映画といった、少し見逃すと話について行けなくなるようなものを流すことが可能になるのだ。逆に、19時や20時台は一瞬見逃したくらいではどうってことないバラエティーを流すのだ。さて、漸くここで話が戻ってくる。Netflix の主要コンテンツは映画やドラマである。しかし、これは19時や20時のバタバタした時間に流すのはあんまり適していない。かといって、一瞬で流行廃れるようなバラエティー番組をNetflixが集中的に取り扱い始めるとも思えない。19時や20時には、テレビではやっぱり地上波を見るのがいいのだ。

頑張れTVer, 頑張れ Paravi

19時、20時のテレビがテレビとして最も輝く時間に使われそうなサービスが2つある。TVer と Paravi だ。TVer は 在京民放キー局5局 の共同出資、 Paravi も民放キー局と広告代理店の共同出資による動画サービスである。特に期待しているのは TVer である。このサービスは言うならば Radiko のタイムフリー(注:Radikoは放送後1週間のラジオをネットでいつでも聞くことが出来る)のテレビ版である。しかしながら、現状の TVer にはドラマは沢山あるが、バラエティーのような流し見できるようなコンテンツがまだまだ流入が少ない。今年の頭に放送された『テレビ放談』でも、テレビ東京の佐久間氏が「ドラマは前回の話を放送することで、次回以降の視聴率アップに繋がるが、バラエティーは視聴率ダウンの可能性を懸念して、参入していないところも多い(意訳)」といった旨の発言をしていた。時間という概念に縛られるのを嫌う視聴者ばかりの今、視聴率に拘るのは個人的には馬鹿げていると思う。それならば、TVer でも実際の放送と同じような広告を付けて、その再生数で広告費を決めれば良いのだ。もっと言うと、TVer でテレビの放送をライブ配信して、そのコネクション数で視聴率を測れば良いのだ。バラエティーのコンテンツプロバイダーとしてはまだまだテレビの方が上だと思っている(実際に制作しているところはネットもテレビも同じ制作会社の筈なのに、少し不思議な話である)。だからこそ、TVer に全番組が当たり前に参入して、改めてテレビ(これは地上波を指す)の力を取り戻して欲しいと切に願う

補足 この記事はブログに書いた物の転載です。