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ありがたくも不思議な一年

昨年の廃業に関わるさまざまなストレスからの開放と全社員が無事に退職を迎えることができた安堵感から今年の初めは何もする気はおきませんでした。

「まずは休みたい」

その一心でした。

もちろん会社の整理や不動産の処理、自分で立ち上げたブランドの再構築などやることはあったのですが、少しの間は未来のことを考えず、周りのことも気にせず休ませてもらってもいいのではないかという思いがありました。

実際に家族や一人で旅行にでかけたりして40歳という働き盛りの年齢で自由を謳歌し、そこには充実感も開放感もあったのですが、結論から言うと、そのような快感を味わえたのは2ヵ月くらいです。

朝起きて「さて、今日は何をしようか?」という自由が続くことは、健康な自分にとって必ずしもありがたいことではありませんでした。

もちろん、何もせずに家族がずっと暮らせる資産があるわけではないので、何かに向かって動き出す必要があったのですが、そこに対してもどうも足が重かったのです。また、未来ではなく今と過去のことだけしか話せない状態では誰かと会うというのも少し億劫でした。であれば、刺激を求め海外旅行という手もあったのですが、今年の夏頃までは全世界でコロナによる渡航規制が続いていて、煩雑な手続きをしてまで行く気にはなりませんでした。

若くして資産を築いてリタイアをするFIRE(ファイアー)という言葉がありますが、今思うのは仮にそのFIREをした場合、その後の人生をどうするのか?ということです。自由気ままな人生が何年も、何十年も続くことは幸せなことでしょうか?

目的がない孤独。

これは自分が定年、特に健康体で老後を迎えたときに突きつけられる問題かもしれません。

自分のペースで過ごせた一年だからこそ思うのですが、生きていくためには何か向き合うものが必要です。それは仕事かもしれませんし、育児や介護、あるいは自分自身の病の場合もあるでしょう。そのために大きなストレスが生まれ「もう休みたい、離れたい」と思うかもしれません。しかし、家族や友人との、あるいは一人での心安らぐ穏やかな時間と同時に生きるというのは何かに向き合う、あるいは何かに向かって進む時間も必要だと思うのです。

私は、自分の会社、ブランドを継続しながら、来年から他の会社の経営にも携わることになりました。業種も会社の規模も違う新しいチャレンジです。

その次のステップに進むまでに、これまでのいろいろなこと整理をし、家族との時間をもつことができたありがたい一年でした。

同時に立ち止まったからこそ感じることがあった一年でした。

もちろんFIREしたわけでもなんでもないので、この先家族を養い生活していくための資産も作っていかなければなりません。

向き合うべき何かがすぐそこに待っています。

その何かがあることに、そこに誰かがいることに感謝して、新たな人生の扉を開けたいと思います。

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