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僕は原田宗典が大好きだ、あと『メメント・モリ』は最高

「いや、早いもんだなあと思ってさ。何だか年を取れば取るほど、時間が早く経ったような気がしないか?」
「そうだなあ……そうだけど、そりゃしょうがないよ。分母が大きくなっていくんだから」
「ブンボ?」
「つまりだな、例えば五歳の子供は、一年という時間を自分の人生の五分の一の長さとして捉えているけど、四十歳の奴は、一年という時間を自分の人生の四十分の一として捉えるわけだ。だから年を取れば取るほど、一年は短く感じられるようになっていく––––時間が早く経つように感じられるんだろ。どうしようもないよ」
「おまえ、それ今思いついたの?」
「いや、大分前に考えた。時間って不思議だなあ、と思って」
「へえ……」

(原田宗典『メメント・モリ』岩波現代文庫より引用)

読み終えて、呆然とした。なぜこれを、いままで読んでこなかったんだろう。もっと早くに読んでいたら、なにかが変わっていたような気がする。そんなふうに思った。
とにかく、原田宗典さんの『メメント・モリ』が素晴らしかった。

ぼくの世代にとって、原田宗典というのは「とほほエッセイの人」だ。書店の新刊台でいつも見かける、雑誌のページをひらいたら「ここにも原田さん」というような、とにかく売れてるエッセイストだった。
小説を書き、エッセイを書き、戯曲を書く。はっきり言おう、僕は原田宗典みたいになりたいと学生時代、憧れていた。
とほほエッセイはもちろん、原田さんの書く青春小説は、読んでいて痛みがあり、中毒性がある。経験が足りない、成長もどこか遅れているようなおぼこい自分にとって、彼らが経験する一つ一つが、まぶしかった。
ぼくは二十歳を過ぎてから演劇をはじめた。そこでも原田宗典の凄さを感じた。戯曲がめっぽう面白い。しばらくして壱組印として活動再開され、運良く観ることができた。最高だった。
なんとなくだが、原田宗典さんの作品を、読み切ったように思っていたのかもしれない。

『メメント・モリ』が雑誌に掲載されたときも、「お、復活だ」と思いながら、読むのを後回しにしていた。
そして僕は小説家になった。
なにか面白いものはないかな、と図書館をぶらついていたとき、文庫の棚で原田さんの本を見つけた。
エッセイだし、ひとつひとつが短いから、書く合間に読むのにちょうどいいかな、と気軽に借りた。
喫茶店でさてと、と開いて最初のエッセイを読んだときだ。

「自分はいったい原田さんのなにを読んでいたんだろうか?」

とにかく一つ一つが濃い。一つ読むごとに「むふふ」ってやつ、そして止めることができない。
エッセイは自分をどう設定するか、そして自分を含む全てを客観的に見つめることが大事だと思う。
勢いのある文章と流れ、原田さんのエッセイは一見さらりと読めてしまう。もした自分は斜め読みしてきてしまっていたのではないか。
こんなうまいごちそうを、自分は楽しんできたのか。もしや自分の読書経験は、ただ文字を追うだけだったのではないか。とにかくびっくりした。
小説も、戯曲も、もう一度読み返す必要がある、と思った。とにかく全作品読みたい。
そして、未読の小説、『メメント・モリ』を新宿の紀伊国屋書店で買った。

この作品を小説として読み始めた。しかし冒頭からして、まるでエッセイみたいだ。エッセイと小説はどう違うのか? エッセイだって「ありのまま」ではない。
あてもなく書かれ出した物語は、身近な人々、すれ違った人々の死の話へと続く。そして、薬物。アムステルダムで消息を絶ったSさんの話、五十を過ぎてからの一人暮らし、ヘルニア、あてどなく、どこにこの話が進んでいくのかわからない。過去に遡りながら、未来へと向かっていく。
刑務所での話、職質され逮捕された話は、読んでいる自分が心配になるほどにユーモアがところどころにある。自分も、他人も、みんなおかしい。
「目が縦になっている女」の話には、ぞくりとした。そして自殺未遂の話に至る文章は、本当に、素晴らしかった。
こうやってつらつら自分もあてもなく文を書いていて、いったいなにが伝わるのだろうかと不安になるくらいに、この小説が身に沁みている。

思い出した。かつて原田さんが『ダ・ヴィンチ』の表紙になられたとき、手にされていたのが色川武大の『狂人日記』だった。現実、フィクション、デフォルメ、夢、幻視。そうか、と思った。なにが「そうか」なのかもわからずに。

いいところ、好きな場面をあげたらキリがない。
僕が一番好きなところは、言いづらいけれど、主人公が自殺を試みるところだ。まるごと引用したくなるくらいだ。
そうだ。中盤に描かれている状況は大変なことなのに書き振りが読者にサービス満点なのだ。
この小説は、原田さんのこれまでの熟練のエッセイの技術と、小説としての読みどころが凝縮されている。

これを読んで、原田宗典のエッセイをおかしく読めなくなるだろうか? そんなことはない。どうしたって、エッセイは面白い。そしてそのエッセイは、真剣に、命を削って書かれていた。でも読者はその命懸けのおもてなしを、そんな裏の出来事など関係なく楽しむことができる。だってうまいんだもん。
小説のラストが好きだ。誠実で、臆病で、気にしいの、この主人公をまるごと、「好きです」と僕は言える。

小説を読むとき、人は「こいつなにやってんだ!」とはらはらする。たまに溢れるユーモアや笑いに思わずにやりとするけれど、どこかで「これを笑った自分は嫌なやつかも」と思う。自分に返ってくる。さまざまな気持ちに突き動かされながら読み終え、「でも主人公は憎めないな」と思う。まるで、自分のことを「ダメなやつだけど、憎めない」と思うように。
この本は、エッセイではない。ほんものの小説だと思う。

「苦笑いを浮かべて黙って」いることができず、たくさんの人に読んでもらいたいと思って、拙い感想を書きました。

原田さん、素晴らしい作品を描いてくださりありがとうございます。これからあなたの作品を、もう一度、全部読んでいきます。読んでいないものもすべて。



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