見出し画像

フェイク

いじめにあったことは幸いないのだが、ちょいちょい嫌われた。席替えでずるいことをして鈴木君の隣になったとか(ずるをしたのは友人の森で、加藤くんの隣になりたかったからだ。私はその後ろの席になった)、作文が変だとか(読まんで)、クリスマス会に来なかったとか(呼ばんで)、部活をさぼったとか(そもそも君は同じ部活じゃないじゃないか)。教室に張り出された作文に汚い字でセンスのない赤字を入れられたりしたが、特に大きな被害はなかったのであまり気にしなかった。目の敵組の人たちって、うちの妹には異常に優しかったし。ただいつも、本当に嫌だと感じることを言ってほしい、どこを直したらいいかわかんない。と思っていた。

いちど、「今日から、らに子と話したらダメ」という指令がクラスのカースト上位のK女王から出て、クラスの子たちが1日口をきいてくれなかったことがあった。仲が良かった佐藤くんがその理由をこそっと教えてくれたので「女王、こわいよう」と思いつつ、その日は隣のクラスのサイノのところで給食を食べた。いつもいない人がいることで、なんだかすごく歓迎された。家に帰るとクラスの子から電話がきて、高田馬場のマックに呼び出された。佐藤くんから聞いたのと同じ理由を教えてくれて、彼女たちは謝ってくれた。泣いていた子もいた。みんなK女王の悪口を言っていて、すごくテンションが高かった。その様子にもやっとしつつもとりあえず安心して一緒にK女王の悪口を言ってマックの外に出て歩いていたら、最悪なことにK女王がケンタッキーの大きなビニールを抱えてひとりで歩いていたところに出くわしてしまった。私は以前は彼女と仲が良く家庭環境を知っていたが、たぶん兄ちゃんたちに買いに行かされたんだと分かった。女の子ひとりに持たせる量じゃなかった。目があって、逃げるように彼女は走って行った。私が無視されたのは、1日で終わった。

最近ぼちぼち来始めた「そろそろ会いましょう!」的なお誘いを「ちょっとコロナにナーバスで」で返して、本当に会いたい人以外との接触を避けていたら、ぼんやりぼんやりと自分の気持ちが見えることがでてきた。子供の頃のことを、よく思い出すのだ。私はフェイクっぽいもの、リアルじゃない(と自分が感じてしまったもの)が、本当にダメだ。子供の頃、フェイクを生き過ぎたからだろうか。自分がフェイクなふるまいをしてしまうと落ち込んでしまう。やってもいないのに達成感のあるふり、欲しくないのに羨ましいふり、楽しくないのに楽しいふり、寂しいのに充実しているふり。人間関係で得をする(損をしない)ための立ち回りなんて、疲れちゃって効率がわるい。逆にそういうフェイクがないと、私はかなり自分の内側ばかり見ている人間になってしまうのだが、まあそもそもそういうことなのだろう。ここ(note)や、家のリビングや、音楽の前では、ひとまず私はリアルだなと思ったりする。

自分の子供時代とすごく似たものを小学5年生のメイに感じていたのだが、1年ほど前から彼女は、給食や時間割をみて学校に行くか行かないかを決める生活にチェンジした。

「あしたハンバーグイェー!行く日。」

そういう感じで機嫌よく学校に来たり来なかったりする子はいまのところ他にいないようで、私の子供時代とは違う様子で目立ち、レアキャラとしてなんとなく人気者なのだそうだ。皆勤賞を目指し熱があっても頑張って学校行って、いろんな賞をとって先生に褒められていじめられたお友達をかばっていたときのメイは、たぶんいつかの時点で自分のなかのフェイクに気がついたんだろうなと思う。もう少し大きくなったらそういう話をしてみたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?