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オムレツのはなし

ここ数年もやもやしていて、突然理由が分かったことがあったので忘れないように書いておこうと思う。あとコワい人が来るといやだから全然関係ないタイトルとハッシュタグにした。オムレツのはなしはしません。

フェミニズム・ブームの話である。☜そういうこと言うとまた怒られるょ。

数ヶ月前、某巨大企業の仕事で育休から復帰した社員の方々に取材をしたとき、ちょっと聞いたことないレベルで子育てと第一線での仕事両方をやっている男性社員がいたので驚いて褒めたら、同席した他の女性社員に叱られたことがあった。「(育児するのは)当たり前でしょう、自分の子ですよね?」と女性社員は言い、その男性をしゅんとさせてしまった。どんなふうに仕事と育児を両立しているか話してもらう場面だったので、男性社員が自慢したわけではない。私の感心リアクションが女性社員を怒らせたのだ。

この出来事がきっかけで私は「何か大切なことに気がつきそうよ」と思うようになった。何かが、ひっかかったのだ。

 SNSを見ても、売れている本を見ても、話題になる人や映画を見ても、女性にとって不平等な社会への怒り、風穴をあけた人への賞賛にあふれている。女性だってお相撲さんになりたいと思って良いし、美人ですねと言われたら「持って生まれたものを褒めるのは失礼です」と怒って良いのだ(は?)。私はこういう風潮を「これからはこういうことが正しいんだ、社会は変わる。私もそういうふうに考え方を変えなくては」と思い込んだ。誰かに怒られるのが嫌だから。時代と合ってないと言われるのが嫌だからだ。 

 少しでも自分の体験として知っていることを書くが、比較的人数のいる会社だと、出世したい女性が不利なのは事実だと思う。6年前まで私がいた会社は、子どもを産んだ女性は時短で働ける部署に移動し「ママさんたち」と呼ばれてひとくくりにされるようなところがあった。女性をターゲットにした案件のプレゼンのときは、私はなにもしていなくても出席してうなずいているように依頼されることもあったし、社長が「キャバクラで飲むよりも、会社の女子と飲んだ方がかわいい子いるし、タダだし」と発言したこともあった(叩かれつつ特に立場は変わらなかった。ちなみに本人はリップサービスのつもり)。

 そんな場所にいる自分が、どうしたら幸せに働けるのか、ずっと考えていた。フェミニズム関係なくその会社に私は合わなかったから、転職をした。20人しかいないデザイン事務所では、男も女もなく案件に合ったスキルがある人に仕事がくる。そして万が一私に子どもができていたとしても、書類を作る部署にまわされて女性活躍のアピールのために社内報にのせられるようなことはない。私は、25歳でいまの仕事に就いて、自分の成長の遅さにあきれながらも諦めきれず、時間をかけていいコピーライターになりたいと思って続けてきた。そんなに上手にはなれなかったし賞レースからも遠いところにいるけど、この仕事が好きだし、自分が書くコピーが好きだ。働ける間は精一杯がんばって、この仕事に自分を認めて欲しいと思っている。子どもを持たなかったのはその思いも理由のひとつではあるが、それだけではもちろんない。悩んだことは一瞬あったが、社会を恨んではいない。そういう時代に私が生まれたということだ。

 私は、ビジネスの世界での男女不平等について「社会や、男性たち」への怒りが薄いのだ。見方を変えたら、意識が低いということだろう。それなのに私は、知識として刷り込まれたフェミニズム的思考を、私も働く女性なんだからと自分の考えもそうであるかのように勘違いした。実際、よく理解もしてないと思うんだが。

この勘違いは実際の現象に問題としてしっかり現れるようになり、私はますます女性の集団が苦手になっている。ここ10年ほど、女性たちに「お話したいです」と誘われて行くと決起集会みたいな雰囲気になっていることが何回かあった。しかもなんとなくリーダーっぽく扱われている。

「結婚したら当たり前に女性が苗字を変えるのっておかしいと思うんです! ですよね?」

と言われたときにその違和感に気がついた。その女性は、自分の苗字が大好きで変えたくないから、結婚を迷っているといった。手続きなどの面倒もなぜ女性が引き受けなければいけないのかと。結婚して清水さんに変わったとき、葛藤はなかったか、と聞かれた。私は正直に答えてしまった。

「結婚が嬉しくて浮かれていたから、手続きの面倒さが気にならなかった。あと清水ミチコのファンだからちょっと嬉しかった」

我ながら0点回答だったとは思うが、このときだけではなく私は幾度か女性たちが共感への期待を込めたキラキラ笑顔で投げかけてくる言葉に正直に答えてがっかりされている。私も少なからず傷ついたし、何がダメだったのだろう…とひとり反省会をしていた。分からなかった(分かれよ)。そのときは言わなかったが私は旧姓よりもずっと、いまのほうが私の名前だと感じている。

私は私が、毅然とフェミニズム的発言をしそうに他人から見えていることに気づいてなかったのだ。

「なぜ私はいま、知らない人のだんなさんの悪口を聞いているんだろう」と、先日ふと、新宿のワインバーで思った。そこにいる人のだんなさんのぐちを聞くならまだ分かる。でも、知人のだんなさん(私は全く知らない男の人)がどれだけ育児に対する見解が甘いかについてその場は盛り上がっていた。赤子がいるのに毎日会社に来てるみたいだよとか、当日誘っても飲み会行けちゃうってどうなのとか、奥さん絶対がまんしてるよねとか。たまにズレた発言を挟みながら、やっと気がついてきた。またやっちゃったんだと。誤解して近づいて来た女子に「使えねえな」と思われるパターン。

私は、私の人生は、毎日文章を書くことを仕事にできて、いやなことからできるだけ遠ざかり、私ひとり食べていけるくらいお金がもらえて、いちばん好きな男の人と一緒に暮らせればそれでいいと思っていた。そうできるにはどうしたらいいかをたくさん考えて、周りの人に助けを求めながら動いた。「自分がそこにいたいシーン」がはっきりしていたから、そうした。そしたら、それは叶った。だから、社会における女性の不平等は知ってるし事実だけど、片乳を出して旗を振って先頭に立つつもりはないのだ、今のところ。


片乳出して旗を振る、で検索すると出てくる「片乳旗振りの女神」


家事の分担に不満があったら自分で自分の夫に言う。
実力があるのに認めてもらえなかったら転職する。
そもそも実力があるのかをはかるの自分じゃないと思う。
コピーを書きたいから、書ける環境を守る。
(調整役や交渉役をやすやすと引き受けない。書くエネルギーが減る)
そして、怒る人は怒る人の理由がちゃんとあるんだよね、と思う。
理解はする。でも同調はしない。

敵のようなものに向かって団結する雰囲気が苦手なのだ。
楽しいことに向かっての団結はいいと思う。でもそれもやっぱ苦手かも。





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