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さみしい月

なんにせよ、別れの10月だった。
 
私の人生には登場人物が少ない。
10年くらいかけてそういうふうにしてきたところがある。なんか自分がうそばかりついてるみたいで疲れちゃったのだ。
そのなかで今月は、生活圏内で定期的に会う3人の女性と離れた珍しい月だった。ひとりはあの世なので、もう二度と会えない。

 大学時代、突然ニュージーランド人の彼氏(羊似。マジ)を紹介してきたり、夏休みにマオリ族だかの村に単身ホームステイしたり、歴史あるワンゲル部に入部し大切な部の旗を谷底に落としたりしていたミナちゃんとは、卒業してからも今まで、ずっと会い続けていた。群れない人なので、お互いに会いたいときにサシで会う、みたいな感じだったが、そのたびに面白い経験を真顔で披露するミナちゃんが私はとても好きだった。ママになって色々思うところがあったらしく去年、日本じゃない場所で子育てをしたいからニュージーランドに移住を決めたと連絡が来た。私は何度も寂しいと言って、ミナちゃんに「遊びに来てよ。らにちゃんオーストラリアつまらなかったって言ってたから言い出しづらかったよ!」と励まされていた。先月、同級生たちで明るくお別れ会をしたあとミナちゃんから「らにちゃんと話すと泣いてしまうからあまり話せなかったよ」とラインが来て泣いてしまった。
 2年前、通っているヨガスタジオに新たにやってきた先生は見た目が本当にかわいかった。日サロで真っ黒に焼けていて(お腹がまるで死体です!と別のクラスの生徒に言われたと笑っていた)ほぼ金髪で、きゅっと締まったスタイル、整ったお顔立ち。初めて会ったときに話してくれたのが「知り合いがパパ活をやっていてみんなどうおもう」だった。ヨガの先生がレッスン前に話すことって、スピリチュアルなことか、ポーズの説明か、心理学的なヨガ哲学だ、たいてい。絶対そういう話をしない彼女が私は好きだった。飲んでいるものがお水じゃない(コンビニのカフェオレとか、ジュースみたいの)ところや、マック(ドナルドの方)のロゴ入りTシャツを着ているところもかわいかった。そして、ヨガの指導レベルが高かった。いつも楽しかった。終わったあと、小さな自信のようなものが生まれるレッスンだった。私はヨガが好きだが、ヨガの先生については結構思うところがあって、決まったヨガの先生についたのは相川圭子先生とこの人だけだった。かわいいヨガの先生は、だんなさんの実家のそば、関西へ移住をすることを決め、先月最後のレッスンをした。
 
仕事も追い込まれるような忙しさ・複雑さで、難クライアント案件に参って、なんとかしてくれやと深夜に社長に長いDMを送りつけたりもした。
毎日、目の前のことだけを見て転ばないように歩いていく1ヶ月だった。
初旬に祖母が亡くなってからは、気を抜くと泣いてしまうのでおでこあたりに力を入れた変な顔で打ちあわせなどにのぞんでいた。
 
そんなあれこれが一気に落ち着いてきた10月末頃、私は
「なんか、この1ヶ月どこかに行ってきたようだわ」という感想を持った。
都会で暮らす人がなにかのはずみで無人島に行ってしまって帰ってきたような?
タイムスリップしてしばらく江戸時代に行ってた人みたいな?
設定が陳腐すぎて今この瞬間本当にどこかに走って行ってしまいたいくらいなのだが、そういう感じで、自分が立っている場所が変わってしまったというか、感覚的にいうと、色々なことを少し引いて見るようになった。
冷めたという雰囲気も近いが、覚めたという感じも近い。
人生を通じて何回かある「は! そういうことか!」みたいな大きな気づきもあって、そのショックも大きいかもしれない。
 
そんな話を、よくご飯を食べる定食屋さんで同僚に伝えようとした。
「レベルアップした、て感じ?」と言われた。ちょっと違くて、うまくいえないけど1ヶ月ここにいなかったって感じ、久しぶりに帰ってきたって感じ、と言ったらああ、とうなずいていて、なんとなく理解してくれたと思った。私本当に、いない感じだったんだろうな、と思った。
そして昨日ふと「チエちゃんと私」(よしもとばなな著 ロッキングオン社刊)を読み返しはじめたら冒頭の9行(単行本ね)に私が感じてきた気持ちがそのまま書いてあって、さすがだと思った。そういうことです。もう二度と私は、前の風景の中には戻れないのです。
 
その新しい自分にまだ慣れていない。先月気づいたあることは、祖母からの最後の贈り物だと思って暮らしている。こんなに寂しい月もなかなかなかった。私の人生は変わらず続いていくが、起こる出来事への反応がちょっと変わっていくのかもしれないな、と思っている。
 
 
 
 

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