エモい、という言葉を愛してしまう

エモいとはチープな言葉だ
だけど愛してしまう

エモいの何が良いかというと、それ自体が客観的な状態を表す形容詞ではないと言うことだ
エモい、は必ず受け取り手がどう感じたかに委ねられる、定量的な価値を示すものではない、と言うことだ

エモい、は人によって0にも100にもなり得る、本質的には無価値なモノだ
いくらかの値段がついて、売り買いされるモノではない
誰の指図を受けることなく、自分自身だけがその意味を決めることのできる、比較不能な感覚のことだ

昨今、エモいを流行語のように使われるのは、オッサンが飲み会で若い子の前で、とりあえず考えなしにアゲミザワと言って注意を引こうとする滑稽さを感じる
そこには、個人の掛け替えのない感情の揺らぎなどない、人の目を拐うための稚拙な打算が見え隠れする
だからこそ、エモい、はすぐチープな言葉に成り下がる

だけど、芽生えた感覚やある種の悟りは、言葉にすることで本質から遠ざかる
だからこそ、エモいという、本質的に無価値な言葉を当てがうと、しっくりくるのだろう

エモい、とは、いわば産声のような言い表せない感覚を受け取った時、出来る限りその本質を溢さないように、苦肉の策で絞り出した削りカスのような表現の鱗片のように思う

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