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人生で一度は、眠れない寒い夜に外を歩くといい

人生で一度は、寒い夜に、寝るのを諦めて外を少し歩くといい。お気に入りのコートを着て、服はパジャマのまま。コートの丈が長いのは、パジャマを隠すためだって知ってた?コートのポケットには小銭をいくらか入れておく。だっせえ靴下にスニーカーを履いて、もしあれば鼻まで隠れるマフラーを巻いて。いざ外に出るときは、目をつむったままじゃないと、こめかみが痛くなったりする。なぜかは知らんけど。

少し歩いて自販機を見つけたら、微糖のコーヒーを買う。できればマックスコーヒーのほうがいい。マックスコーヒーって覚えてる?コンデンスミルクが入ったあの黄色い缶コーヒー。普通の缶コーヒーより少しスリムで少し長身で、めっちゃ甘いあれ。ゴトンと音がして落ちてきた缶を握りしめる。(あったか~い)を選んだつもりでも、持って歩いているうちにどんどん冷たくなっていく。どんどん甘さが増していく。甘すぎて、3分の1くらい残したままになる。ちなみに、歩いているときに音楽は聴かないことをおすすめする。いつも歩くときは音楽聴いてるって?でも人生で一度は、寒い夜に寝るのを諦めて、音楽を聴かずに外を少し歩いてみてほしい。夏の夜にはなかった、海の底にいるような渋い音が聞こえるから。

ああ、それと、自分の家の近くで立ち止まれる場所っていうのを探すといい。人っていつも移動してばっかだから、これが結構難しい。でもやってみるべき。みつけるとめちゃくちゃ嬉しいよ。もし居心地が悪かったら、もう一度探せばいい。自分の居場所は屋内だけじゃねえって分からせてやれ。しっくりくる場所をみつけたら、少しぼーっとする。無心で。って言ってもどうせなにか考える。人間だもの、仕方ない。むしろ愛すべきところだと思うよ、そういう面倒くさいところ。で、飽きるか寒くなりすぎたら帰る。歩きながら、早く家に帰りたくてたまらなくなる。こんなに寒いのに後ろ髪引かれる奴はホンモノ。たぶん何度も寒い夜に散歩したくなると思うよ。おれが言いたい話はこれでおわり。それだけ。ここから先はテキトーに聞いてほしい。

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とにかく寒い夜だった。暖房つけても鼻とか耳が冷たいくらい寒い夜。大してなにかあったわけでもないのに、妙に眠れない。あんたは寝つきが悪い子だったと母も言ってたっけ。普段は落ちるように眠れるのに(電気を消した後のケータイ、あれはだめだけど)。

「しゃあなし」
と勢いをつけてベッドから起き上がると、毛布がどれだけおれを温めてくれていたのかが、文字通り身に沁みてわかった。真っ黒でぶかぶかなコートを羽織る。電車の席に座るときは、ごわごわすぎて隣の人に申し訳なくなるようなコート。でもおれ、このコート本当に好きで。右ポケットにたばこの膨らみ(いつも入れっぱなし)。3年くらい前にユニクロで買った靴下は毛玉だらけになっているけど、気にせずコンバースに足をつっこむ。でかいマフラーを適当にぐるぐる巻いて、目だけ見えるようにして、靴箱の上に置いてある小銭入れをつかんで外に出る。

目の上がキーンとしてこめかみが痛くなった。あー目を開けたままじゃん。玄関から出る瞬間は目を閉じておくべきなのに。寒くて顔をしかめる。あったかいところに行くまで、ずっとこの表情のままなのは知っている。角を曲がったところにある自販機でマックスコーヒーを買う。甘すぎ!でも眠れもせず冴えてもいない脳にはこの甘さが必要。コートのおかげで身体はそこまで寒くないが、なぜか肩をすぼめて歩く。前に付き合ってた彼女が、冬になると肩をすぼませて歩く姿が好きだったっけ。冬の上着ってどんどん機能性が改善されてるらしいし、人が肩をすぼませて歩く姿も見られなくなるのかな。

10分ほど歩いて、やっとおれの「立ち止まる場所」についた。植木と植木の間に謎に佇む吸い殻入れ。年季が入った灰色に、ステッカーがこれでもかと張り付いている。どれも仰々しい蛍光色のなんやらではなく、タクシーの広告や病院の案内だったりするから嫌いじゃない。

ここに引っ越してきたときも冬で、その日もなんだか眠れなくて、適当に歩いていたらこの場所を見つけた。あれから5年も経ったのか。あのときのおれ、めっちゃ弱かったな。電車の乗り換えを間違えたらこの世のおわりくらい落ち込んだし、コンビニの店員さんが少し機嫌悪そうなだけで買ったコーヒーの味が分からなくなった。いつも慌てているおれに、「自分を見失ってばかりだからだよ」とうんざりした顔で言って彼女はいなくなったっけ。映画も歌も、小説も、自分の弱さを確かめるためだけに摂取していた。「感傷的、感傷的」って心の使い方を間違えてたんだ。たばこを取り出そうにも寒さで手が固まってうまく一本を掴めない。やっと取り出してライターで火をつけると、そんなはずないのに少しあったかくなった気がした。火ってそこにあるだけでぬくもりをくれる気がする。ふいーっと言いながら煙を吐く。電子タバコより紙たばこのほうが好きだ。ライターを近づけるときにうつむくからか、火をつけた後自然と上を向くってのがいい。昼間は白い月と何度も目が合うし、夜は星を見る機会になる。

たばこの灰を落とすと、吸い殻入れに貼られたステッカーの一つに、「人生をやり直すために~」と書いてあるのが目に入った。人生か。人生ね。たまに、ベッドに入った途端にそいつが迫ってくるときがある。特にこんな寒い夜にやってくることが多い。わけのわからないかなしさとか、身に覚えのあるさみしさとか、そういうのが「人生」ってワードと一緒に外から襲ってくる。

でもさ、人生なんて言葉は、もっと都合よく使っていきたいよ。人って頭良くて、めっちゃいろんな言葉知ってるじゃん。人生というものを説明しろって言われると難しいけど、みんななんとなくその意味を知っている。実態がわからなくても概要は理解できちゃう。言葉を知っているだけで、概要を理解できるなんて、それって賢いと思うよ。愛とか幸せとかもその類でしょ。でも、人間は賢いのに、普遍的な意味で理解した言葉を丸ごと自分にあてはめて考えようとする。うまくいかないよそりゃ、自分って普遍的じゃないもん。だから、人生とかそういう言葉って、自分に都合いい面だけ使っていけばいいと思うよ、おれは。そうじゃなきゃしんどいだけだ。

「人生」に襲われそうになる夜は、ここに来ると自分を取り戻せる。もし今夜ここに来ていなかったら、おれはまたあのまま朝まで考えていただろう。悶々としながら朝を迎えるのは良くない。考えがまとまったし、帰る前にもう一本だけたばこを…と箱から取り出そうとすると、足元でうずくまっている人がいるのに気づいてぎょっとした。この人、いつからいたんだ。ぼーっとしていて気づかなかった。
一歩引いて見ると、泣いている男だということだけは分かった。同世代くらいか?しかもちらっちらっとおれの視線を気にするようにこちらを見てくる。気にするくらいなら泣くな、見られるのが嫌ならどっかいけよ、と少しイライラしながら目を背けて煙草の灰を吸い殻入れに落とすと、そいつが

「すいません、すぐ消えますから」

なんて謝ってきた。めんど、と思いながら

「別にいいですよ」

と言うと、そいつはドタっとそこに尻をつけて座った。あ、こいつ、いなくならない気だな。
ならおれが先に…と思って歩き出そうとしたタイミングで、急にそいつが質問してきた。

「おにいさん、いくつですか?」

「28」

「5こ上かー。いいなあ」

いいなあ、の意味は分からないし、年下の男に泣きながら年齢聞かれる身にもなってくれ。

「人生ってうまくいかないこと多いですよね」

「人生の話?まじ?急に?」

急に人生について話されたので、驚くのと同時に、距離の縮め方下手すぎだろ…と思った。

「考えすぎって分かってるんですけどね、むずかしいんです」

「人生なんてないよ、人間がつくったただの概念だよ。宇多田ヒカルも人生はイメージだってなんかで言ってたし」

さっき、ぼーっとしながら考えていたことがまさにそれだったとは言わない。

「宇多田ヒカル、めっちゃ聴いてんのにそれ知らなかったです…」

「え、何が好き?」

「『Play A Love Song』です」

「おれも」

「まじすか」

「それ好きなら大丈夫だよ」

「まじすか」

「おれがそうだった」

え!という声とともに急に立ち上がったそいつの顔を見て驚いた。

おれだった。帽子についたクマのロゴに目がいく。やはり。フラれた彼女からもらった帽子を執念深く被っていた、5年前のあの頃の俺だった。

「まじすか、がんばります」

しかもいつの間にか泣き止んでんのかよ。鼻を真っ赤にしている5年前のおれを見ながら、そうだよ、おれはここ数年でやっとなんとかなってきたんだよと思った。自分が好きなもの、大切にしてたらお前は大丈夫だよ。遠くの空がもう白みはじめている。もう夜があける。朝を見つけた人ってさ、夜寝れなかった人だったんじゃないかと思う。夜寝ないで朝を迎えると、あ、おれ昨日のおれのまま今日に来ちゃったなってなんか変な罪悪感に駆られる。でも、昨日のおれ、ちゃんと今日にたどりつけたって安心もする。朝を見つけた人って、朝と一緒に自分も取り戻せたんじゃないかって思う。そうやっておれもここまできたんだよ。もう一度言うけど、お前は大丈夫だよ。

5年前のおれは、たばこの火を消している間にいなくなっていた。

人生で一度は、寒い夜に、寝るのを諦めて外を少し歩くといい。たぶんそれは、「人生で一度」にはならない。そして鼻まで隠せるマフラーはやっぱり必須だ。「立ち止まれる場所」でいつかの自分に会ったなら、バレずに話をしてやるために。


<完>


この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』1月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「あける」。「何がはいっているの?」のワクワクや、目の前がひらけるような体験が詰まった6作品が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひ訪れてみてください。


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