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遅れてきた先生  第11話

11 ゴールしなかったあいつ

 

もともと小学校教諭を目指していた北田先生は、中学校に呼ばれてしまったことをありがたく感じるようになっていた。中学生には本気の言葉が伝わるからだ。そしてもう一つは、中学校生活には授業以外にもたくさんの楽しみがあるからなのだ。いや、あった……。

 この何年か、行事を精選するという名目でたくさんの楽しみが削られてしまった。精選といっても、本当は授業時間を確保するためにやむなく廃止したものがほとんどなのだ。遠足と芸術教室をやっている学校はもうほとんどなくなった。今残っている大きな行事としては、一年生だと校外学習、二年生では宿泊学習、そして三年生は修学旅行。さすがにこういった旅行的行事はもちろんのこっているだろう。それでも修学旅行は三泊四日が定番だったものが、今ではみんな二泊で終わらせている。これも授業時間の確保。文化的な行事では合唱コンクールに学校祭だ。そして運動系を代表する体育大会や球技大会がある。

学校は勉強するところだから何よりも勉強が一番だという人が多いだろう。だが、そうではなく、子ども達は勉強以外のことで成長するのだ。最近では高校生が入学して間もない五月の初めに宿泊学習で集団作りをするところが多い。学校を生活の場とする「生徒や児童」という集団は、どの年代になっても一人では生きていけないもので、だからこそ集団で生活している。だから、集団で生きていくための力を身につけさせたいのだ。

日本人は長い間こういう行事を通して集団としてのルールだとか協力性を養ってきたはずだから、やっぱりこういう行事が人としての生きる力を作っていくものだと考えるべきなのだ。何よりも同じ集団の一員として問題なく生活していく下地作りが、勉強に集中するための大切な準備にもなる。

 土曜日にまだ半日の授業をしていた頃、中学校では体育大会を陸上競技場で行うところが多かった。札幌だと円山競技場を抽選で奪い合った。

北田先生が三校目の臨時採用教師(臨採と略して言うことが多かった)としてやってきた学校では、夏休みを間近に控えた七月中旬に円山競技場を引き当てた。一学期末のこの時期は、日程的に一番扱いやすいころだった。日程調整にいつも四苦八苦している教務係の先生にとっては一安心だったはずだ。抽選がうまくいったというところだろう。大学まで陸上競技にハマっていた北田先生にとっては、そこは懐かしくもあり、ほろ苦い思い出の詰まった場所でもあった。

体育大会の種目は、陸上競技場で行われるので、走ること跳ぶことが中心となる。短距離の100m走と400m走、長距離では女子の800m走と男子の1500m走。跳ぶほうでは、走高跳と走り幅跳び。そして学級対抗のリレーのことが多い。学級対抗で競うことになるので、学級の優勝のために夢中になって取り組む生徒が多い。学級ごとに朝練をしたり、リレーのバトン練習のためにアルミホイルの芯になっている筒を用意することもあった。学級の一体感のために鉢巻を用意することも、学級旗を作成して競技場に掲げるクラスもある。そうやって学級の一体感を作る上げることも目的にしていた。

 だが当然、学級の中には気持ちののらない生徒が一人や二人はいる。選手決めから練習計画や学旗づくりなどの活動中に学級内でひと悶着起きてしまうのだが、実はそれも行事を行う上での良いところであり、一つの狙いでもある。毎日の生活を共にする学級で、仲間とのトラブルを解決しながら生徒たちは成長するからだ。

 そんな中でも、本番である競技場の全校生徒の前でわざと全力で走らなかったり、カッコつけて目立とうとする生徒がいる。そんな時には生徒指導係と担任の登場となる。それも集団として生きる学校生活の一つの形であり、いわばその子にとっての成長のチャンスである。間違ったことを怒られ、指導され、考え方を変えたり改善できるようになったりすることに意味がある。でも、それにも段階があり、限度もある。

 その年の三年生は、前の年までの紆余曲折を乗り越えてうまく成長してくれた。どの学級もまとまりがあって、一生懸命にやろうとする気持ちを表す生徒が多かった。種目ごとの新記録も多く誕生した。問題は二年生だった。学級編成があって、新しいクラスの中での力関係がまだはっきりしていないことや、自分をアピールする方法をつかめていないことから、この時期の二年生はまとまらないことが多い。一年生に所属していたが、二年生の二クラスにも授業に行っていた北田先生は、そのことを強く感じていた。学校生活を一年経験したことで、「こんなものか」と中途半端なまま「タカを括ってしまった」生徒もいる。授業中に「わざと」極端な反応を示したり、教師を困らせるための発言をする生徒がどちらのクラスにもいた。

 二年生の100m予選をトップのタイムで通過し決勝に出場することになった山本がその代表的な生徒で、「俺の天敵は、北田だ」と公言している生徒だった。この学級では彼に同調する生徒が3人いて、授業はあまりうまく進んでいなかった。スタートから他を圧倒する走り方の山本は、50m過ぎにはもう勝ちを決めてしまった。陸上を専門にしてきた北田先生には、彼の走りは上半身の力をいっぱいに使った野蛮な走りに見えた。走り方は美しくなくとも、速いことには変わりなく、このままいけば二年生の新記録が出るに違いないと思われた。

スタンドの生徒たちがその思わぬ速さに歓声を上げた。そのままゴールのテープを走り抜けるだろうと誰もが思ったとたん、山本は急停止した。あともう少しでゴールできる、手を伸ばせばテープに届きそうな位置まで来ていた。ケガやトラブルではない。

わざと止まった。

スタンドはざわついた。

競技場のあちこちに散らばっていた先生たちが一斉に注目した。

「やったな」と北田先生は思った。

 他の生徒が次々に追い抜きゴールし終わるまで、彼はその場に立ち尽くした。何人もの先生が近づいてきたのを見て、山本はその場からゆっくりとスタンドの自分の席に戻ろうとしていた。

「ちょっと来い、お前」

いち早く彼のところへ駆けつけた北田先生が腕をつかんだ。

「何よ、なんもしてねーべや」

後からやって来た担任の金子先生が反対の腕をつかんで本部席へ連れて来た。

山本は薄ら笑いを浮かべて金子先生を見た。それから北田先生を横目でちらり見た。

2年生の先生を中心に指導が入った。

「先生、石田たちがヤキいれようとしてます。帰りの森の中ですよきっと。神社裏かも」

野球部の3年生が耳打ちしてきた。サードを守っていた山崎は、その子たちの仲間だった。二年生のころ彼らはなかなか手のかかるグループだったらしい。そのため、三年生になる時にあえてクラス替えをしたのだという。

山崎が、4月の頃野球部内でちょっと浮き加減な生徒だったのはそのためでもあった。前年度まで顧問をしていた柴田先生は、高校野球の名門校出身だった。4月の頃、2・3年生の野球部員が北田先生の実績のなさにがっかりしていたなかで、なぜか彼だけは妙に近づいて来るのだった。

去年までは、礼儀や学校生活に厳しく、野球の技術や能力よりも真面目さを重視して選手選考していた柴田先生とは全く合わなかったらしい。かといって、北田先生が学校生活や授業のまじめさを大事にしなかったわけではなく、毎日のミーティングでも細かな注文を付けていたのだ。ただ、本格的な野球部出身の柴田先生と、陸上部出身の北田先生では体全体から発するものが違ったというのだ。陸上部が甘いというわけではなく、経験からくる野球名門校的な絶対的な指導の仕方に彼は納得できなかったのだという。北田先生は野球が素人であるがゆえに基本的なことからプレーへのつながりを説明してくれる。そして、筋トレが多いのもスポーツとしての野球を考えている、と山崎は感じたのだという。いや、それ以上に北田先生の中に自分と似た「におい」を感じ取ったのかもしれない。

 その後、山崎からの情報を指導部の先生方に伝え、三年生の先生と巡視を行った。山崎の言う通り、円山競技場から坂道を下っていく途中の森の中で、石田を中心とする三年生5,6人に山本は囲まれていた。顔を異常なまでに紅潮させた山本は唇をゆがめていた。いつものような人を馬鹿にしたような笑い顔はどこかに行っていた。

北田先生や担任の先生に強く指導された時とは違った表情だった。教師としての大人に対する彼の態度と、三年生に対するものとは大きく違っていた。山本と同じように教師に対して反発する生徒は、どこか安心している。彼らは、教師である大人たちが、生徒である自分に強く当たれないだろうと思っていた。ところが自分とたいして年齢の違わない3年生には恐怖心を抱いている。何をしてくるか予想がつかないことと、彼らにまつわる噂や悪さの実績が頭にあるからだ。大人ではない彼らは、ちょっとのことで本当にやってしまうかもしれないと考えるからだ。ましてや、このメンバーに対抗したとなると、後々他の三年生たちにも伝わってしまうことになる。そうなると、自分自身の身の置き場はなくなってしまう。

教師である大人に反抗するのは「かっこいいこと」で、上級生に反抗するのは「ばかなこと」なのだ。そして自分も来年には上級生になる。

 三年生たちは、先生たちの対応に不満を持っていた。去年までは自分たちが随分と厳しく扱われていたのに、今年になって、こんな山本みたいなやり方をする奴が、自分たちの中学校生活最後の大会を汚していることに腹を立てていた。中学校生活最後の一年間をしっかりやろうという話を何度も聞かされたうえで、今までにない「三年生でのクラス替え」に納得させられた自分たちとずいぶん違う対応に思えた。だから彼らは、山本以上に先生方に腹を立てていたのかもしれない。

「こら……おまえ、調子こくなよ」

「最後の体育大会なんだよねー、俺たちはさ。なんでお前がそれを不愉快にしてくれてんのかな?!」

「俺たち三年生があんなことしてたってか?」

「こら山本、おめえ、足速えの自慢したいんだら、最後まで走れよ。何カッコつけてんだよ!」

 山本は、走る能力はこの学校で一番かも知れなかった。でも、日ごろ悪ぶっているだけで、喧嘩をしたことも仲間と揉めたことすらないやつだった。自分のやったことが三年生にこんなに悪く思われているとは想像できなかった。

自分の学級や学年の中で、自分を目立たせたかっただけだった。担任を困らせたかった。いつも授業でやりこめられている北田先生にアピールしたかった。

それが今、こんなふうに三年生に囲まれることになってしまった。山本は何も言えず困っていた。

 毎年6月15日の北海道神宮祭では神輿渡御が行われる。その時に神輿を乗せるを格納しておくための大きな倉庫があって、その裏側にちょっとした広さの空間があった。北田先生を含めた生徒指導部の先生たちはそこで彼らを発見した。そこは樹齢何年かもわからない大木に囲まれた森の中にあり、人の目から隠れるにはちょうどいいような笹藪に囲まれた空間であった。

「お前ら、よくこんないい場所知ってるな」

そう言ったのは、ベテランンの生徒指導部長だ。この学校勤務が十年を超えたと言っていた生徒指導部長の板倉先生は、厳しい、怖いというイメージの生徒指導の先生とはちょっと違っていた。北田先生には随分と「余裕がある」ように見えた。

 「お前らな、無理してよ、大人に反抗しようとしてもな、結局はうまくいかないもんだべ。理屈に通らないもんだべ。だからよ、そんなこともう考えるな」

それが、板倉先生のいつもの言葉だ。以前にどんな武勇伝があったのか、生徒も先生たちも誰も知らない。けれども、普段からゆったりとした話し方をするこの国語の先生の授業では、私語などはまったく存在しないという。野球部の山崎は、「間が怖い」と言っていた。早口で軽く話をする先生にはいくらでも入っていけるが、板倉先生のようにゆったりとした話の中にある、まったく音のしない時間が怖いのだという。怒るわけでもないけれども、一瞬空気が止まったような緊張感が走るのだという。

 「石田、手エ、出してないべな。なんもしてないんだべ?」

石田たちの仲間の一人がうなずいた。

「もういいべ。山本もな、なんも考えねえでやったらしいからよ、お前らにこうやって囲まれてよ、よーくわかったはずだわ」

山本がうなずいた。

「山本、わかったんだべ。口に出してちゃんと言え」

石田が不満そうな顔を見せた。

「先生、俺たちさずっと一生懸命やってたんすよ。ちゃんと先生たちとの約束守ってましたよね。」

「おお、お前たちはえらいやつらだ」

「なんでこいつらにはさ、甘いんですか。俺たちこんなことやったら、がっつりやられてたじゃないですか」

「そうだな。お前たちは、話の分かる人たちだから、怒られてちゃんとできるようになったもんな。やっぱりよ、こいつらもちゃんと怒られないとだめだわな。わかってるって。ただよ、お前たちがな、こいつらをやってしまったらな、ダメなんだわ」

 石田は自分たちが指導されてきたことを思い出していた。

「お前たちがな、ここでこいつに指導してしまったら、今までお前たちが頑張ってきたこと、ぜーんぶ無駄になってしまうべ。だからよ、そのあとは俺たちがな、引き受けるから、お前たちはもうここまでにしろ。こいつらもな、お前たちの気持ちはわかったし、なんでお前たちが頑張ってるのかもきっとよ、気づいただろうからよ。」

石田の後ろから片山が顔を出した。

「先生、山本と、あと、米倉は小学校の時から調子こいてたから、シメといた方がいいっすよ。」

「そうか。わかったよヨネ。お前の二年生の時とおんなじみたいだしな。」

「いや、せーんせい、俺はもう何ともないでしょう」

「そうだ、あんとき以来お前はもう大丈夫。だから、こいつらもな、同じようによ、今、俺がやっとくから、お前らはな、今日はもう帰れ」

 石田の表情が柔らかくなっていた。ほかの三年生たちも自分たちの気持ちが板倉先生に伝わったことを感じたような顔をしていた。

「山本、ほら、短い言葉で言え。わかったんだべ」

山本は口の中で小さく声に出したようだった。

石田達三年生はその言い方にちょっと不満な様子を示した。

板倉先生がさらに続けた。

「山本よ、お前、こいつらが何考えてるか分かったのか。」

「……」

「お前みたいなことをやったら、こいつらは強烈に怒られてきたんだ。お前は知らねえだろうけどな。だからよ、お前みたいになんも考えないでやってしまうやつを許しておけねえのさ」

山本は下を向いている。

「こいつらはお前よりはるかにダメなことやってきたから。でも、今はよ、自分たちがこの学校をな、落ち着かせる役をやってやるって気持ちになってるんだ。お前たちは、弱い三年だと思ってるかもしんないけどよ、逆だ。こいつらはお前らなんかより何倍も上だ。お前はそれを知らないだけよ。だからこんな馬鹿な真似してんだ。はっきり言ったらな、お前のやってることはよ、チンケなことよ。こいつらにしてみたら、恥ずかしいくらいにみっともないかっこつけよ。だから、囲まれてんだよ。わかるか?」

山本はわずかにうなづいた。

 「だからよ、ここはちゃんと、お前、謝ったほうがいいだろ?」

石田たちは山本をにらみつけた。

「……すいませんでした……」

山本は顔を上げることなく小さな声でそう言った。

「チッ!」

北田先生の近くにいた尾関康年が、わざとらしく大きな音を立てて舌を鳴らした。

眉毛を細くした尾関は、肩幅が広く大きな体をしている。ただでさえ怖い顔をしているのに、細い目をさらに鋭くとんがらせて山本を睨みつけている。

 「ヤストシ、そんなにプレッシャーかけるなって。お前みたいな怖い三年生達に囲まれてんだもの、わかるべや」

尾関は顎をちょっと突き出すようにしてそれに反応した。彼は表情に現れるほどヤバいやつではないと北田先生は感じていた。

「わかったぞ山本。もうこんなことはないよな?」

山本がかすかにうなずいた。

石田は板倉先生が間に入ったことで、うまくいくだろうと感じたらしかった。その顔が少し和らいだように見えた。

「ほら、お前らはもう帰れ。地下鉄ももうすいた頃だべ。巡視してる先生方より早く乗った方がいいぞ」

 板倉先生がやんちゃな奴らに信用されるのは、こんなところにあるのかもしれない。北田先生は石田の表情を見ながらそう思っていた。ただ帰すだけじゃなく、ちゃんと彼らの立場を立ててやっているのだ。

 各校の生徒指導部長の先生は、それぞれ独特な力を持っていると北田先生は感じていた。

 絶対的な力で押さえつけてしまい、生徒の考えなど全く聞き入れないタイプの先生がいる。昔からの生徒指導部の先生のタイプといえるかもしれない。テレビドラマの生徒指導部長はこのタイプだ。ドラマでは嫌われ役の典型だが。この先生が機能しなくなると学校は荒れてしまう。だからこのタイプの先生は、自分が最後の砦だと考えて妥協することはしない。それでいて人間的魅力のある授業をする先生も多く、卒業後も面倒見がよかったりする。

 もう一つのタイプは、やさしく受け入れてくれるタイプ。この先生が行けば生徒は言うことを聞くし、事件も治めてしまう。「アメと鞭」という言葉が合いそうな対応の仕方をすることが多い。担任や関係先生と強くもめていたとしても、この先生が行くと収まってしまう。生徒にとっては、この先生が出てきたらそこでおしまいだという考えでいる。が、逆に考えると、この先生以外の話は全く聞かなくなる。対応する先生によって態度を変えるというやり方をする。だから、この先生が生徒指導部長をする限り学校は良くなることはない。挙句の果てに、生徒指導部長だけが活躍していると思われ、本人も自分だけが力があると勘違いしてしまうこともある。

 「担任じゃ生徒を抑えれないから、しょうがないから代わりに俺がやってやっているんだ」

そんな思いあがった、本質をとらえない言葉まで聞くことになってしまう。

「俺がいなくなったらこの学校ダメになっちゃうよ」

そんな言葉まで発する先生もいた。だが、いざこの先生が転勤した後は、ちゃんと生徒指導部としてのシステムが正常に働くようになる。生徒のほうも、組織としての学校生活のルールに乗って生活するようになる。だから、学校生活は安定してくるし、正しいことが正しいと認識されるようになるのだった。結局、この学校を乱していたのは、生徒以上に先生達が作る組織とその動かし方の問題でしかなかったということになる。個人のスーパーパワーで維持されている学校などはないのだ。

  板倉先生は、特別な魅力を持っていた。職員室の中でも、謙虚な言い方に終始していたし、自分が中心になって目立つことだって少なかった。ただ、徹底していたことがあった。それは、何が正しいのか、どうすれば学校も生徒も幸せな状態を維持できるのかを、職員の間でも生徒に対しても隠さずに伝えていたことだった。隠すことなく本心を伝えていたから生徒には信用される。正しいことと正しくないことの見極めを常に生徒には伝えようとしていたから、生徒たちもちょっとの我慢ができるようになってきたのだ。

  何校もの学校を渡り歩いてきた北田先生にとって、板倉先生は見習うことの多い先輩だった。だが、この先生は定年退職を待つことなく現役のまま病気で亡くなってしまうのだった。

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