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「南風の頃に」第二部  8 中鉢誠子 

 川相祥子に勧められた『書道パフォ』の日、野田賢治が武部と川相智子と三人で北園高校体育館についたのは午後1時過ぎのことだった。大きなカメラバッグの中に二台もの一眼レフカメラと大口径レンズを詰めこんだ武部は、筋トレ中のヤセすぎ君の表情をしていた。地下鉄の階段を駆け上ったまでは予定通りだったけれど、三人とも初めての街並みに道順が分かっていなかった。スマホのアプリを睨みながらやっとたどり着いたときには電車を降りてから30分以上も経っていて、1時開始に遅れてしまった。
住宅街と商店街が交互にやって来て団地の裏道を通り抜けたようなところに目的の高校はあった。南ヶ丘高校と同時代に造られたということだが、周囲の街並みとの兼ね合いからかこっちの方が古くから建っているような雰囲気を感じさせている。

 ここにたどり着くまでにエネルギーを使い切ってしまったような武部を、二人で後ろから押すように体育館の入り口に向かう階段を上がると、もう中では大きな音量でアナウンスが始まっていた。体育館の床いっぱいにブルーシートが敷き詰められ、その上にさらにビニールシートを重ねるようにして会場づくりがなされていた。
 周りを取り囲むような観客も結構な数に上るようだ。道新の取材が入ると川相智子の妹が言っていたように北海道新聞のネーム入りベストを着たカメラマンと照明などのスタッフが目に入った。しかもそれだけではなく、この体育館には階段式のギャラリーが設置されていて、その一番上にはテレビ局のカメラが設置されていた。

「おい、こんな派手なものなの」
「凄いよね……」
川相智子は妹の存在を探しながらちょっと不安そうだ。
武部は以前から書道パフォーマンスについて知っていたらしく、カメラの準備を急ぎながら長い説明を始めた。
「あのさ、高校生の全国大会と言えば野球の『甲子園』が有名でしょ。それに倣ってね、最近じゃ野球以外にもね『〇〇甲子園』って呼ぶことが多いんだ。もちろんスポーツの大会じゃなくてさ。カメラだってね『写真甲子園』って立派な大会が毎年行われてんですよ。しかも北海道でね。どこだと思う? 知らないっしょ? 東川町。聞いたことある?……」
当然僕は全く知らなかった。川相智子は名前だけ知っていたらしく小さく頷いていた。

「書道パフォーマンスにも甲子園があるんですよー! 毎年ねー、四国で行われるんですよー……」
武部がまた誰かの真似をしたしゃべり方になり、川相智子が小さく笑ったが僕にはさっぱりわからなかった。それでも、武部は川相智子を笑わすことができたので目的を達成したと思ったのかやっと長い説明に区切りをつけた。

ギャラリーを一段ずつ上がっていくと体育館内の準備状況がよく分かった。新聞やテレビが入ることもあってだろうけれど、昨日まで体育系の部活が使っていたはずのこの場所を、ここまでしっかりとセッティングするのは非常に大変な労力だったことが推測できた。  
中学で野球をしていた頃、自分の学校が会場校になった時の準備の大変さが思い出された。試合の前日は練習なんてする時間もなく一日いっぱいグラウンドづくりと用具の設置のために部員全員が走り回っていたのだ。夏休み中などの大会ならば時間は余裕をもってできたのだが、今日のように土日祝日を使った大会だと、平日の授業が終わった後にやるか開場前の何時間も前から登校してやるしかない。今日のこの会場も担当の人たちにはかなり負担がかかっているはずだ。

ギャラリーの最上段に上り会場全体を眺めていると、体育館の更衣室側の廊下に並んでいる南ヶ丘書道部の一員が目に入った。書道部を見たのは初めてだけれども、同級生を一人その中に見つけたのだ。今まで書道部であることも知らずにいた望月清華だ。芸術科目の選択で僕と彼女だけが「書道」を選んでいた。他の仲間たちは音楽が人気でギターや和楽器に触れることが人気になっていた。武部は何故か美術を選んだ。
男子生徒で書道を選んだのは僕のほかには隣のクラスの二人だけで、38人の書道Bクラスは三人の男子生徒が女子の中に埋もれていた。一週間に一度だけのこの時間は岩内での祖父と一緒の時間を思い出させてくれる50分間になった。そして、話すことも仲間に合わせて行動することもない時間は、余計な気疲れをすることなく気持ちを浄化できる唯一の授業時間だった。

選択書道の時間で仕上げた作品を自分たちで裏打ちし展示すると、望月清華の作品は群を抜いていた。楷書や行書の二文字や四文字を課題とする授業なのに、彼女だけは王義之の臨書だったり漢詩文の連作だったりするのだ。授業で配布される通常の半紙ではなく自前の用紙に書かれた彼女の作品は多くの生徒が読むこともできずにいた。裏打ちの方法も手慣れたもので廊下に展示される彼女の作品だけが別な世界に導く入り口のようになっていた。そんな腕前なのだから、当然書道部だろうと考えてしかるべきなのに、僕の頭はそんなことすら考えられない状態だったのかもしれない。まして、同じクラスのたった二人の生徒なのにまともに会話したことすらなかったのだ。

「野田君も書いてみない?」
「はいっ?」
初めて彼女から話しかけられたのは、一学期ももうすぐ終わろうとする頃だった。その日が一学期最後の選択授業の日だったと思う。
「野田君の筆さばき見てるとね、ほんとにすんごくまじめだよね。きちんとした文字を書こうとしてるでしょ。だから誰が見ても綺麗だなあ!って感動しちゃうわけよね。でも、なんか無理してないかなって思ってさ。その詰襟の学生服ときっちりとした文字ってほんっとぴったりマッチしちゃってるよね。でも、なんかね、いつもいつもそうだとね、疲れちゃうでしょ、お互いに。楷書ばっかりじゃなくって行書も連綿の平仮名も、ほんと上手に書けてるし、とってもきれいに見える。でも、なんか無理して作っているみたいに見えちゃってね……」

全てを見抜かれてしまっているような指摘だった。書道の腕前ばかりでなく「この子はすごい」と改めて思わせられる日になった。返す言葉も見つからずただ聞いているだけだったのだが、彼女も別に答えを期待していたわけではないようで、その時はそのまま漢詩の読み方と作者の思いを解説したあと、自分の創作詩を披露して少しだけはにかんでいた。
その彼女が今あそこに並ぶ南ヶ丘書道部の一員であることに何の不思議もなかった。むしろそれが当然だろうというふうに思うようになっていた。

しばらく彼女とのことを思い出しながら体育館の入り口あたりを眺めていると北園高校書道部の一団が体育館に姿を現した。いよいよこれから始まるようだ。この一団は紺色の袴に同色の上着という剣道の袴と道着によく似た衣装を身に着けていた。
僕はこの衣装に非常に強い思い入れがあった。書道と同じように祖父に叩きこまれた剣道の仲間たちが思い出されたのだ。小学校に入学する前に始めた剣道は相手と自分との間合を見切る勝負が面白かった。上の学年の生徒に面で後頭部を叩かれてしまうことも、小手の防具より外れた場所ばかりを打たれて強烈な痛さと痣が年中絶えないということもあったが、相手の竹刀と足先だけに集中できるこの競技は大好きだった。そして、同じ剣道仲間のうちただ一人の女の子だった「誠(まこと)さん」の姿が思い浮かんできた。

「誠さん」は本当は中鉢誠子という名前なんだけれども「私の名前は新鮮組の誠だから」と誠子を誠と呼ばせていたのだ。
「私は武士道セブンティーンになるからね!」
ことあるごとにこのセリフを口にする中鉢誠子さんは剣道にのめり込んでいる二歳年上の「剣士」だった。「武士道セブンティーン」というのが小説のタイトルだと知ったのはずっと後のことだったが、中学二年生で彼女は初段位に合格し三年生の時には北海道大会でベスト8まで勝ち上がった。うちの祖父のところで剣道をやっていたということは同時に書道も習っていたことになる。祖父はスポーツだけ勉強だけ、というのをものすごく嫌っていたのだ。
八興会館の二階道場で剣道を教え、その隣の教室で書道も同じ子供たちに習わせていた。剣道を始める条件は書道も同時にすることでもあった。だから野田賢治には剣道の姿と書道が重なって見え、彼女たちの衣装から剣道をしていた時の「誠さん」を思い出してしまったのだ。

会場に整列し始めた北園高校書道部の10人は床に敷かれた大きな紙(紙なのかどうかわからないけど、もしかすると布なのかもしれない)の周りに位置取りをした。スタート位置についたという雰囲気だ。テレビ局のカメラが回っている。道新のカメラマンが重たい音のするシャッターを切った。横にいる武部は二台のカメラを首から下げてもう連写している。

大音量の音楽が流れ始めた。オレンジ色の鉢巻きを背中に垂らした10人の部員たちが動きだした。「書道パフォーマンス」はダンスパフォーマンスといった方がいいかもしれなかった。いやむしろ、演劇の一種かも知れない。10人それぞれに役割があって、持っている筆の大きさや色までもが様々だ。音楽に合わせて踊るような動きを見せ、一つのストーリーを演じているようだった。出来上がった作品もド派手なものだった。

 川相智子の妹祥子はこの十人のバックアップで演技をする彼女らに道具を供給したり、場所のセッティングをしたりと1年生部員らしく走り回っていた。川相智子も武部も少なからず落胆した様子だったが、野田賢治はこのパフォーマンスの間じゅう一人の動きだけを追いかけていた。

バックに流れる音楽に合わせた足のリズムが一人だけ剣道の試合のようだったのだ。パフォーマンスが始まり両手で抱えるほどの大きな筆を持ち運ぶ動きも、筆を変えて四人で並んでリズミカルに文字を書き連ねる動きも、すべて彼女だけは継ぎ足を基本とする剣道の足運びだった。剣道着にそっくりな衣装だっただけに自分の記憶と結びつけてしまったからなのだろうと初めは思っていた。けれども、彼女だけは背中にしっかりと太い力線が入っていた。足首やひざの柔軟性が活かされたリズミカルな動き、そして動きを止めすっと立ったその立ち姿……。他の九人とは全く違う。そんな彼女の姿を追っていると思い出の中のものなんかじゃなくて、本当に「誠さん」に見えてきたのだった。

「誠さん」こと中鉢誠子さんは二学年先輩なのだが中学は別だったので学校でのことはよく知らなかった。ただ、小学校に上がる前から道場に通っていたので6年以上も一緒に練習し机に向かっていた。彼女の三人の兄たちも皆道場に通っていて末っ子の誠さんも一緒に付いて来ていたのが始まりだった。始めたばかりの僕と二年が経った誠さんが道場では最も年下の二人だったので互いが練習相手となることが多かったし、誠さんは先輩として僕に動き方や練習の方法や、その他いろんなことを教えてくれた。
野球を始めてからも道場にだけは休まず通っていたので、週に4回の練習はほとんど誠さんを相手にしていた。上下素振りから始まり前進後退素振り、足さばきの練習。ウオーミングアップ代わりにもなるこれらの運動はいつも二人が並んでやっていた。背の高さも年齢も近いので男女の力の差も少なかった。何年もこの運動を並んでやっていると、まったく同じタイミングで動くようになり、誠さんの兄たちからは「誠子にも弟ができてよかったっしょ」と言われるようになっていた。

面をつけてからも切り返しの練習と前進後退や左右斜めの継ぎ足の練習になると、二人はほとんどシンクロしているような動きになっていた。

野田賢治はその時と同じ動きを目の前にしていた。紺色の袴に同色の道着、オレンジ色の鉢巻きを肩のあたりに揺らしながら、二年ぶりに目にした「誠さん」が竹刀の代わりに筆を動かしながらステップを踏んでいた。
完成した作品が太いロープで昇降式のバスケットリングを利用して持ち上げられると、体育館の床から見ていた観客たちにも作品全体が見えるようになった。大きな歓声と拍手が起こり10人の書道部員たちは深々と頭を下げたあとに手を振っている。
野田賢治はギャラリーの階段を下りて片付けを始めている部員たちの近くまで行ってみた。素早い動きで筆の片付けをしていた川相祥子が「あっ! どうもー!」とだけ言って荷物を運んで行き、そのすぐ横で汚れを拭きとっていた誠さんが、タイミングよくこちらを振り向くと僕と目が合った。その途端彼女の目が大きく見開き、続いて口が真ん丸な形になり大きく息を吸った。それを隠すように左手を顔に持ってきたときようやっと声が発せられた。

「ケンちゃん?!……ケンちゃんだよね? 野田賢治でしょう?!」
左手を口に当てたまま誠さんは右手で僕の制服の袖を引っ張って廊下へと向かった。廊下にいた南ヶ丘書道部の部員たちが一斉に僕の方を見た。
「どうして? どうしてあんたがここにいるの? 札幌の高校に来たの? この制服、中学校の時のでしょ? 何? どうなってるの? うん、ノダケンさんは? 一緒じゃないの?……」
誠さんの質問は終わりそうになかった。

「こっちの方がびっくりですよ。誠さん、武士道セブンティーンじゃないんですか?」
誠さんは化粧で白くなった顔のところどころに墨の跡を残している。二年ぶりの彼女はやたら大人っぽく見えてなんとも落ち着かなかった。
「いやー、そうだよねー、もうあの頃は本気で『剣士』目指してたからね。でもね、ちゃんと二段位までは取ったんだよ。そしたらなんかね、なんか急に一区切りついちゃった気がしてさ、楽しいのはそればっかりじゃないって気づいちゃったんだね。今はさ、なんかこっちのほうが楽しくってね、もうすぐ高校生も終わるからね、書道パフォも多分これが最後かな。……でも、剣道だって、やめたわけじゃないんだよ……」

二人の近くにいた南ヶ丘の生徒たちが僕の話をし始めたのが聞こえてきた。同級生の望月清華がちょっと自慢したような言い方をしている。
「もしかして、ケンちゃん! あんたこの人たちと同じ高校なの?」
誠さんの口がまた真ん丸になった。
「あの、……ちょっと運が良くて。今年、珍しく倍率割ったから……」
「えー、すんごいじゃん。そうなのー、すごいよー。……もう、いっつも驚かしてくれるよねあんたは、もう!」

札幌に住む叔父さんのもとからこの学校に通っているという誠さんは、久しぶりに再会した「本物の」弟に話しているような感じだった。
「……んで、なんで学生服なの? 札幌でも有名な私服の学校でしょ。みんなそれにあこがれて南ヶ丘目指してるっていうのに……なんで敢えて学制服?……」

近くにいる南ヶ丘書道部の耳目がこっちに集まってしまった気がして、誠さんの大きな声がちょっと気になった。
「まあ、なんか、こっちの方が服選ばなくていいっしょ! 毎日おんなじのでも制服だと考えなくていいんで。今までさ、私服なんて自分で選んだことなかったし……」
「いやー、もー、なんか説得力ゼロの理屈だねー。まあ、まあいいか。今度さうちに遊びに来なよ。おじさんの家だけどね『充(みつ)ニイ』も一緒だから」
「充ニイ」とは誠さんの三番目の兄充三郎のことだ。
「そうなんですか? それ、いいですね。充三郎さんもいるのー!」
野田賢治にとって「充ニイ」は初めて兄の雰囲気を感じさせてくれた人だった。 

滉一郎、脩二郎、充三郎、誠子。中鉢家の三兄弟+誠さんは江戸時代の旗本家のような生活をしていた。二百年前にでもタイムスリップしたんじゃないかと感じさせちゃう家だった。「男性優位」と言えばいいのか、「男らしさ」を大事にしているというか、なんともうまく言えないけれど、ここの家だけは他とは違うのだ。
その中で一人だけの女の子である誠さんがとっても大事にされているのだ。上三人の男の生活にしっかり乗って生きているのだけれども、兄たちは誠さんのことをとても大切な末っ子の「妹」として、扱っていた。

剣道の練習は好きだったけれど大会に参加したり、昇級試験を受けたりということには全く興味のなかった僕とは違い、中鉢家の兄3人は皆中学で初段、高校で2段位を取得している。その中でも全道大会ベスト8まで勝ち上がったのは誠さんだけだった。この時の試合には家族全員が自作した「誠」の旗を振って応援したので大きな話題になったほどだ。

充ニイの近況を聞き始めた時に、川相祥子が誠さんを呼びに来た。
「誠さん、インタビュー始まるのでお願いします」
「あっ、そうだ、そうだった。ごめんね祥っちゃん、今すぐ行くから」
川相祥子は僕に向けて胸の前で両手を振って戻っていった。
「あれ、なにー。ケンちゃん、祥っちゃんのこと知ってるの?」
「あのー、つい最近知ったんだけど、双子の姉の方が同じ陸上部なんです」
「陸上部って、あんた野球は? あんなに一生懸命やってたのに、やめちゃったの?」
「まあ、他のこともやってみようかなって……、それより、やっぱ『誠さん』って呼ばれてんだ」
はにかんだような顔をした誠さんは後でまた話すことを約束してインタビューへと向かって行った。

彼女と入れ替わるようにこっちに向かって来たのは、妹からこの場所を聞いた川相智子と武部だ。二人は南ヶ丘書道部の知り合いと短い挨拶の言葉を交わし、当然武部は何度もカメラのシャッターを切った。
「知り合いの人だったの?」
本当にそっくりな顔をした二人なのに、表情は全く違っていた。川相智子は何時もの様に少し不安げな目をしている。
「ケンジー、お前は本当に年上にもてるよなー!剣道の達人なんだって」
川相祥子はまた「達人」を誕生させてしまったらしい。
誠さんとの関係を短めに説明すると、武部は自分の中でストーリーを創作したようで盛んにニヤニヤし始めた。こういう時の武部はいつも、自分で都合よく物語を劇的に展開させてしまった時なのだ。

「まず一人目はバイリンギャルの山口美憂さんね。それからこの前話を聞いた旭川の菊池さんだっけ。そして今ここにいた彼女。みんな三年生じゃんか! おまえやっぱ年上にもてるんだわ」
「バカか!」
「菊池さんも誠さんも岩内の人だもんねー」
「そっかー。でもよ、岩内の人ってさこんなに優秀なスポーツマンばっかなの? 誠さんて剣道の達人なんだろ。で、その菊池さんって8月のインターハイ全国三位だって?」
「それはー、それはもちろん、たまたまだって」
「おまえのそのパワーがパワーを引き付けるのか? 類は友を呼ぶって言うからな。パワーストーンノダケンってか!」

「祥子がね、野田君の学生服姿がみんなの注目の的だって。ここの男子も学生服なんだけどね、立つ姿が全然違うって。肩のラインが並行で背中がピシッと伸びてて……。それがね、あのー、中鉢さん、に、似てるんだって」
「それはな、俺も感じたぞ。レンズ越しでもさ、あの人の動きだけ違ってるもんな。やっぱお前と同じで立ち姿かっこいいしさ、流れるような動きと言えばいいのかなー」
「誠さんは武士道セブンティーン目指してた人だから」
「ああー、そうなんだ! それで祥子が剣道するって言い始めたんだ!」
川相智子はこの手の小説が大好きだった。
「はあっ? なんなのそれ?」
映画が大好きな武部だが、こいつは小説をあまり読まない。

書道部に入部してすぐ、中鉢誠子の所作にあこがれた川相祥子は「武士道セブンティーン」の意味を聞き出して自分もまねようとした。何時もの様に唐突に剣道をするんだと宣言すると、何時もの様に家族みんなに反対されてしまった。高校の剣道部も初心者を受け入れる雰囲気はなく、誠さんからも「そんな簡単なことじゃない」と言われしぶしぶ諦めたのだ。それ以降、いつでも誠さんの所作から目を離さないストーカーとなっていった。

「さすがサチコ。見る目があるねー。ちゃんと本物を見つけてる」
いままでも武部はいろんな人の評価を口にし、そのために仲間を怒らせてしまうこともあった。それでも僕が知る限り武部の人物評価は納得出来るものが多かった。
「本当に素敵な人だよね。祥子が憧れるのわかるわ」
「さっき、双子だってこと話しちゃったけど」
「そう……」
「あのさ、さっき望月がねお前が誠さんの知り合いだってことびっくりしてたぞ。書道部の人みんなだけどさ、あの人書道パフォじゃ超有名なんだとさ」
「そうだよ、私の友達も言ってた。姉弟かと思ったって」
「うん、まあ姉弟みたいなもんなんだ」
「ケンジの知り合いってさー、みんなスーパーウーマンじゃんか。あのー、もう一人のさ菊池さんって? どんな人なの? 会ってみたいねー」
「あのね、背が高くてね……小顔でね……、ちょっと野田君に似てるかもしれない。」
「じゃあ、その人も姉弟みたいなんだな!」
「……まあ、な……」

今までは決して使ってはいけないもののように思って来た「姉弟」という言葉が、こんなにも身近に、そして何回も耳にすることなんか決してなかったことなのに、当たり前のように自分の周りで行き来する言葉になっていることがなんだか不思議だった。恥ずかしいような、自分から口に出すのが憚られるような……、今までの自分とは違う世界にやって来ている気分だった。

体育館では誠さんたちのインタビューが終わり、南ヶ丘高校書道部が発表準備を始めていた。川相祥子は今もあちこちと走り回るようにしてセッティングに大忙しだった。そして、それを見ている姉の川相智子は何時もの穏やかな表情に少しだけ笑みを散らしていた。

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