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自分の能力に氣づき活かすこと

こんにちは。
久しぶりの更新になりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?季節の変わり目で風邪などひいていないでしょうか?

私自身は、3月の半ば頃からしばらく体調を崩していました。こんなに体調不良に見舞われるのは何年ぶりだろう?というくらい私にとっては珍しいことで、その間はなるべく家で静かに過ごすようにしていました。

不思議なことに、体自体は元氣だしやる氣もあるのに、何かの作業をしようとすると体調が悪化してしまう…といったことが続きまして、まるで目に見えない何かに制止されているみたいにストップがかかる感覚がありました。

おかげさまで今ではほぼ回復したのですが、子供の頃から気管支が弱いため、いったん咳の発作が出てしまうとかなりハードモードな状態になります。なので、なるべく安静にしながら様子を見ているといった状況です。ただ、単調な仕事であれば可能なので、畑に植える作物の種まきや苗床作りをしたり畑の整備などを少しずつやり始めたりしています。

食事によるデトックスや栄養摂取のバランスコントロールを心がけていたので、体はすこぶる元氣なのですが、ただ咳の発作だけはコントロールが不能で。。

かつてのように病院へ行って手っ取り早くステロイド吸入薬を貰ってくれば済むことなのでしょうけど、その現実にはもう戻らないと決めているので、軽めのファスティングや栄養調整などを試しながら自分の体とじっくり向き合っています。時間はかかっているものの、薬に頼らずとも確実に回復してきていると感じます。

きっと、今のうちに「じっくり充電しておきなさい」ということなのだろうと感じます。つらい時は、ムリして頑張るということをするなということですね。

さて、そんな調子でいったん半ば強制的に充電させられた私でしたが、その間フル休息していたわけではなく、独自のアンテナは張り巡らせていました。なんと表現したら良いかわかりませんが、仕事のとき以外は常に瞑想モードというか受信モードでいました。

世界の情勢が刻々と変化する中、どういう流れの中に身を置くべきか考えながら、そういった外からの情報と自分の内側でキャッチしている情報とを照らし合わせて自分なりの答えを導くということをしていました。

そんなある日、ふらっと入ったレンタルショップの中古のワゴンセールの中から、とある映画のDVDに目がいきました。今どきは、Netflixやアマゾンプライムなどで映画を観るのが主流なんでしょうけど、私の場合はレンタル屋さんに行って、自分のガイド存在に“いま自分が観るべき映画やドラマを教えてもらう”といったことをいつもしています。その方が早いし確実なので。そういうこともあって、映画やドラマはもっぱらDVD派です。

で、その日もある映画のパッケージにビビッとくる手応えがあって、さっそく観て観ることにしたんですね。タイトルは「GIVER(ギヴァー) 記憶を注ぐ者」という2014年に公開された映画でした。 

ここから先は、少しネタバレを含みます。

物語の舞台は支配された近未来の世界。そこで暮らす人々は、日常の生活のあらゆることを長老といわれる指導者の元で管理コントロールされ、その暮らしになんの疑いも持たず、一見、楽園的で幸せな日常を過ごしているといった場面からスタートします。

すべてが理想的で穏やかな満ち足りた世界。でも、どこか違和感のある世界。その違和感が何であるのかはわからないけれど何かが欠けている…そんな世界なんですね。

そこでは管理者である長老が、年齢に達した若者一人一人に仕事を任命する儀式があるのですが、「記憶を受け継ぐ」という仕事を任命された主人公の少年が、人々が失ったある重大な「記憶」に氣づいていくことで物語は展開していきます。

人々が失った大切な記憶とは一体何であるのか。そこがこの映画のテーマになっているのですが、この作品はなんだかそっくりそのまま現代の私たち日本人に重なって見えてしまいました。大事な「何か」を見失っていて、でもその何かとはなんであるのかがわからなくなっているところが。このままだと、このような未来が待っているのだろうな…ということを連想させるような映画でした。

近頃、よく多様性という言葉を耳にしますが、物語ではこの「多様性」が社会にもたらすものを一切排除した後の世界が表現されています。良くも悪くもすべてを排除した世界。

多様性がもらたしたとされる人々への脅威的要素をすべて取り除いたとき、世界は色彩を失い一元的な価値観に支配され得るという世界観を描いています。この映画を観てどう感じるかは人それぞれだとは思いますが、少なくともメリル・ストリープ演じる管理者の長老が目指す世界は、私自身とは真逆の価値観だと感じました。

もしかすると大半の人は私のように感じるのかもしれませんが、自分とは「真逆の価値観」という確固たる強い意識がなければ、この映画の中の人々のように流されてしまうのではないかとも感じます。意識とは、それくらい脆いものであって、この世界が持つ鮮やかな色彩や力強さや尊さを自分の中でしっかり認識するためには、その意識や環境を分かち合える人々の中に身を置き続ける必要があるんじゃないかなとも感じるんですね。

もっというと、大事なものをすべて失ってから氣づくようでは遅いのだとも思うのです。

また一方で、この映画には「自分の能力を活かすこと」といったもう1つの隠れたテーマもあります。主人公の少年は、前任者から「記憶」を注いでもらうことで、自分の中にその「記憶」をダウンロードするという役目を受け継ぎます。少年にはあらゆる記憶を保管するだけの器があるということを長老に見出されたためですが、これは人には必ずその人にしか活用できない「能力」があるのだということが映画の中では表現されています。

本来なら、自分で氣づき活かすべきものですが、映画の中では管理者から「任命」されるんです。一切の決定権を奪われ、自分で何かを決めることさえできずに誰かにあらゆることを決めてもらっているのです。本当にそれでいいの?そうなればこんな世界になるよ、という人々への警告にも感じますので時間がある方はぜひご覧になってみてください。

私たちのこの世界には、その人にしか発揮できない固有の「能力」というものが実際にあります。よく言われる「得意を活かす」とはこのためです。本当はごく当たり前のことなのに、なぜかいつまでもその当たり前の自分にたどり着けない人が多い…という現代。

これは、私自身のガイド存在(ハイヤーセルフや守護霊や守護神など含めて面倒なのでまとめてそういいますね)からもいつも言われることです。私の場合は巫女的なお役目がそれに当たりますが、そこは人それぞれ異なるので、どんな役割を担うのかは人によります。

映画の中では、パイロットとして訓練生になる人、生まれたばかりの赤ちゃんをケアする人、子供たちを指導する人などが登場しますが、現実に私たちもあらゆる使命を帯びた人たちがこの世界を作っていますよね。

人それぞれ役割は違っていて、それぞれが得意を活かせるように、それこそあらかじめ個々の「記憶」の中にそれがインプットされているようにも思うんです。それをうまく自分で引き出すためには、自分自身がちゃんと自分に向き合うしかないのだと思います。

向き合うということをわかりやすくいうと、例えば、ホテルで働きながら職場の人間関係で思い悩んでいる人がいたとして、その人がいくら宇宙のビッグバンの発生原理の本を読み漁ったところで、その人の目の前にある人間関係の悩みは消えることはない、ということです。そして、その人が担うべき本当のお役目にはそのままでは到達できないということでもあります。

まずは、目の前の悩みである職場の人間関係にしっかり向き合わなければ、その人にとって今必要な学びである「人間関係を俯瞰する」を完結することがいつまで経ってもできません。ビッグバンの本を読み漁る前に、今やるべきことは何であるか?にフォーカスすることが必要なわけです。さもなければ、人間関係に悩み続けるという負のループを一生続けながら人生を終えることになります。

ビッグバンに人間関係の答えを求めようとしても、そこからはおそらく直接的な答えは見出せないでしょうしね。

今の職場ではどのような理由でそのような人間関係になってしまっているのか、その状況に陥っている自分には落ち度や非があるのかないのか、自分の努力で何か提案したり改善したりして良くなるものかどうか、そういうことを1つ1つ突き詰めて考えていって自分で結論を出すしかないわけです。

自分は努力してみたが、結果として自分の力ではどうしようもないことがわかったなら「辞める」か別の部署に「異動」させてもらうか、もしくはそれでも我慢して「現状のまま続ける」しかありませんよね。我慢をし続ければ、いずれストレスによって体が酸化して不調をもたらしますけどもね。

だから、自分自身に問いかけながら聞いてみるんです。本当に今のまま続けるべきなのかと。そして、仮に職場を異動したとしてその先で自分の悩みは本当に消えるのか?それとも潔く辞めて、宇宙のビッグバンについてのスペシャリスト(それが本当に自分のやりたいことなら)になるべく新たな道を見つけるのか。

そうやって、1つずつ丁寧に向き合っていきながら自分に自問自答していくんですね。例え、うっかり間違った選択をしたとしても、またそこで自問自答を繰り返していくことで、最終的には「自分がやりたいこと(やるべき使命、自分の能力)」に必ずたどり着くようになっています。失敗を恐れずに行動するとはそういうことなんです。失敗しなければ、何が正解であるのかがそもそもわかりませんので。

自分の経歴に傷をつけずに綺麗なまま生きたいなんてことを考えていたら、映画のような世界を永遠にループします。それが今の自分にとっての正解であると自分でキッパリ見出している人はそれで良いのでしょうけど、もし失敗するカッコ悪い自分になることだけを恐れて前進せずにいるのだとしたら、そんな杞憂はとっとと手放した方が何倍も面白い人生を歩めます。

お花が好きな人はお花が好きだという事実から目を背けないで欲しいし、食べることが好きな人は食についてをとことん知って欲しいわけです。少なくとも自分が地上で担うべき役割を探るヒントは、いつも周りに溢れていて、自分の中にある感情や感覚から受け取れるはずなんですね。

いまの全体の集合意識の流れはどんどん変化が加速していて、既に“自分の中にある能力を自らで見出し育てる”という流れの中にある人が多くいるということを感じます。つまり、自分のお役目に氣づいた人がたくさん出てきており、実際に行動に移し始めている状況にあるということです。こういう人たちのエネルギーはとても強力で、周囲に影響を及ぼす力は何も行動しない人よりも遥かに大きいのです。

いつまでも思い悩んでいる人は、もうそんな場合ではないのですよ。うかうかしていると乗り遅れちゃいますからね。

このエネルギーの流れに乗ることで生き方が激変する時代に入っている以上、目の前のことにちゃんと向き合って、不要なものはもう手放すということをやってみてください。こんなことを書いている私自身もまた、このことを伝えるというお役目の中にいます。届けるべき人に届きますよう祈っています。今日はそんなお話でした。

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